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ロスチャイルド家とはどんな家族?資産や年収、映画や書籍まで徹底解剖

「ロスチャイルド家は、何をして金持ちになったの?」
「ロスチャイルド家って、どんな一族なの?」

近年、都市伝説などで必ず名前が出てくる「ロスチャイルド家」ですが、実際にどのような一族なのか疑問に思ったことはありませんか?「ロスチャイルドが世界の富を独占している」「ロスチャイルドが世界を牛耳っている」などと言われているのを聞いたことがあるかもしれません。ロスチャイルドの名前は歴史の授業にも出てきませんし、ますます謎は深まっていきますよね。

ロスチャイルド家は、世界一裕福な一族と言われていて、19世紀以降、何世代にも渡って栄える一族です。現在も金融をはじめ、報道機関、ワイナリー、映画など様々な分野に関わり、各国の王室や政治家とも強く結びついています。

今回は、ロスチャイルド家の魅力にはまり、様々な本を読み漁った著者が、ロスチャイルド家がどのように始まり、どのように繁栄してきたのか一族の歴史を紐解きながら、謎に包まれたロスチャイルド家についてご紹介していきます。

ロスチャイルド家とはどんな家系か

マイアー・アムシェル・ロスチャイルド

ロスチャイルド家は、ヨーロッパの財閥、貴族で、莫大な富を何世代にも渡って受け継いでいる世界で最も裕福なユダヤ人の一族です。19世紀、ロスチャイルド家の始祖であるマイアー・ロスチャイルドが一族の基盤を作り上げました。ロスチャイルド家は、国家の利益よりも自分たちの利益を優先するような、国家に捕らわれない新しい勢力「国際金融資本家(国際金融業者)」の筆頭として、のし上がります。

ロスチャイルド家は、映画、ファッションなど文化的事業への貢献だけでなく、国際研究所やノーベル財団等など学術界においても大きな業績を挙げています。一方、ロスチャイルド家のビジネスが各国の政府機関や王室、各国の報道機関などと強く結びつき、軍需企業との結びつきがあることから、ロスチャイルド家は、世界の経済や政治に大きな影響を与えてきました。

世界各地に君臨する5つのロスチャイルド家

報道されない権力者 世界の真の支配者ロスチャイルド一族

ロスチャイルド家は、金貸し業を営みながら生活をしていた初代マイアー・アムシェル・ロスチャイルドから始まります。マイアーは、ドイツの名門貴族ヘッセン家のヴィルヘルム9世と知り合い、高利貸しとなって莫大な自己資金を得ました。その後、ロスチャイルド家を一層発展させ、ロスチャイルド家の基礎を固めたのがマイヤーの5人の息子たちです。

マイアーは、長男をフランクフルトに残し、残りの4人の息子たちをヨーロッパ列強であったフランス、イギリス、イタリア、オーストリアの首都に送りました。息子たちは兄弟ならではの強いネットワークを築き協力しあったことで、ロスチャイルド家は国際的に発展します。4か国に派遣された息子たちは、それぞれの国の政府と結びつき、貴族の称号を得てロスチャイルド家の基礎をつくると同時に、国際金融ビジネスの原型を作り上げました。

ロンドンのロスチャイルド家

ネイサン・メイアー・ロスチャイルド

ロンドンのロスチャイルド家は、マイアー・ロスチャイルドの3男ネイサン・ロスチャイルドが作りました。1810年にロンドン証券取引所の支配者フランシス・ベアリングが亡くなると、ネイサンが新しい支配者となり、世界一の金融王となります。

1815年、フランス軍とイギリス軍が戦ったワーテルローの戦いで、イギリス勝利の情報を入手したネイサンは、イギリス国債を売ることでイギリスの敗北を偽装し、自らは紙屑同然のイギリス国債を極秘に買い漁ったことで大儲けをしました。この出来事で多くの投資家と多くの名門家系が破産しましたが、ネイサンは約100万ポンドの利益を得、ロスチャイルド家の財産は2500倍に膨れ上がったといわれています。

1875年には、ロスチャイルド一族の融資によってイギリス政府がスエズ運河会社の最大株主となり、ロスチャイルド一族はイギリス政府との結びつきを強めていきました。ロンドンのロスチャイルド家は、現在に至るまでもイギリス王室や政府と結びつき、MI5やMI6の設立や近代化にも貢献しました。

パリのロスチャイルド家

ジェイコブ・マイエール・ド・ロチルド

パリのロスチャイルド家は、マイアーの5男であるジェイムス・ロスチャイルドがつくりました。ジェイムスは金融業だけでなく、鉄道事業に進出し「ヨーロッパの鉄道王」 と呼ばれ、他にも南アフリカのダイヤモンド鉱山や金鉱山への投資や、ロシアのバクー油田の利権を握るなど、交通産業・エネルギー産業・貴金属産業での権力を拡大しました。

先のワーテルローの戦いで敗れたフランスは、イギリス同盟国に賠償金の7億フランを支払わなければならず、ジェームスはこの支払いを公債として引き受けました。ジェームスは、この公債を売却して得たお金を投資家の貸付けに流用し、年間で50%の利息を稼いだといわれています。また、ジェームスはウィーンのサロモン・ロスチャイルドと協力し、ヨーロッパ全体を網羅する通信システムと馬車輸送のネットワークを作り上げました。

ウィーンのロスチャイルド家

ルイ・ロスチャイルド男爵の逮捕

ウィーンのロスチャイルド家は、マイアーの次男であるサロモン・ロスチャイルドが作りました。サロモンは、鉄道や製鉄所などへの投資で成功を収め、ハプスブルク帝国一の銀行家に。パリのジェームスと共に通信と馬車輸送のネットワークを築くなど、他国にいる兄弟たちと連携をとりロスチャイルド家の力を一層強めることに成功します。

しかし、ウィーンのロスチャイルド家は、5代目当主ルイ・ロスチャイルドが第二次世界大戦下にアメリカに亡命したことで、途絶えます。ナチスドイツに押収されたウィーンの邸宅や資産は、戦後にルイの元に返還されましたが、それらは全てオーストリアに寄付し、ウィーンに戻ることはありませんでした。アメリカに亡命後ニューイングランド地方バーモント州の農場に住み、家業の再開をしなかったルイは、ウィーンのロスチャイルド家の最後の当主となりました。

ナポリのロスチャイルド家

カール・マイアー・フォン・ロートシルト

ナポリのロスチャイルド家は、マイアーの4男カール・ロスチャイルドが始めました。1821年にオーストリア軍がナポリを占領したのをきっかけに、長男アムシェルによってナポリに派遣されました。カールは、ルイージ・デ・メディチ蔵相に接近し、良好な関係を作り上げると、ロスチャイルド家の銀行をナポリにおける主要銀行とすることに成功します。

1822年、カールは4人の兄弟ともに、オーストリア皇帝フランツ1世から男爵に叙せられます。1829年には、シチリアの在フランクフルト総領事に任命され、1832年1月にはローマ教皇グレゴリウス16世から騎士団勲章を受けています。

フランクフルトのロスチャイルド家

アムシェル・マイアー・フォン・ロートシルト

フランクフルトのロスチャイルド家は、マイアーの長男アムシェル・ロスチャイルドが引き継ぎました。大陸諸国に侵攻したナポレオンが、イギリスに経済的打撃を与えるため大陸封鎖令を出すと、ロンドンに渡ったネイサンと協力し、大陸にイギリス商品を密輸し、大陸各地に売りさばいて利益をあげました。

1812年に父マイアーが死去すると、アムシェルはロスチャイルド家の家長の座とフランクフルト・アム・マインの銀行を引き継ぎます。アムシェルには子供がいなかったため、フランクフルトのロスチャイルド家は2代目のアムシェルを最後に途絶えてしまいました。

ロスチャイルドの事業

バロン・ド・ロスチャイルド シャンパーニュ

金融事業

ロスチャイルド家は、石油、不動産、鉄道など様々な事業を展開してきましたが、元は金融業からスタートした銀行系財閥です。初代マイヤー・ロスチャイルドは金貸し業を営んでいたことから、宮廷御用商人となり、息子ネイサンはロンドンにわたり金融王として君臨します。

現在、ロスチャイルド家の金融部門は、ロンドン家のイヴリンとパリのデヴィッドが率いる投資銀行の「NMロスチャイルド・アンド・サンズ」、ロンドン家のジェイコブが率いる「RITキャピタルパートナーズ」、パリ家分家のベンジャミンが率いる「エドモンド・ロスチャイルド」、そして世界最大規模の独立系アドバイザリー企業「ロスチャイルド&カンパニー」などがあります。

ワイン事業

ロスチャイルド家は、ワイン愛好家が憧れるボルドー5大シャトーのうち2つを持っています。ロスチャイルド家は、1868年、「ドメーヌ・バロン・ド・ロートシルト・ラフィット社」を設立し、ワイン事業に本格的に参入しました。その後、1962年に「シャトー デュアール・ミロン」、1984年に「シャトー リューセック」、1990年に「シャトー レヴァンジル」などシャトーを取得しています。

また、ロスチャイルド家はボルドーだけでなく、チリの「ビニャ ロス ヴァスコス」、アルゼンチンでは「ボデガス カロ」の共同運営、2008年には中国で「ドメーヌ ド ロン ダイ」をスタートしました。その後北米や南米、南アフリカやオーストラリアのワイナリーも手に入れるなど、世界の銘醸地でワインを作っています。

ロスチャイルド家の紋章に記された5本の矢とは

ロスチャイルド家紋章

ロスチャイルド家の5本の矢とは、紋章に描かれている「手に握られた5本の矢」のことをいいます。ロスチャイルド家の始祖マイアー・アムシェル・ロスチャイルドは、5人の息子をそれぞれヨーロッパ各国に派遣し、一大金融網を築き上げました。5人の息子を一か所にとどまらせずそれぞれ違う国に派遣したことによって、戦争やユダヤ人への迫害が起きたとしても、1人または2人は生き残り家を守ることができます。

ロスチャイルド家の紋章にある「手に握られた5本の矢」は5人の息子たちの結束を表し、マイアーの遺言にもある通り、兄弟5人が協力してロスチャイルド家を盛り上げ、守るようにという意味で、兄弟5人を表した5本の矢が手にしっかり握られています。また、ロスチャイルド家のワイナリーがつくるワインのラベルにも5本の矢が描かれています。

ロスチャイルド家の資産

ロスチャイルド家の邸宅

ロスチャイルド家の資産は、推定総資産1京円と言われていますが、正確な数字は公表されていません。1940年時点での資産は、約5000億ドルと推定され、当時の全世界の富の半分を支配し、アメリカの全資産の2倍を有していたといわれています。

ロスチャイルド家は、その資産を守り増やすために「ロスチャイルド銀行の役員は一族で占めること」「事業内容は秘密とし厳守すること」などの厳しい家訓を守っているといわれています。ロスチャイルド家は、家族の多くがロスチャイルド系の企業に雇用されているか、または、一族の富を増やすための企業や事業に投資をおこなっています。

ロスチャイルド家の名言・家訓

  • ロスチャイルド銀行の役員は一族で占めること
  • 事業への参加は男子相続人のみとすること
  • 一族に過半数の反対がない限り宗家も分家も長男が継ぐこと
  • 婚姻はロスチャイルド一族内で行うこと
  • 事業内容の秘密を厳守すること

ロスチャイルド家の始祖マイアー・ロスチャイルドは遺言の中に息子たちへの「守るべき家訓」を残しました。この5つの家訓は、息子たちはもちろん、その跡の世代へと代々受け継がれていき、ロスチャイルド家の繁栄を支えたといわれています。

ロスチャイルド家と日本

世界の支配構造まとめ

ロスチャイルド家と日本の関わりは、幕末まで遡ります。パリのロスチャイルド家のジェームスは徳川家を支援し、ロンドンのロスチャイルド家のライオネルは薩長を支援しました。ロスチャイルド家は、明治以降の日本に対して影響力を持てるよう、伊藤博文と井上馨を育て、以降は榎本武揚、高橋是清、原敬を育てました。

三井家はロスチャイルド家と組んで日本の大財閥となり、日本の金融を動かすようになりました。1904年に日露戦争が起きると、ロスチャイルド家のアメリカにおける大番頭だったヤーコブ・シフは、日本に1000万ポンドの資金提供をしています。また、渋沢栄一が日本銀行の元となった第一銀行を作ったのは、パリのロスチャイルド家2代目当主のアルフォンソに目をかけられていたからとも言われています。

ロスチャイルド家の年表

1744年「マイアー・ロスチャイルド生まれる」

マイアー・アムシェル・ロートシルト

1744年、ロスチャイルド家の始祖となるマイアー・アムシェル・ロスチャイルドが、フランクフルトの「ゲットー」と呼ばれるユダヤ人地区に生まれました。当時のフランクフルトのユダヤ人には、公的な家名は許されていませんでしたが、マイアーの家族は赤い盾(roth Schild)の表札の付いた家に住んでいたことから、マイアーは後に「ロスチャイルド(ドイツ語:ロートシルト)」 を家名としました。

1769年「マイアーが宮廷御用商人になる」

フランクフルトゲットー

13歳で両親を亡くしたマイアーは、ハノーバー王国のユダヤ人銀行家オッペンハイム家に奉公し、宮廷御用商人の業務を学びます。20歳の時、フランクフルトのユダヤ人街で古銭の販売業を始めました。古銭の収集という趣味を通してフランクフルトの領主ヘッセン侯爵家のヴィルヘルム9世と縁ができたマイアーは、1769年26歳の時、ヘッセン侯爵家の宮廷御用商人となります。

1789年「ロスチャイルド家が正式な金融機関になる」

1789年、ロスチャイルド家はヘッセン侯爵家の正式な金融機関の一つに指名され、対外借款の仕事に携わります。1795年頃からは、ヴィルヘルム9世の大きな投資事業にも参加し、ロスチャイルド家は銀行家としてドイツ内だけでなく、ヨーロッパ中へと事業を拡大します。

1812年「マイヤー・ロスチャイルドが死去」

トミッキルーペ

1812年、マイアーが亡くなると、遺言のとおり長男アムシェルがフランクフルトの事業全て継承し、ウィーンでは二男ザロモンが、ロンドンではすでに移住した三男ネイサンが、ナポリでは四男カールが、パリでは五男ジェームズがそれぞれ事業を開始します。

1822年「男爵の称号を得る」

1822年、ハプスブルク家のフランツ1世により、ロスチャイルド一族全員に男爵の位をが与えられました。同時に、兄弟5人の団結を象徴する五本の矢を握るデザインの紋章も与えられました。

1914年「ロスチャイルド家の衰退が始まる」

19世紀後半になると、各国で起こった戦争の影響を受け、ロスチャイルド家の事業も衰退を始めます。フランクフルトの本家は、新しい金融の中心地ベルリンに移らなかったことと、後継ぎがいなかったため衰退し、ウィーンのロスチャイルド家もハプスブルク家の衰退とともに弱まりました。

1914年に勃発した第一次世界大戦の際には敵味方に引き裂かれました。最も栄えていたロンドンでは、戦争によってロスチャイルド銀行の大きな部分を占める公債発行が危険な投資になってしまい、戦後、ロスチャイルド家はこれまでの事業を守るのがやっとでした。

1838年「ナチスによる迫害」

ウィーンのユダヤ人大富豪のルイス・ロスチャイルドを逮捕したヒトラー

1938年にオーストリアがドイツに併合されると、ウィーンのロスチャイルド家の人々は、当主のルイ男爵を除き殆どがイギリスへ亡命しました。ルイはゲシュタポに連行されますが、全財産没収と国外追放を条件に釈放され、アメリカへ亡命します。

1940年、ナチスがフランスに侵攻しパリが陥落すると、パリのロスチャイルド家の人々もアメリカに亡命し、屋敷や銀行はナチスに押収されます。ロンドンのロスチャイルド家はナチスの被害を免れました。第二次世界大戦の影響は大きく、戦争が終わった時に残っていたロスチャイルド家はロンドン家とパリ家のみになってしまいました。

1950年「ロスチャイルド家の復興」

戦後、ロンドンのロスチャイルド家の復興は、分家のアンソニー・グスタフ・ド・ロスチャイルドを中心に、パリのロスチャイルド家の復興は、当主であるギー・ド・ロチルドを中心におこなわれました。特に、パリのロスチャイルド家の復興は目覚ましく、1957年には石油会社の設立、1967年にはロチルドフレールをロチルド銀行と改称しました。

現在

世界のヤング大富豪 ロンドン在住のデヴィッド・デ・ロスチャイルド

2003年、ロンドン家とパリ家の両銀行が統合され、「ロスチャイルド・コンティニュエーション・ホールディングス」が創設されました。現在は、スイスに本拠におく「エドモンド・ド・ロスチャイルド銀行」、パリ家とロンドン家が共同所有する金融持株会社「ロスチャイルド&カンパニー」、ロンドンに拠点をおく「キャピタルパートナーズ」の3つがおもな事業となっています。

ロスチャイルド家の関連作品

おすすめ本・書籍

金融のしくみは全部ロスチャイルドが作った

いかにロスチャイルド一族が、富を自分たちに集中させ、持続させてきたかが理解できます。ユダヤ人の陰謀論ではなく、現実にロスチャイルド家が、一族に富が集まるようにどのようなシステムを構築してきたのか、歴史的事件を追いながら紐解いています。

ロスチャイルド家 ユダヤ国際財閥の興亡

ロスチャイルド家とはどのような一族なのか、大まかな輪郭が理解できます。ロスチャイルド家がかかわった事業や文化的貢献がこれほど多いのか、とあらためて驚かされます。

広瀬隆『赤い楯』全4巻セット

表の世界ではなく裏の世界を知ることで、世の中のしくみがよくわかる、ということを説明してくれます。今までとは違った世界の歴史をみることで、新しい視野がひらけるのではないでしょうか。ただし、登場人物も多く、話が複雑なのである程度歴史の知識があるほうが、すんなりはいってくるかもしれません。

ロスチャイルド家に関するまとめ

ロスチャイルド家についてご紹介しました。ロスチャイルド家は、投資と金融からスタートし、フランフルとのゲットーに住む一市民から世界一の大富豪となりました。

長い間自分達の国を持っていなかったユダヤ人は、頼れる国がありませんでた。しかし、「国」という自分達を縛るものがなかったからこそ、一族が国境を越えて結びつき、世界一の大財閥というところまで昇り詰めることができたのではないでしょうか。

今回の記事が、ロスチャイルド家に興味を持つきっかけとなってくれたら嬉しく思います。

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