田中角栄(たなかかくえい)は、第64・65代内閣総理大臣を務めた、戦後の日本を代表する政治家です。貧しい家庭の出身で、最終学歴が「高等小学校」でありながら、戦後最年少で国務大臣を務め、内閣総理大臣まで駆け上った出世人としても知られています。
一方で、政界に進出した後は「お金」に関する豪快なエピソードには事欠かず、裁判沙汰になる事態にまで発展したケースもあります。
没後30年近く経った今でも、その名前を知らない人はほとんどいないのではないでしょうか。昭和を彩った偉人の中で「美空ひばり」を抑えて、「昭和天皇」の次に選ばれるほど、日本に影響や話題を与えた人物です。元東京都知事の石原慎太郎も角栄に関する書籍を出すほど魅了されていたのでした。
戦後の政治家は多数いますが、彼の思想や人柄、その頭のキレと人の心をつかむ力は常人の域をはるかに超えており、多くの人々が惹きつけられました。
石原慎太郎著の「天才」を読んで、田中角栄に興味を持った筆者が、様々な文献を漁って得た情報をもとに田中角栄の生涯、名言、エピソードなどについてご紹介していきたいと思います。
この記事を書いた人
一橋大卒 歴史学専攻
Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。
田中角栄とはどんな人物か
名前 | 田中角栄 |
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誕生日 | 1918年5月4日 |
没日 | 1993年12月16日 |
生地 | 新潟県刈羽郡二田村大字坂田 (現:新潟県柏崎市) |
没地 | 東京都新宿区信濃町 慶應義塾大学病院 |
配偶者 | 田中はな(坂本はな) |
埋葬場所 | 新潟県柏崎市 |
田中角栄の生涯をハイライト
田中角栄の生涯をダイジェストで紹介すると、以下のようになります。
- 新潟県刈羽郡二田村(柏崎市)に誕生。8人兄弟(長男は夭逝し、その後は1男6女)。
- 高等小学校での勉強の成績は良く、卒業時に総代として答辞を読む。
- 東京へ出て、建築事務所で働く。
- 第22回衆議院総選挙で初出馬、第23回総選挙で初当選を果たす。当時の角栄は28歳。
- 1948年(29歳)、「炭鉱国家管理疑惑」により逮捕される(のちに逆転無罪)。
- 1958年、39歳にして国務大臣(郵政大臣)に任命される。
- 1972年(54歳)、「日本列島改造論」発表。その翌月に自民党総裁選を勝ち取り、内閣総理大臣へ。
- 1974年(56歳)、「田中金脈問題」が明らかになり、失脚。
- 1976年(58歳)、「ロッキード事件」勃発。
- 1983年(65歳)、1987年(69歳)のロッキード事件第一審、第二審で懲役4年、追徴金5億円を言い渡される。
- 第39回総選挙を前に引退。1993年12月16日、誤嚥性肺炎により亡くなる。享年75歳。
田中角栄の家族構成は?娘や妻はどんな人?
田中角栄は農家の出身で、父・田中角次、母・フメの次男として誕生しました。兄弟は8人でしたが、兄が早逝したため、1男6女として過ごしていくことになります。
角栄自身の家族構成は以下の通りです。
- 父:田中角栄(第64・65代内閣総理大臣)
- 母:田中はな(坂本はな)
- 長男:田中正法(4歳で亡くなる)
- 長女:田中眞紀子(1993年から2012年まで衆議院議員。外務大臣、文部科学大臣を歴任。)
さらに角栄は妾との間に2男1女をもうけています。
妻・はなは建築事務所の家主の娘で、角栄よりも8歳年上の姉さん女房でした。はなは「将来、あなた(角栄)が天皇陛下に拝掲することがあれば同伴してください」と約束したそうです。
娘・眞紀子は第40回総選挙で新潟3区から当選すると、第1次小泉内閣で外務大臣を、第3次野田改造内閣では文部科学大臣を務めました。1998年の自民党総裁選では候補者の小渕恵三を「凡人」、梶山静六を「軍人」、小泉純一郎を「変人」と評し、話題となりました。
田中角栄の首相辞職理由や逮捕の理由とは?
田中角栄の逮捕理由は「田中金脈問題」によるものです。田中金脈問題とは、角栄の所有する企業が買った土地(4億円)を建設省の工事によって数百億円の価値にまで引き上げ、資産を作ったという疑惑です。
この問題が引き金となって内閣総辞職を余儀なくされ、首相退陣となるのでした。
田中角栄が関係した「ロッキード事件」とは?
ロッキード事件とは簡単に説明すると「賄賂を行った」ということです。ロッキード社という航空機メーカーが旅客機の受注を巡って、世界中の航空会社に賄賂を贈っていたのです。日本では全日本空輸(ANA)との取引の経過の中で、21億円の金銭が賄賂として動いたのではないかと疑惑を持たれました。
このANAの航空機受注の経緯で賄賂21億円のうち、5億円の賄賂が田中角栄に流れたという証言が出たのです。そのため、角栄と秘書の榎本敏夫が逮捕されることとなりました。
ロッキード事件は結局、角栄が亡くなるまでに判決が決まりませんでしたが、1995年、最終的に5億円の賄賂があったことが認定されるのです。
田中角栄に影響を与えた人物、受けた人物は?
角栄が影響を受けた人物は吉田茂、佐藤栄作、角栄のライバルとして福田赳夫も挙がるでしょう。
吉田茂とは角栄が政界へ進出してからわずか一年ほどで出会い、意気投合しています。角栄は5年後に自由党の副幹事長に任命され、佐藤栄作、池田勇人らとともに「吉田13人衆」に属していました。
影響を受けた人物の代表は元東京都知事の石原慎太郎です。
石原慎太郎は角栄を評して、「商売の天才。単なる金儲けの才能ではなく、人を見る目があり、鋭い。田中角栄ほど先見性に富んだ政治家はいなかった。」と語っています。