「ディープパープルってどんなバンド?」
「おすすめのアルバムや代表曲は?」
「伝説や逸話を知りたい!」
ディープ・パープルと言えば、イギリス出身の有名ハードロックバンドです。いわゆる「ヘビメタ」や「ハードロック」というジャンルの先駆けと言えるバンドですね。
1972年に日本でもシングル「ブラック・ナイト」がヒットしコマーシャルでも使われていたので、聴いたことある方も多いかもしれません。
この記事ではそんなディープ・パープルの功績や伝説、おすすめアルバムや曲などを紹介します。
この記事を書いた人
一橋大卒 歴史学専攻
Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。
ディープ・パープルってどんなバンド?
ディープ・パープルのプロフィール
ディープ・パープルは1968年にイギリスで結成されたロックバンドです。同じイギリス出身のバンドであるレッド・ツェッペリンと並んでハードロックバンドの先駆けとされています。
結成時のメンバーはジョン・ロード (キーボード)、リッチー・ブラックモア (ギター)、イアン・ペイス (ドラム)、ニック・シンパー (ベース)、ロッド・エヴァンス (ボーカル)の5人でした。活動の中で何度もメンバーチェンジを繰り返し、解散や再結成を経て現在も活躍しています。
代表曲には、「ブラック・ナイト」「バーン」「スモーク・オン・ザ・ウォーター」などがあり、日本でもCMソングなどで使われています。
2016年にはロックの殿堂入りを果たし、ロックバンドとして新たな一歩を踏み出しました。
ディープ・パープルの名前の由来
ディープ・パープルというバンド名の由来は、結成メンバーであったリッチー・ブラックモアの祖母が大きく関係しています。姉弟デュオである「ニノ・テンポ&エイプリル・スティーヴンス」が歌う「ディープ・パープル」という曲があり、ブラックモアの祖母が好んで聞いていたことから名付けられたと言われています。
日本でも人気があるハードロックバンド
日本では1971年にシングル「ブラック・ナイト」が発売され約10万枚を売り上げました。これは当時のハードロックのシングル盤の売上としては驚異的な数字です。1994年からは缶コーヒーのUCCブラック無糖のCMに起用されています。
翌1972年には初来日を果たし、伝説となったツアーが開催されました。このライブの模様は1972年発売のライブアルバム「ライブ・イン・ジャパン」で聞くことができます。
ディープパープルの音楽性や特徴
サイケデリックなロック
ディープ・パープルがデビュー当時に演奏していたのはハードロックではありませんでした。ファースト、セカンド、サードアルバムまでを聴いてみると、サイケデリック・ロックといった方が良いかもしれません。
サイケデリック・ロックとは1960年後半ごろに流行したロックの種類のひとつです。主にLSDなどのドラッグによって生じる幻覚を、音で表現したロックのことを言います。1966年に発売されたビートルズの7作目のアルバム「リボルバー」が、サイケデリック・ロックの先駆けだと言われています。
流行りに乗ったハードロック
1970年に発表された「イン・ロック」からディープ・パープルはハードロックに方向転換します。当時は1968年にデビューしたレッド・ツェッペリンなどの影響で、ハードロックの人気が高まってきていました。
そのためリッチー・ブラックモアはディープ・パープルでもハードロック路線に変更することを提案します。しかし従来の幻想的な音楽性を続けたいという、キーボードのジョン・ロードの意見もありました。
諦めきれないブラックモアは、一度ハードロック寄りのアルバムを制作しファンの反応を見たいとロードに提案しました。ロードはこれを承諾し、1970年に新作アルバムの制作が開始されました。こうして発表された4作目のアルバム「イン・ロック」は、イギリスチャートで第4位にランクインし大ヒットしました。
ロックとクラシックの融合
ディープ・パープルの楽曲を聴いていると、クラシカルなフレーズがとても印象的です。クラシック音楽に強く影響を受けていたリッチー・ブラックモアとジョン・ロードによって、ロックとクラシックが融合されました。
代表曲である「ハイウェイ・スター」や「バーン」の間奏部分には、J.S.バッハの曲などで使われているバロック音楽の形式が引用されています。
また1969年にはジョン・ロードが作曲したコンチェルト(協奏曲)を、ロイヤル・フィル・ハーモニック・オーケストラと一緒に演奏しアルバムも発表しています。
ディープパープルの功績や逸話
ロックの殿堂入り
ディープ・パープルは2013年と2014年にロックの殿堂にノミネートはされましたが、殿堂入りは逃してきました。メタリカのラーズ・ウルリッヒやキッスのジーン・シモンズらは、20年も前から殿堂入りの資格を持っていながら選ばれないことについて疑問を口にしています。
2015年にローリングストーン誌の読者投票で「殿堂入りすべきバンド」第1位に選ばれ、3度目のノミネートののち翌2016年にやっと殿堂入りを果たしました。
しかしメンバーチェンジの激しさから、今までディープ・パープルに関わったすべてのメンバーが殿堂入りとはなりませんでした。この事態にメンバー内からも疑問の声が上がっています。
偽ディープパープル事件
ディープ・パープルが一時解散していた期間中に、結成時のオリジナルメンバーであるロッド・エヴァンスが1980年に起こした事件が「偽ディープパープル事件」です。
ロッド・エヴァンスは勝手にディープ・パープルの名前をかたり、メンバーにそっくりの売れていないミュージシャンを集めコンサートを開いたのです。しかし観客にあっけなくバレてしまい、ビンなどがステージに投げ入れられたといいます。エヴァンスが脱退した後の楽曲なども歌っていたと言うので驚きです。
この事件によりロッド・エヴァンスは本家ディープ・パープルのマネジメント会社に告訴されてしまい、672,000ドルもの損害賠償を請求されてしまいました。そのうえ、自身が関わっていたころの楽曲の印税の権利も失ってしまいました。
世界一の大音響バンド
ディープ・パープルは1973年度版のギネスブックに「世界一の大音響バンド」として認定されています。ロンドンのコンサートホールで最大117デシベル(飛行機のエンジンの近くにいるくらいの騒音)を計測しました。残念ながら1976年に同じイギリスのロックバンドであるザ・フーにこの記録は破られてしまいます。
吹奏楽でも大人気のディープ・パープル・メドレー
高校野球の応援などでお馴染みの吹奏楽にもディープ・パープルの楽曲は人気があります。甲子園で「バーン」や「ハイウェイ・スター」などがメドレーにして演奏されているのを聴いたことがあるのではないでしょうか。
ディープ・パープルの疾走感あふれるリズムとキャッチーなフレーズが、迫力ある吹奏楽の演奏との相性がいいのでしょう。吹奏楽用の楽譜「ニュー・サウンズ・イン・ブラス」の第24集に掲載された佐橋俊彦さんのアレンジが有名です。