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古関裕而とはどんな人?生涯・年表まとめ【代表作品や軍歌、家族構成、死因について解説】

古関裕而とは、昭和の日本の音楽界を支えた作曲家で、現在も多くの人々から愛されている楽曲を作曲した人物です。2020年には彼とその妻・金子の半生をモデルにした朝の連続テレビ小説「エール」が放映されており、古関裕而がモデルの主人公・古山裕一役には俳優の窪田正孝さんが起用されております。

古関裕而

彼は、行進曲や応援曲、軍歌などを多数の作品を手掛けております。中でも有名なのは、全国高等学校野球選手権大会のテーマソングである「栄冠は君に輝く」です。8月の甲子園大会期間中に、この楽曲を耳にした方は多いのではないでしょうか。

また、読売巨人軍の公式応援歌「闘魂を込めて」、阪神タイガース公式応援歌「六甲おろし」など、野球ファンの方なら一度は聞いたことのある応援歌も作曲しております。その他、東京オリンピック行進曲「オリンピック・マーチ」など、スポーツと深い繋がりのある楽曲を多数手がけております。

この記事では、「闘魂を込めて」など古関裕而楽曲に子供のころから慣れ親しんできた筆者が、古関裕而の生涯や周辺の人物との関わりについて、ご紹介いたします。

この記事を書いた人

一橋大卒 歴史学専攻

京藤 一葉

Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。

古関裕而とはどんな人物か

名前古関裕而
(本名・古關勇治)
誕生日1909年8月11日
没日1989年8月18日
生地日本 福島県福島市
没地神奈川県川崎市宮前区菅生
(聖マリアンナ医科大学病院)
配偶者古関金子
埋葬場所神奈川県川崎市多摩区南生田8-1-1 春秋苑
福島県福島市信夫山(古関家代々のお墓)

古関裕而の生涯をハイライト

古関裕而と妻・金子

古関裕而の人生をダイジェストにするとこのようになります。

  • 1909年8月11日、福島県福島市の呉服店「喜多三」の長男として生まれる。
  • 1929年7月にイギリス・ロンドン市のチェスター楽譜出版社募集の作曲コンクールに入選
  • 同年、9月にコロムビアレコードの専属作曲家として入社
  • 新民謡調の「船頭可愛や」がヒット
  • 「露営の歌」「暁に祈る」などの戦歌を戦時中に作曲
  • 戦後、「君の名は」などのラジオドラマ楽曲を担当
  • 「オリンピック・マーチ」「純白の大地」など、オリンピック楽曲も担当。
  • 「栄冠は君に輝く」など、スポーツ関連楽曲を作曲
  • 1989年8月18日、脳梗塞のため逝去。享年80歳。

古関裕而の父や弟、家族構成は?

生家・喜多三跡地

古関裕而は4人家族の長男として生まれました。裕而の父親である三郎次は、蓄音機を購入し、浪曲などを好んで聞いており、裕而が音楽好きになったのも父の影響からでした。しかし、第一次世界大戦の煽りや三郎次が友人の借金の保証人になったために、「喜多三」は経営難になってしまいました。

古関裕而と弟・弘之

裕而が上京後、三郎次は隠居し、好きな歌を歌っていたなど悠々自適な生活を送っております。跡を継いだ弟の弘之は福島市の新町の方に新たに小規模な「喜多三」を開店させ、店を続けておりました。父である三郎次は1938年にこの世を去りました。

また、母であるヒサは、1937年にヒットした「露営の歌」について裕而に手紙を送っており、近所の人々から褒められて嬉しかったという内容を送っております。その後、1943年にこの世を去り、この時、従軍慰問でベトナムにいた裕而は帰国を申し出るも受け付けられず、葬儀は1か月後に執り行われたそうです。

古関裕而の代表作品は?

甲子園

古関裕而の代表作として有名なのが、「全国高等学校野球選手権大会」のテーマ曲である「栄冠は君に輝く」です。この曲は、1948年に学制が変更となり「全国中等学校野球選手権大会」から現在の名称に代わる年であり、30回記念大会という節目の年に製作された楽曲です。

作詞は朝日新聞が募集した5252篇の中から、石川県の作詞家・加賀大介の詞が採用されました。ちなみに、採用されたときは加賀の婚約者である高橋道子の名前だったのですが、これは加賀が懸賞金目当てだと思われたくなかったため名前を使用したと、後に真相を語っております。

古関裕而と友人「古賀政男」はどんな関係だった?

古賀政男

古賀政男は古関と同時期にコロムビアレコードへ入社した同期の作曲家です。福岡県で生まれ、大正琴やマンドリンに親しみ、明治大学マンドリン倶楽部の創設などにも関わりました。その後、古賀はコロムビアレコードへ入社し、歌手である藤山一郎の楽曲「丘を越えて」などを手掛け、様々なヒット曲を手掛けました。

その、多くの楽曲は「古賀メロディー」として親しまれ、日本の音楽界に多大な影響を与えました。73歳の時に心不全で逝去しますが、その功績を称えられ、王貞治に次ぐ二人目の国民栄誉賞を受賞しました。同期の古関とは互いに夢を語り合い、互いに切磋琢磨した良きライバルのような関係性だったと言われております。

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