1812年「マイヤー・ロスチャイルドが死去」
1812年、マイアーが亡くなると、遺言のとおり長男アムシェルがフランクフルトの事業全て継承し、ウィーンでは二男ザロモンが、ロンドンではすでに移住した三男ネイサンが、ナポリでは四男カールが、パリでは五男ジェームズがそれぞれ事業を開始します。
1822年「男爵の称号を得る」
ナポレオン戦争が終わると、フランスの賠償金についての話し合いが行われました。しかし、ロスチャイルドはこの話し合いから弾き出されそうになります。
そこでパリのロスチャイルド家は、フランスの公債を大量に購入。それを一気に売却し、圧力をかけました。これが功をなしロスチャイルド家は会議に招かれました。
この時にオーストリア帝国の宰相クレメンスとの関係が始まります。会議のあと、ロスチャイルド家はクレメンスとの関係を深め、1822年に男爵位をハプスブルク家から与えられました。
また、五兄弟の団結を示す5本の矢を握る紋章も与えられます。ロスチャイルド家は男爵位を授けられてから、名前に貴族を示す「von(フォン)」や「de(ド)」を入れるようになりました。
1853年「水道会社の設立」
パリ家は1853年、オタンゲルなどの投資会社と共に総合水道会社ジェネラル・デゾーを設立しました。さらに5000株を所有し、大株主となります。資本金2000万フラン8万株で事業はスタート。
好調な滑り出しで1860年9月にはパリ市に、ジェネラル・テゾーが有利な条件をつけ、営業を譲渡しました。具体的には以下の6つです。
- 水道会社がセーヌ県の市町村とかわした給水契約のすべてと、同社が所有する全水利施設をパリ市に譲り渡す
- 給水管理権はパリ市が持つ。また、水道会社が契約者に給水するための十分な水量をパリ市は確保しなければならない
- 水道会社は水の配分と販売、水道管の建設、契約金の長州、商業的給水泉の管理義務を負う。さらにその収入を毎週パリ市の金庫に振り込まなければいけない
- 損害賠償として、総合水道会社の年間利益に相当する116万フランを総合水道会社は受け取る
- 管理費として、総合水道会社は年間35万フランを受け取る。また、総額360万フランを超えた収入分については、総合水道会社が超過分の4分の1を受け取る
- 契約期間は50年間。その間、総合水道会社はセーヌ県の市町村と新たな給水事業契約を結ぶことはできない。契約はパリ市が担う
要するに営業と仕入れをパリ市に任せ、水道会社は管理だけを行う契約です。しかも一定金額が毎年入ってくるほか、収入が一定金額を超えた場合は追加でもらえます。
会社はこの契約によって、毎年40万フランほど収入を増やしていきました。
1854年「帝政ロシアと敵対」
ロスチャイルド家はユダヤ人迫害を推し進めるロシア帝国と敵対的な関係にありました。1854年のクリミア戦争では、ロシアと敵対するイギリス・フランス・トルコの連合陣営を金銭面から支援し、さらに軍事費を調達。
トルコには莫大なお金を貸しました。結果、オスマン債務管理局(オスマン帝国の借金返済を促進する機関)の債権者である英仏と債務者のトルコ両方の財政の詳細を、ロスチャイルド家は知ることができる立場となりました。
ロシアがクリミア戦争に敗北し、ロシアはロシア領アメリカをアメリカへ売却します。しかし、再び財政が困窮してしまいロシアは公債を発行。これにロスチャイルド家パリ家当主が協力し、その報酬としてバクー油田でも最大のバニト油田をロシア政府から譲り受けました。
1914年「ロスチャイルド家の衰退が始まる」
19世紀後半になると、各国で起こった戦争の影響を受け、ロスチャイルド家の事業も衰退を始めます。フランクフルトの本家は、新しい金融の中心地ベルリンに移らなかったことと、後継ぎがいなかったため衰退し、ウィーンのロスチャイルド家もハプスブルク家の衰退とともに弱まりました。
1914年に勃発した第一次世界大戦の際には敵味方に引き裂かれました。最も栄えていたロンドンでは、戦争によってロスチャイルド銀行の大きな部分を占める公債発行が危険な投資になってしまい、戦後、ロスチャイルド家はこれまでの事業を守るのがやっとでした。
1838年「ナチスによる迫害」
1938年にオーストリアがドイツに併合されると、ウィーンのロスチャイルド家の人々は、当主のルイ男爵を除き殆どがイギリスへ亡命しました。ルイはゲシュタポに連行されますが、全財産没収と国外追放を条件に釈放され、アメリカへ亡命します。
1940年、ナチスがフランスに侵攻しパリが陥落すると、パリのロスチャイルド家の人々もアメリカに亡命し、屋敷や銀行はナチスに押収されます。ロンドンのロスチャイルド家はナチスの被害を免れました。第二次世界大戦の影響は大きく、戦争が終わった時に残っていたロスチャイルド家はロンドン家とパリ家のみになってしまいました。
1950年「ロスチャイルド家の復興」
戦後、ロンドンのロスチャイルド家の復興は、分家のアンソニー・グスタフ・ド・ロスチャイルドを中心に、パリのロスチャイルド家の復興は、当主であるギー・ド・ロチルドを中心におこなわれました。特に、パリのロスチャイルド家の復興は目覚ましく、1957年には石油会社の設立、1967年にはロチルドフレールをロチルド銀行と改称しました。
現在
2003年、ロンドン家とパリ家の両銀行が統合され、「ロスチャイルド・コンティニュエーション・ホールディングス」が創設されました。現在は、スイスに本拠におく「エドモンド・ド・ロスチャイルド銀行」、パリ家とロンドン家が共同所有する金融持株会社「ロスチャイルド&カンパニー」、ロンドンに拠点をおく「キャピタルパートナーズ」の3つがおもな事業となっています。
ロスチャイルド家の関連作品
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金融のしくみは全部ロスチャイルドが作った
いかにロスチャイルド一族が、富を自分たちに集中させ、持続させてきたかが理解できます。ユダヤ人の陰謀論ではなく、現実にロスチャイルド家が、一族に富が集まるようにどのようなシステムを構築してきたのか、歴史的事件を追いながら紐解いています。
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表の世界ではなく裏の世界を知ることで、世の中のしくみがよくわかる、ということを説明してくれます。今までとは違った世界の歴史をみることで、新しい視野がひらけるのではないでしょうか。ただし、登場人物も多く、話が複雑なのである程度歴史の知識があるほうが、すんなりはいってくるかもしれません。
ロスチャイルド家に関するまとめ
ロスチャイルド家についてご紹介しました。ロスチャイルド家は、投資と金融からスタートし、フランフルとのゲットーに住む一市民から世界一の大富豪となりました。
長い間自分達の国を持っていなかったユダヤ人は、頼れる国がありませんでた。しかし、「国」という自分達を縛るものがなかったからこそ、一族が国境を越えて結びつき、世界一の大財閥というところまで昇り詰めることができたのではないでしょうか。
今回の記事が、ロスチャイルド家に興味を持つきっかけとなってくれたら嬉しく思います。