田中角栄の功績
功績1「最終学歴は高等小学校卒ながら内閣総理大臣へ」
田中角栄は最終学歴が高等小学校となっています。実家が貧乏であったことから旧制中学への進学を断念したため、高等小学校卒業と同時に就職しました。
しかし、20代後半から政界へ進出すると、戦後初の30代での国務大臣、戦後最年少での内閣総理大臣就任など大躍進しました。
貧乏苦労人からの出世で有名なのは豊臣秀吉です。秀吉は名前も付かないような地位から天下人に駆け上がり、最終的には天下統一を納めてしまうのでした。
角栄と秀吉の2人の共通点は人の心をつかむのが非常に上手かったことです。そのため、2人とも吉田茂や織田信長といった時の権力者にも好かれたのでした。
功績2「『日本列島改造論』の実行」
「日本列島改造論」は1972年の自由民主党総裁選にて田中角栄が発表した政策綱領で、書籍も出版されました。
主な内容は「工業再配置と交通・情報通信の全国ネットワークの形成をテコにして、人とカネとものの流れを巨大都市から地方に逆流させる”地方分散”を推進すること」です。
つまり、経済を活性化させつつ、交通網を発達させることによって大都市集中を避け、地方の活性化も計る政策ということです。
角栄はこの公約を掲げて自民党総裁選に勝利し、第64代内閣総理大臣となるのでした。
功績3「33本の議員立法を成立 」
議員立法とは、議員の発議によって成立した法律のことです。法律上、衆議院では20人以上、参議院では10人以上の賛成がないと提案することができません。
田中角栄は議員時代に33本もの議員立法を成立させており、政界に詳しい人たちに言わせると、これを超える政治家は出てこないだろうということです。角栄は法律を熱心に勉強しており、法律を変えることによって日本列島を改革しようとしたのでした。
戦後の法律はGHQによって作られたものばかりのため、日本が経済成長するには障害となるものが多かったのです。角栄はその障害を取り除くべく、法律を新しくし、経済成長を支えたのでした。
田中角栄の名言
「借り物でない自分の言葉で、全力で話せ。そうすれば、初めて人が聞く耳を持ってくれる。」
演説力は政治家の命と言われますが、田中角栄の演説力はずば抜けていました。官僚の心をつかむスピーチ、民衆の心をつかむ演説、角栄の言葉は人の心に響きます。それは、自分の伝えたいことを自分の言葉で伝えたからでしょう。
「時間の守れん人間は何をやってもダメだ。」
田中角栄は時間を守れるかどうかを人間を見る目安の一つとしていました。自分が時間をきっちり守ることはもちろん、部下や他人にもそれを当然のこととして扱っていました。さらには「人の悪口を言わない」ことも角栄のモットーだったのです。
「葬式は長い間お世話になった人との最後のお別れなんだ。人の道が分からなければ、ろくな政治家になれない。」
角栄は葬儀に関しては重きを置いていて、丁重な葬いをすることを良しとしていました。例えば、竹下登の父親が亡くなった時には、人口4000人の小さな村に、角栄率いる国会議員が70人近く訪れることになります。しかも、移動はチャーターの飛行機でした。
田中角栄の人物相関図
田中角栄にまつわる都市伝説・武勇伝
都市伝説・武勇伝1「数々の異名を持つ」
角栄は様々なあだ名を持っていました。
- コンピューター付きブルドーザー
- 闇将軍
- 今太閤
角栄は政治家としての発想力、決断力に優れており、考えついたことをすぐに行動に移し、世界をガラッと変えてしまうことから「コンピューター付きブルドーザー」と呼ばれていました。
また、ロッキード事件により、角栄は自民党を離党しましたが、選挙では1位当選をし続け、田中角栄派の議員によって政界への影響を持ち続けたため、「闇将軍」の異名がついています。
そして、先ほども述べましたが、角栄と秀吉の出世コースは非常に似ています。秀吉が貧しい身分から太閤になったことから由来して、角栄を「今太閤」と呼ぶようになったのでした。
都市伝説・武勇伝2「お金に関するエピソードの多さ」
ロッキード事件や田中金脈問題など、角栄はお金に関するエピソードに事欠きません。
上記の二つは他の見出しでも述べたので、それ以外のエピソードを挙げていきます。
- 進歩党の議員に300万円(現在の価値で15億円)の献金をして、衆議院議員へ推薦させる
- 角栄に300万円の借金を申し込んだ議員に「俺が困ったときは頼む。」と500万円を渡す
- 側近たちに「気持ちとして受け取ってくれ。」と2000万円以上のボーナスを渡す
都市伝説・武勇伝3 「相手の氏名を忘れた場合は下の名前を聞いて解決していた」
田中角栄は記憶力に優れていました。有権者の名前、年齢、仕事はもちろん、家族の年齢、そしてその悩みまですべて記憶していたのです。
しかし、時には名前を思い出せないことがあり、その場合には相手に向かって、「どなたでしたっけ?」と聞き、相手が苗字を答えると、「そうじゃない。苗字は知っているが、名前が思い出せないんだ。」と返していたそうです。