ファロスの大灯台
ファロスの大灯台とは、古代アレクサンドリアの代表的な建造物で、紀元前297~283年頃、アレクサンドリア港の入口にあったファロス島に建設されました。しかし、度重なる地震で崩れ落ち、長い間海の底に眠ったままの海底遺跡となっています。
1992年、ヨーロッパ海洋考古学研究所所長のフランス人フランク・ゴッディオが発掘プロジェクトを発足したことで海底の調査が始まり、かつてファロスの大灯台があった場所近くからは、灯台の一部と考えられる石柱が発見されました。
大灯台があった場所には、一部残った大灯台の上にカーイト・ベイ要塞建っていますが、今後は要塞付近の海底から、ファロスの大灯台の遺物が見つかる可能性が高いと言われています。
クレオパトラの宮殿
女王クレオパトラ7世の宮殿とは、アレクサンドリアでクレオパトラが暮らした宮殿です。8世紀におきた大地震と津波によって海の底に沈み、海底遺跡となっていました。1992年、ヨーロッパ海洋考古学研究所所長のフランク・ゴディオによるアレクサンドリア港の調査で、湾の南東部にあったアンティロドス島にクレオパトラの宮殿が建設されていたことが分かりました。
1996年に、海底に沈むクレオパトラの宮殿が発見されると、続いて1998年に小型のスフィンクスや、クレオパトラの憩いの場であった小宮殿跡からイシス神殿の神官の像が発見されます。他にも、当時の道や花崗岩でできた柱、ワインの壺などプトレマイオス朝時代の物が数多く見つかりました。
アレクサンドリアの謎
アレクサンドリアの大灯台が「世界七不思議の一つ」
アレクサンドリアの大灯台とは、先に述べたファロスの大灯台のことです。灯台の高さは134m(40階建てのビルに相当)で、その大きさ故、一体どうやって建設したのかという謎から「世界七不思議」の一つになりました。
地中海貿易の中継地点であったアレクサンドリアは、多くの船を安全に入港させるため、遠方から分かる目印が必要でした。そのため遠方からも見えるように白く輝く大理石で作られ、頂上に設置した大きな鏡に昼間は太陽の光を反射させ、夜はか灯り火を反射させました。
四角柱の基壇の上に八角柱の2段目があり、最上段は円柱となっていて、灯台の光は56km先からも見えたという伝説が残っています。
アレキサンドリア図書館「古代最大の公共施設」
アレクサンドリア図書館とは、学術都市アレクサンドリアの象徴となる大図書館です。プトレマイオス1世が建てたもので、ブルケイオン地区にあったと考えられますが、一つも遺跡が見つかっていません。紀元前47年、カエサルの攻撃で一度消失し、その後復興したものの5世紀になり全ての貴重な書物ごと消滅したとされています。
アレクサンドリア図書館には、文学、歴史、地理、天文学、数学、医学などあらゆる分野の書物が70万冊集められ、王立研究所ムセイオンも併設されていました。「幾何学言論」の数学者エウクレイデス、地球の外周を正確に測ったエラトステネス、他にもアルキメデス、ヘロンなど多くの学者たちがアレクサンドリアを訪れ、研究を重ねていました。
アレクサンドリアを歴史で振り返る
紀元前332年「ギリシアのマケドニア王アレクサンドロス大王によって建設される」
アレクサンドリアは、マケドニアのアレクサンドロス大王の東方遠征の際に建設されました。大王が各地に建設したアレクサンドリアのなかで、最も栄えたのがこのエジプトのアレクサンドリアでした。
紀元前306年「プトレマイオス朝が開かれる」
アレクサンドロス大王の死後、部下であり学友であったプトレマイオス1世が、エジプトの派遣争いを制し、王朝プトレマイオス朝を開きました。アレクサンドリアはその首都として発展し、最盛期の人口は100万人を超えたと言われています。
プトレマイオス朝は、古代エジプト王国最後の王朝(第32王朝)ですが、ギリシャ人の王家で純粋なエジプト人の王朝ではありません。しかし、東西交易の中継地点として農産物をはじめ様々な品物や商人が集まる地中海最大の都市として栄えました。
紀元前51年「クレオパトラ7世が即位」
エジプトでは、年月の経過とともに王位継承を巡る争いによって繰り返し内戦が勃発するようになりました。そのような中、紀元前51年、エジプト王国最後の女王となるクレオパトラ7世が即位します。当初は弟であるプトレマイオス13世とも共同統治でした。