1871年2月:パリ攻囲戦に敗退し戦争が終結
その後フランス軍は敗戦により、ナポレオン3世が降伏し捕虜となりました。この時休戦の話も出ますが、フランス側が拒否。その後4か月戦闘をすすめるものの最終的にパリも包囲されました。
そして最終的にフランス軍が食料不足により戦闘不能になったことにより、1871年2月に全面休戦、5月に「フランクフルト講和条約」を結び戦争は終結したのです。
1871年3月:パリ・コミューン政権が発足
1871年1月にドイツ帝国成立が宣言され統一国家になった一方で、フランスは仮政府とプロイセンと仮講和条約に対し、パリ市民がパリ・コミューンを宣言しました。
これは史上初の「プロレタリアート独裁」が自治宣言を行ったものでした。パリ・コミューンは2か月後の5月にプロイセン軍の支援を得たヴェルサイユ政府軍によって鎮圧されますが、後の社会主義・共産主義の運動に大きな影響を及ぼし、後の数々の社会主義国家にも大きな影響を及ぼしたのです。
1871年7月:普仏戦争を利用しイタリア王国が統一
普仏戦争が影響した国際的な変化として、イタリア王国が統一しました。フランスはイタリア統一戦争からローマ教皇を守るという名目で軍を置いていましたが、普仏戦争の敗北によって撤退しています。
これによりイタリア統一運動は急展開し、イタリア王国はヴァチカンを除く全ての領土を占領。ローマを首都としたイタリア王国として統一されたのでした。
普仏戦争がよくわかる本、動画
最後に普仏戦争の流れや各国の世界情勢、当時の市民の反応などがわかる本や動画をご紹介します。手短に普仏戦争の内容が知りたい方には動画、当時の状況を詳しく知りたい方には本の閲覧がおすすめです。
ドイツ参謀本部-その栄光と終焉
『ドイツ参謀本部その栄光と終焉』は普仏戦争当時のプロイセンの軍制度の仕組みや、普仏戦争以前とその後の戦争の戦い方についてどのような違いがあるかが解説された本です。
この本ではプロイセンの軍の仕組みから組織の在り方などが筆者の視点から述べられているので多少偏りがある部分もありますが、プロイセンがどのような作戦や戦い方で普仏戦争に勝利したのか書かれています。そのため、詳しく知りたい方にはおすすめです。
現代語訳 巴里籠城日誌
現代語訳巴里籠城日誌は明治初期の広島藩士である渡正元が留学で訪れたパリで普仏戦争のパリ攻囲戦に居合わせた際の体験が記されたものを現代語訳した本です。
この本ではパリ攻囲戦時のパリの状況や人々の様子が日本人の視点から描かれています。そのため、普仏戦争当時の人々の暮らしや市民への影響、包囲されたパリはどんな状態だったのか気になる人におすすめです。
【モルトケvsナポレオン3世】セダンの戦い
この動画はプロイセンとフランスが普仏戦争に至るまでの経緯や、両国で使用された兵器などが詳しく解説されています。この動画では戦争の流れが大まかに編集されていて、さっくりと15分程度で閲覧できるので手短に戦争の事情と結果などを知りたい方におすすめの動画です。
【世界史】19世紀の欧米5 ドイツの統一
この動画は約20分ほどの長さで、プロイセンのドイツ統一までの流れをおさらいできます。普仏戦争は普墺戦争などを含めた3つの戦争と合わせるとドイツ統一戦争とも呼ばれていて、普仏戦争だけでドイツを統一したわけではなく行きつくまでには長い経緯がありました。この動画ではその経緯をざっくりと解説しているので、ドイツの統一に関して詳しく知りたい方におすすめです。
普仏戦争に関するまとめ
いかがでしょうか。今回は1800年代に起きたフランスとプロイセンによる普仏戦争の経緯や勝敗、原因についてご紹介しました。
普仏戦争はプロイセンの緻密な作戦や革新的な軍事制度という観点からも、同時期の日本に大きく影響を残し、第一次戦争のきっかけにもなる重要な出来事です。
また、1800年代は革命や戦争の勃発が多くて事情が複雑化しているので、普仏戦争もあっさりと勉強することが多いですが後世には様々な影響を与えているので詳しく知っておくとその後の世界史の理解を深めることができます。
この記事をきっかけにより多くの方が近代ヨーロッパの軍事制度やドイツ統一に興味を持って頂ければ幸いです。