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アレクサンドリアとはどんな街?【遺跡や人物、灯台の謎から映画まで紹介】

「アレクサンドリアってどんな街だろう?」
「アレクサンドリアの大灯台や、プトレマイオス時代の遺跡の不思議が気になるなぁ」

そんな疑問をお持ちの方、とても多いと思います。アレクサンドリアは古代エジプト最大の都市で、世界中から観光客が訪れる観光都市です。その歴史は古く、ヘレニズム時代まで遡ります。

世界七不思議の一つ「ファロスの大灯台」や、世界中の文献や学者が集った「アレクサンドリア図書館」があったり、絶世の美女であるクレオパトラが最後を迎えた街としても有名です。アレクサンドリアの歴史や街の美しさに魅了され、あらゆる書籍を読み漁った著者が、アレクサンドリアの魅力ご紹介します。

この記事を書いた人

一橋大卒 歴史学専攻

京藤 一葉

Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。

アレクサンドリアとはどのような街なの?

クレオパトラが生きた歴史溢れる地中海の街

アレクサンドリアの概要

エジプト
アレクサンドリア県
面積2,679 平方㎞
人口520万人
言語アラビア語、英語

アレクサンドリアはエジプト第2の都市で、「地中海の真珠」と呼ばれる美しい港町です。街には世界的な組織や企業の支部や支社が置かれ、欧米的な雰囲気が漂う国際都市でもあり、商業都市でもあります。また、アレクサンドリアはエジプト最大の港湾都市で、エジプトの輸出入の四分の三以上を占めると言われています。

紀元前331年にアレクサンドロス大王によって建設されて以降、プトレマイオス朝、ローマ帝国、イスラムと支配者は変わりましたが、ヘレニズム文化、キリスト教、イスラム教が混ざりあう学術都市として栄えました。

しかし、度重なる戦争と地震によって破壊されたアレクサンドリアは、遺跡など古代の痕跡が少なく、今だ多くの謎に包まれています。

アレクサンドリアの文化

紀元前からの世界都市アレクサンドリア なぜここまで繁栄、姿を変えて継続できたのか

古代アレクサンドリアの文化は、ギリシャ文化とオリエント文化の融合であるヘレニズム文化です。アレクサンドリアには大図書館や、博物館であり研究機関でもあるムセイオンが建設され、数多くの自然科学者が活躍しました。大図書館には国内外からあらゆる文書と知識が集まり、アレクサンドリアは学術都市として栄えていくこととなります。

ヘレニズ文化は、ローマによって滅ぼされた後もインドのガンダーラ美術をはじめ、中央アジアや中国、そして最後は日本の天平期の文化にも影響を与えました。イスラムの支配下に置かれてからも学術都市として残り続け、ヘレニズム・ローマ・イスラムがミックスしたアラビア科学の地のひとつになりました。

アレクサンドリアの宗教

セラピス

アレクサンドリアの宗教は、支配者によって変わっていきました。プトレマイオス朝では、エジプト人の信仰とマケドニアの信仰の融合であるセラピス神への信仰がひろがっていきました。しかし、プトレマイオス朝が滅び、ローマ帝国が支配するようになるとキリスト教が国教になります。

ローマ帝国の支配下では、381年のコンスタンティノポリス公会議でアレクサンドリアがキリスト教の5大聖地の一つに指定されると、キリスト教徒による他宗教への迫害が始まり、セラピス神を祀る神殿なども破壊されました。

641年にはイスラム勢力がエジプトに侵攻し、キリスト教の町からイスラム教の町へと変化します。イスラム教国家のウマイヤ朝の時代になると、「キリスト教の人は、税金上乗せすれば改宗しなくても良い」とされたため、その後もキリスト教は細々と続いていきました。

アレクサンドリアにある遺跡とは?

ポンペイの柱

アレクサンドリアの「ポンペイの柱」

ポンペイの柱とは、アレクサンドリアに残る大きな柱のことで、295年に皇帝ディオクレティアヌスが建てました。高さ27m、円周8mの巨大な柱で、柱の真ん中の部分は、アスワンで産出された1個の赤い花崗岩でできていてます。

土台には紀元前13世紀頃のセティ1世や紀元前6世紀頃のプサメティコスなどのカルトゥーシュがみられるため、各地の遺跡から持ってきたもので作られたと考えられています。

この柱は、セラピス神に捧げられた神殿で「セラペウム」の柱のうちの1本という説、また、セラペウムに付属する図書館の400本の柱のうちの1本という2つの説があります。

なぜポンペイの柱と呼ばれるようになったかというと、十字軍の兵士たちが、この柱はローマの将軍ポンペイウスの墓である印だ考えたからというもの、また、ポンペイウスの寺院だったと誤解されたためという2うの説があるようです。

ローマ円形劇場

ローマ円形劇場とアレクサンドリア

ローマ円形劇場とは、アレクサンドリアに残るローマ時代の数少ない遺跡の一つです。コム・エル・ディッカの丘にあり、ローマ帝国に支配されていたことの証となる貴重な遺跡で、20世紀半ばに発見されました。2世紀頃建てられましたが、6世紀~7世紀頃の地震で壊れ、長い間丘の土の下に埋まっていました。

直径33mとローマのコロセウムよりは小規模で、観客席には白い大理石が使われていました。当時は屋根があり、約800人の観客の収容が可能だったようです。円形劇場の北側には、ローマ時代の共同大浴場の遺跡があります。

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