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アレクサンドリアとはどんな街?【遺跡や人物、灯台の謎から映画まで紹介】

「アレクサンドリアってどんな街だろう?」
「アレクサンドリアの大灯台や、プトレマイオス時代の遺跡の不思議が気になるなぁ」

そんな疑問をお持ちの方、とても多いと思います。アレクサンドリアは古代エジプト最大の都市で、世界中から観光客が訪れる観光都市です。その歴史は古く、ヘレニズム時代まで遡ります。

世界七不思議の一つ「ファロスの大灯台」や、世界中の文献や学者が集った「アレクサンドリア図書館」があったり、絶世の美女であるクレオパトラが最後を迎えた街としても有名です。アレクサンドリアの歴史や街の美しさに魅了され、あらゆる書籍を読み漁った著者が、アレクサンドリアの魅力ご紹介します。

アレクサンドリアとはどのような街なの?

クレオパトラが生きた歴史溢れる地中海の街

アレクサンドリアの概要

エジプト
アレクサンドリア県
面積2,679 平方㎞
人口520万人
言語アラビア語、英語

アレクサンドリアはエジプト第2の都市で、「地中海の真珠」と呼ばれる美しい港町です。街には世界的な組織や企業の支部や支社が置かれ、欧米的な雰囲気が漂う国際都市でもあり、商業都市でもあります。また、アレクサンドリアはエジプト最大の港湾都市で、エジプトの輸出入の四分の三以上を占めると言われています。

紀元前331年にアレクサンドロス大王によって建設されて以降、プトレマイオス朝、ローマ帝国、イスラムと支配者は変わりましたが、ヘレニズム文化、キリスト教、イスラム教が混ざりあう学術都市として栄えました。

しかし、度重なる戦争と地震によって破壊されたアレクサンドリアは、遺跡など古代の痕跡が少なく、今だ多くの謎に包まれています。

アレクサンドリアの文化

紀元前からの世界都市アレクサンドリア なぜここまで繁栄、姿を変えて継続できたのか

古代アレクサンドリアの文化は、ギリシャ文化とオリエント文化の融合であるヘレニズム文化です。アレクサンドリアには大図書館や、博物館であり研究機関でもあるムセイオンが建設され、数多くの自然科学者が活躍しました。大図書館には国内外からあらゆる文書と知識が集まり、アレクサンドリアは学術都市として栄えていくこととなります。

ヘレニズ文化は、ローマによって滅ぼされた後もインドのガンダーラ美術をはじめ、中央アジアや中国、そして最後は日本の天平期の文化にも影響を与えました。イスラムの支配下に置かれてからも学術都市として残り続け、ヘレニズム・ローマ・イスラムがミックスしたアラビア科学の地のひとつになりました。

アレクサンドリアの宗教

セラピス

アレクサンドリアの宗教は、支配者によって変わっていきました。プトレマイオス朝では、エジプト人の信仰とマケドニアの信仰の融合であるセラピス神への信仰がひろがっていきました。しかし、プトレマイオス朝が滅び、ローマ帝国が支配するようになるとキリスト教が国教になります。

ローマ帝国の支配下では、381年のコンスタンティノポリス公会議でアレクサンドリアがキリスト教の5大聖地の一つに指定されると、キリスト教徒による他宗教への迫害が始まり、セラピス神を祀る神殿なども破壊されました。

641年にはイスラム勢力がエジプトに侵攻し、キリスト教の町からイスラム教の町へと変化します。イスラム教国家のウマイヤ朝の時代になると、「キリスト教の人は、税金上乗せすれば改宗しなくても良い」とされたため、その後もキリスト教は細々と続いていきました。

アレクサンドリアにある遺跡とは?

ポンペイの柱

アレクサンドリアの「ポンペイの柱」

ポンペイの柱とは、アレクサンドリアに残る大きな柱のことで、295年に皇帝ディオクレティアヌスが建てました。高さ27m、円周8mの巨大な柱で、柱の真ん中の部分は、アスワンで産出された1個の赤い花崗岩でできていてます。

土台には紀元前13世紀頃のセティ1世や紀元前6世紀頃のプサメティコスなどのカルトゥーシュがみられるため、各地の遺跡から持ってきたもので作られたと考えられています。

この柱は、セラピス神に捧げられた神殿で「セラペウム」の柱のうちの1本という説、また、セラペウムに付属する図書館の400本の柱のうちの1本という2つの説があります。

なぜポンペイの柱と呼ばれるようになったかというと、十字軍の兵士たちが、この柱はローマの将軍ポンペイウスの墓である印だ考えたからというもの、また、ポンペイウスの寺院だったと誤解されたためという2うの説があるようです。

ローマ円形劇場

ローマ円形劇場とアレクサンドリア

ローマ円形劇場とは、アレクサンドリアに残るローマ時代の数少ない遺跡の一つです。コム・エル・ディッカの丘にあり、ローマ帝国に支配されていたことの証となる貴重な遺跡で、20世紀半ばに発見されました。2世紀頃建てられましたが、6世紀~7世紀頃の地震で壊れ、長い間丘の土の下に埋まっていました。

直径33mとローマのコロセウムよりは小規模で、観客席には白い大理石が使われていました。当時は屋根があり、約800人の観客の収容が可能だったようです。円形劇場の北側には、ローマ時代の共同大浴場の遺跡があります。

ファロスの大灯台

ファロスの大灯台

ファロスの大灯台とは、古代アレクサンドリアの代表的な建造物で、紀元前297~283年頃、アレクサンドリア港の入口にあったファロス島に建設されました。しかし、度重なる地震で崩れ落ち、長い間海の底に眠ったままの海底遺跡となっています。

1992年、ヨーロッパ海洋考古学研究所所長のフランス人フランク・ゴッディオが発掘プロジェクトを発足したことで海底の調査が始まり、かつてファロスの大灯台があった場所近くからは、灯台の一部と考えられる石柱が発見されました。

大灯台があった場所には、一部残った大灯台の上にカーイト・ベイ要塞建っていますが、今後は要塞付近の海底から、ファロスの大灯台の遺物が見つかる可能性が高いと言われています。

クレオパトラの宮殿

海底に眠る歴史 世界の海底遺跡

女王クレオパトラ7世の宮殿とは、アレクサンドリアでクレオパトラが暮らした宮殿です。8世紀におきた大地震と津波によって海の底に沈み、海底遺跡となっていました。1992年、ヨーロッパ海洋考古学研究所所長のフランク・ゴディオによるアレクサンドリア港の調査で、湾の南東部にあったアンティロドス島にクレオパトラの宮殿が建設されていたことが分かりました。

1996年に、海底に沈むクレオパトラの宮殿が発見されると、続いて1998年に小型のスフィンクスや、クレオパトラの憩いの場であった小宮殿跡からイシス神殿の神官の像が発見されます。他にも、当時の道や花崗岩でできた柱、ワインの壺などプトレマイオス朝時代の物が数多く見つかりました。

アレクサンドリアの謎

アレクサンドリアの大灯台が「世界七不思議の一つ」

アレクサンドリアの大灯台

アレクサンドリアの大灯台とは、先に述べたファロスの大灯台のことです。灯台の高さは134m(40階建てのビルに相当)で、その大きさ故、一体どうやって建設したのかという謎から「世界七不思議」の一つになりました。

地中海貿易の中継地点であったアレクサンドリアは、多くの船を安全に入港させるため、遠方から分かる目印が必要でした。そのため遠方からも見えるように白く輝く大理石で作られ、頂上に設置した大きな鏡に昼間は太陽の光を反射させ、夜はか灯り火を反射させました。

四角柱の基壇の上に八角柱の2段目があり、最上段は円柱となっていて、灯台の光は56km先からも見えたという伝説が残っています。

アレキサンドリア図書館「古代最大の公共施設」

新アレクサンドリア図書館

アレクサンドリア図書館とは、学術都市アレクサンドリアの象徴となる大図書館です。プトレマイオス1世が建てたもので、ブルケイオン地区にあったと考えられますが、一つも遺跡が見つかっていません。紀元前47年、カエサルの攻撃で一度消失し、その後復興したものの5世紀になり全ての貴重な書物ごと消滅したとされています。

アレクサンドリア図書館には、文学、歴史、地理、天文学、数学、医学などあらゆる分野の書物が70万冊集められ、王立研究所ムセイオンも併設されていました。「幾何学言論」の数学者エウクレイデス、地球の外周を正確に測ったエラトステネス、他にもアルキメデス、ヘロンなど多くの学者たちがアレクサンドリアを訪れ、研究を重ねていました。

アレクサンドリアを歴史で振り返る

紀元前332年「ギリシアのマケドニア王アレクサンドロス大王によって建設される」

アレクサンドロス大王の生涯と歴史

アレクサンドリアは、マケドニアのアレクサンドロス大王の東方遠征の際に建設されました。大王が各地に建設したアレクサンドリアのなかで、最も栄えたのがこのエジプトのアレクサンドリアでした。

紀元前306年「プトレマイオス朝が開かれる」

プトレマイオス1世

アレクサンドロス大王の死後、部下であり学友であったプトレマイオス1世が、エジプトの派遣争いを制し、王朝プトレマイオス朝を開きました。アレクサンドリアはその首都として発展し、最盛期の人口は100万人を超えたと言われています。

プトレマイオス朝は、古代エジプト王国最後の王朝(第32王朝)ですが、ギリシャ人の王家で純粋なエジプト人の王朝ではありません。しかし、東西交易の中継地点として農産物をはじめ様々な品物や商人が集まる地中海最大の都市として栄えました。

紀元前51年「クレオパトラ7世が即位」

カエサルとクレオパトラ」4 カエサルとの出会い

エジプトでは、年月の経過とともに王位継承を巡る争いによって繰り返し内戦が勃発するようになりました。そのような中、紀元前51年、エジプト王国最後の女王となるクレオパトラ7世が即位します。当初は弟であるプトレマイオス13世とも共同統治でした。

紀元前48年「クレオパトラ7世がカエサルとともにエジプトを統治する」

クレオパトラ7世が即位した頃の地中海周辺は、エジプトを除いてローマ帝国の領土となっていました。クレオパトラ7世はローマ帝国の軍人ユリウス・カエサルと手を組み、カエサルの傀儡政権としてエジプトを統治します。

紀元前44年「カエサル暗殺される」

ガイウス・ユリウス・カエサル

カエサルとエジプトを治めていたクレオパトラですが、カエサルが暗殺されるとすぐにカエサルとの子カエサリオンをプトレマイオス15世として即位させました。カエサルの暗殺によって後ろ盾をうしなったクレオパトラ7世は、ローマの軍人アントニウスに接近し、生き残りを図ります。

前31年「クレオパトラ7世の死」

紀元前30年、アクティウムの海戦でローマのオクタヴィアヌス軍に敗れたアントニウスとクレオパトラ7世はアレクサンドリアに逃げ帰ります。紀元前31年、ローマ軍の捕虜になることを拒んだクレオパトラ7世は、毒蛇に身をまかせ自殺し、プトレマイオス朝は滅亡しました。

紀元前27年「エジプトがローマ帝国の属国となる」

オクタヴィアヌス

オクタヴィアヌスがアウグストゥスの称号を得てローマ皇帝のなると、エジプトはローマ帝国の属国となりました。388年、皇帝テオドシウス1世はキリスト教を国教とし、アレクサンドリアはキリスト教布教の5本山の一つとなりました。

395年「学術都市アレクサンドリアが破壊される」

キリスト教徒によるアレクサンドリア図書館の破壊

ローマ帝国がキリスト教を国教とした後、アレクサンドリアでは、キリスト教、ユダヤ教、セラピスなど宗教間の争いが頻発します。学問の中心地であったアレクサンドリア図書館は破壊され、多くの書物と共に学者たちも消え、アレクサンドリアは衰退の道を歩み始めます。

641年「イスラム勢力がエジプトへ侵攻する」

619年にはササン朝ペルシャが、628年には東ローマ帝国(ビザンチン帝国)がアレクサンドリアを支配します。641年、イスラム勢力がエジプトへ侵攻し、アムル・イブン・アル=アースによってアレクサンドリアは陥落しました。その後アレクサンドリアはイスラムの支配下に置かれます。

1365年「アレクサンドリア十字軍に一時的に支配される」

キプロス王のピエール1世が指導する十字軍がアレクサンドリアを一時的に支配しました。聖地奪還ではなく経済的な理由でおこなった支配で、アレクサンドリアではモスクや寺院、教会などが破壊され、街では略奪と市民の虐殺繰り広げられ、5000人が奴隷となりました。

エジプトに十字軍の拠点を築きたかったものの、マムルーク朝の本軍との戦いで勝ち目がないと判断した十字軍は、わずか3日間で撤退しました。

1798年「ナポレオンがアレクサンドリアに上陸する」

ナポレオン・ボナパルト

1798年7月、イギリスのインド支配の中継地点であるエジプトを抑えるため、ナポレオンはアレクサンドリアに上陸します。これがナポレオンのエジプト遠征です。

しかし、ネルソン率いるイギリス海軍に敗れ、ナポレオンは制海権を失い、フランス軍は撤退しました。アレクサンドリア郊外でロゼッタ=ストーンが発見されたのもこの時期です。

1875年「イギリスの支配下になる」

スエズ運河株を買収したイギリスがエジプト支配を強めたことで、1881年にウラービーの反乱が勃発しました。イギリス支配に反発したエジプト人とウラービーによるこの反乱は、イギリス軍がアレクサンドリアを砲撃し、鎮圧したことで収まりました。翌1882年、イギリスがエジプトを保護下に置いたため、アレクサンドリアもイギリスの支配下に置かれました。

アレクサンドリア縁の人物

政治家・王族

プトレマイオス1世

プトレマイオス1世

プトレマイオス1世は、エジプトのプトレマイオス朝の創始者で初代の王です。マケドニアの貴族の出身で、アレクサンドリアを建設したアレクサンドロス大王の学友であり部下でした。アレクサンドロス大王亡き後の覇権争いを制し、前305年プトレマイオス朝の王となりました。

プトレマイオス1世は、優れた軍人であり優れた政治家でした。王になってからは学問の発展に力を入れ、王立研究所ムセイオンや大図書館を設立し、国内外から優れた学者を集めました。宗教においても寛容で、マケドニアの信仰を押し付けることはありませんでした。

クレオパトラ7世

クレオパトラ ミケランジェロ

クレオパトラ7世はエジプトプトレマイオス朝最後の女王で、ギリシャ語やエジプト語の他にも複数の言語を話せる知的な女性であったといわれています。17歳で弟のプトレマイオス13世と結婚し共同統治をしますが、その後ローマの軍人カエサルと出会うと、プトレマイオス13世を追い出し、カエサルとエジプトを統治します。

カエサルとの間に息子カエサリオンが誕生し平穏な日々を過ごしますが、カエサルが暗殺されると息子カエサリオンをエジプトの共同統治者プトレマイオス15世として即位させました。カエサルという後ろ建てを無くしたクレオパトラは、アントニウスに接近し子供を設けます。

紀元前31年、アクティウムの海戦で敗れたクレオパトラとアントニウスはアレクサンドリアに逃げ帰り、ローマ軍に捕らえられたクレオパトラは、オクタヴィアヌスに屈することを拒否し、毒蛇に身を噛ませて自殺しました。

カエサリオン

カエサリオン

カエサリオンは、エジプトプトレマイオス朝最後の王プトレマイオス15世であり、クレオパトラ7世の子供です。前47年、母クレオパトラ7世と、父カエサルの間にアレクサンドリアにて生まれました。カエサリオンとは、小さなカエサルという意味です。

父カエサルが暗殺されアレクサンドリアに戻ると、母クレオパトラ7世との共同統治者プトレマイオス15世として即位します。母クレオパトラ7世がアクティウムの海戦でローマ軍に敗れると、カエサリオンは紅海に面したベレニケに逃亡しますが、オクタヴィアヌスに捕らえられ処刑されてしまいました。

学者

アルキメデス

アルキメデス ARCHIMEDES

アルキメデスはヘレニズム時代を代表する数学者、物理学者、そして天文学者です。シチリア島シラクサに生まれ、アレクサンドリアに留学し、エラストネスが館長を務めるアレクサンドリア図書館やムセイオンで研究に励みました。「てこの原理」の証明や「アルキメデスの原理(浮体の原理)」を発見したことは有名です。

故郷シラクサに帰ったアルキメデスは、シラクサ王の援助を受け研究に励みます。前3世紀の終わりに起こった第2次ポエニ戦争でシラクサがローマに攻撃された際は、投石器など様々な武器を開発してシラクサを助けました。前212年、アルキメデスは、図形の計算に夢中になっていたところをローマ兵に殺されてしまいました。

エラトスネス

エラストネス

エラストネスは、前3世紀のヘレニズム時代の重要な人文学者であり自然科学者であり、レクサンドリア図書館の第3代館長として40年間務めました。ホメロスなど古典の研究や哲学でも活躍し、一つの分野に限定されず、万能人として活躍しました。

エラトステネスの一番の功績は、夏至の6月21日にナイル上流の現在のアスワンにある深い井戸の底に太陽の光が差し込むことに気づいたことをきっかけに、地球の外周の大きさを正確に導き出したことです。他にも、素数を見つけるための「エラトステネスのふるい」といわれる方法を考え出し、素数が無限にあることを証明しました。

ヒュパティア

ヒュパティア

ヒュパティアはアレクサンドリア出身の天文学者であり数学者であり教師で、アレクサンドリア図書館の館長テオンの娘です。ヒュパティアは新プラトン主義の哲学学校で教えており、エジプトの長官オレステスや街の高官たちも助言を求めていました。

女性でありながら教養と知性があるヒュパティアは、キリスト教徒の間で敵視されるようになります。415年、教室の壇上にいたところをアレクサンドリア総主教キュリロスの手下である修道士達に「魔女だ」と捕らえられ連れ去られたのち、虐殺されてしまいました。

アレクサンドリアの関連作品

おすすめ本・書籍

アレクサンドリア (ちくま学芸文庫)

イギリス作家E.M.フォースターが、仕事でアレクサンドリアに駐在していた際に見たアレクサンドリアが描かれています。作者の土地への関心と興味がメモ書きのように書かれています。学者が書いた歴史学の本とは一味違ったアレクサンドリアが味わえます。

アレクサンドリアの興亡

アレクサンドリアの歴史がとても分かりやすく書かれています。アレクサンドリアの歴史とともに、それぞれの時代でアレクサンドリアに縁があった人々についての記述もあり、面白く読めます。著者は一人ではなく、何人かで手分けして書いたようです。

学術都市アレクサンドリア

学術都市として栄えたアレクサンドリアで、どのような学者たちがどのような学問を学び、広めたのかが描かれています。アレクサンドリア図書館や隣接するムセイオン、そこで研究に時間を費やす学者たちについて、時代ごとに説明されています。

おすすめの映画

アレクサンドリア

370年にキリスト教徒に魔女として惨殺された、アレクサンドリアの哲学者であり数学者であり天文学者であるヒュパティアの物語です。破壊されるアレクサンドリア図書館から、必死に書物を持って逃げようとする様子や、自宅で研究に明け暮れるヒュパティアが、とても美しく描かれています。

アレキサンダー プレミアム・エディション

アレクサンドリアを建設した、アレクサンドロス大王の生涯を描いた映画です。英雄として描かれることが多いアレクサンドロス大王ですが、この映画では人間臭い、時にちょっと情けないアレクサンドロス大王が描かれています。当時を再現した戦闘シーンや衣装、背景なども素晴らしいです。

クレオパトラ

エリザベス・テイラー主演の映画です。50年も前の映画とは思えないほどのスケールと衣装、豪華なセット、そしてエリザベス・テイラーの美しいクレオパトラが楽しめます。クレオパトラが、政治的な思惑を抱きながらもカエサルやアントニウスと恋に落ち、子供をもうけ、エジプトを守ろうとする様子がよくわかります。

アレクサンドリアに関するまとめ

アレクサンドリアについてご紹介しました。アレクサンドリアは、古代は地中海の貿易都市として、そして学術都市として栄え、ギリシャ、ローマ、イスラムとそれぞれの支配の元でその時代ごとに繁栄してきました。アレクサンドリアに縁ある人々は、私たちが歴史の勉強で見聞きした名前ばかりです。

現在のアレクサンドリアは、エジプト第2の都市として、また世界有数の観光地として人気です。今回の記事がきっかけとなって、様々な文化や時代のエッセンスが混じりあう街アレクサンドリアに、一人でも多くの人が興味を持ってくれると嬉しいです。

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