ロスチャイルド家の現在の当主はだれか
現在、ロスチャイルド家は大きく分けてロンドン家・パリ家・パリ分家の3つです。当主はそれぞれ以下のようになっています。
ロンドン家:ジェイコブ(1990年〜)
パリ家:ダヴィド(2007年〜)
パリ分家:パンジャマン(1997〜2021年)
3人とも金融業や慈善活動で活躍し、たびたびニュースになっています。全盛期から廃れたとはいえ、今もなお、裕福な一族としてロスチャイルド家は注目されています。
ロスチャイルド家パリ分家当主パンジャマン氏の死亡理由とは?
2021年1月15日、パリ家分家の当主であり、スイスのプライベートバンク「エドモン・ド・ロスチャイルド」の経営者、パンジャマン・ド・ロスチャイルド氏が心臓発作で急死しました。
彼は金曜日の午後に、スイスにある自宅で亡くなっていたと発表されています。元から心臓が弱かったのか、定かではありません。しかし、突然の死だったことは間違いないでしょう。
彼には妻が1人と娘が4人います。ロスチャイルドの家訓では、事業への参加や後継は男子のみとなっています。今後、パリ分家がどうなっていくのか、これからの発表が気になりますね。
ロスチャイルド家にまつわる陰謀論
世界の経済を牛耳っている?
ロスチャイルドは世界の経済を手中に納めている、という話がまことしやかに囁かれています。その話によると、ロスチャイルド一族が、米国の中央銀行であるFRB(連邦準備制度理事会)を支配しているとされています。
これはロスチャイルド家が運営する銀行が、株主として関わっていることが由来となっています。この話の信憑性ですが、結論から言うとロスチャイルドが米国の中央銀行を支配するのは不可能です。
なぜなら、FRBは民間の銀行と政府が共同で運営しているからです。FRBを運営する7名の理事は大統領が指名し、上院が投票によって承認します。また、FRBの上司は議会で、運営の方針は彼らが決めます。
そのため、FRBは勝手に金融政策の目標を変更できません。ですから、これを根拠として、ロスチャイルド家が世界の経済を牛耳っているというのは、無理のある話と言えるでしょう。
原油の利権を握っている?
ロスチャイルドは原油の利権を握っている、という話も囁かれています。ロスチャイルド家はバクー油田の石油権益を得て、1883年にブニト(カスピアン・アンド・ブラックシー・ペトロリアム)を設立。
多くの石油業者と契約し、ロシア灯油の最大輸出業者として名を馳せました。1880年代後半には、東洋の市場へ進出しています。結果、世界市場の約22%をロシア灯油が占めるようになりました。
しかし、ロスチャイルド家の躍進は止まり、第二次世界大戦後は中東が市場の大半を占めました。そのため、ロスチャイルド家が原油の利権を握っているとは言えないでしょう。
ロスチャイルド家の歴史年表
〜1744年「マイアー誕生前のロスチャイルド」
マイアーが誕生する前のロスチャイルド家は、神聖ローマ帝国(現在のドイツ)の自由都市フランクフルトのユダヤ人居住区で暮らすユダヤ人の家でした。決して裕福な家ではなく、生活も貧しいものでした。
なにかと話題になるロスチャイルド家が、もとは一般的な家庭だったとは驚きですね。
1744年「マイアー・ロスチャイルド生まれる」
1744年、ロスチャイルド家の始祖となるマイアー・アムシェル・ロスチャイルドが、フランクフルトの「ゲットー」と呼ばれるユダヤ人地区に生まれました。当時のフランクフルトのユダヤ人には、公的な家名は許されていませんでしたが、マイアーの家族は赤い盾(roth Schild)の表札の付いた家に住んでいたことから、マイアーは後に「ロスチャイルド(ドイツ語:ロートシルト)」 を家名としました。
1769年「マイアーが宮廷御用商人になる」
13歳で両親を亡くしたマイアーは、ハノーバー王国のユダヤ人銀行家オッペンハイム家に奉公し、宮廷御用商人の業務を学びます。20歳の時、フランクフルトのユダヤ人街で古銭の販売業を始めました。古銭の収集という趣味を通してフランクフルトの領主ヘッセン侯爵家のヴィルヘルム9世と縁ができたマイアーは、1769年26歳の時、ヘッセン侯爵家の宮廷御用商人となります。
1789年「ロスチャイルド家が正式な金融機関になる」
1789年、ロスチャイルド家はヘッセン侯爵家の正式な金融機関の一つに指名され、対外借款の仕事に携わります。1795年頃からは、ヴィルヘルム9世の大きな投資事業にも参加し、ロスチャイルド家は銀行家としてドイツ内だけでなく、ヨーロッパ中へと事業を拡大します。
ナポレオン戦争で莫大な富を得る
1792〜1815年まで、フランス革命戦争とナポレオン戦争が勃発しました。自由主義を掲げるフランス軍はロスチャイルド家を含むドイツのユダヤ人たちにとって、国の束縛から解放されるチャンスでした。
また、ロスチャイルド家にとってはヘッセン・カッセル伯の好意に依存していた不安定な状態から脱する絶好の機会となりました。戦争中、ロスチャイルド家の三男ネイサンはイギリスに常駐し、綿製品を安く購入。ドイツへ送り、莫大な利益をあげました。
ネイサンはそのお金を元手に金融業を開始しました。
さらに1806年にナポレオンが大陸封鎖令を出し、支配下の国々にイギリスとの貿易を禁止。これはロスチャイルド家にとって大きなチャンスとなりました。
ロスチャイルド家は独自のルートでイギリスから商品を仕入れ、大陸各国に高値で売却。更なる大金を得たほか、物資不足で困っていた現地人から感謝されました。