マクシミリアン・ロベスピエールとは、革命期にあたる18世紀後半のフランスで活動した政治家であり、革命の中心人物の一人です。
王家による支配ではなく民衆による国家運営を理想とし、そのために尽力しながらも、結果としては恐怖による独裁政治を行い、その末にギロチンに消えた人物として知られています。
そのような独裁者として知られ、マリー・アントワネットの名誉回復と共に、より悪人としての側面がクローズアップされていきがちなロベスピエール。しかしその一方で、彼自身の人物像は「公正無私」「公明正大」で、多くの民衆から慕われていたという記録も残っています。
このように「語られる悪名」と「記録された人物像」の隔たりが、様々な歴史の中で見ても非常に大きいのが、ロベスピエールという人物。
この記事では、そんなロベスピエールの様々な側面を紹介していき、その悪名のみならず、評価すべきポイントにも迫りたいと思います。
マクシミリアン・ロベスピエールとはどんな人物か
名前 | マクシミリアン・フランソワ・マリー・ イジドール・ド・ロベスピエール |
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誕生日 | 1758年5月6日 |
没日 | 1794年7月28日 |
生地 | フランス王国、アルトワ州、アラス |
没地 | フランス共和国、パリ コンコルド広場(享年36) |
配偶者 | なし |
埋葬場所 | 不明 |
政治思想 | ジャコバン派 山岳派(モンテーニュ派) |
マクシミリアン・ロベスピエールの生涯をハイライト
現在では壮麗なタウンホールがある名所として知られる
マクシミリアン・ロベスピエールは、1758年5月に、フランス王国のアラスに生を受けました。弁護士の家系に生まれたロベスピエールですが、母の死去と父の失踪によって生活が一気に困窮するなど、その生活は順風満帆とはいかなかったようです。
そのような中でも、ロベスピエールは秀才ぶりを発揮。1755年にルイ16世が法学校を訪問した際には、学生代表としてラテン語の祝辞を捧げたという記録が残っています。その後も奨学金を得て、パリのリセ・ルイ=ル=グラン学園に進学。そこでも頭角を現したロベスピエールは、卒業の翌年に地元で弁護士となりました。
そして彼の転機となるのが1789年。選挙に出馬して勝利したロベスピエールは、ルソーの思想に影響を受けて『ジャコバン派』に所属。その後一時はジャーナリストとして下野するも、その際に発行した新聞でも国民からの支持を高め、権勢を強めていくことになります。
そうして再び政治の世界に舞い戻り、ルイ16世ら王族の処刑や、政敵であるジロンド派などの粛清を展開。同時期に公安委員会に選出され、国民からの指示は盤石になったように思われました。
国家のほぼ全権を掌握したロベスピエールは、「全人民が権利と富を持てる国を作る」という理想に進み始めますが、ここで彼に待ったをかけたのが「反革命派」。ロベスピエールは彼らを抑え込むために恐怖政治を導入し、反抗勢力に対しての粛清を断行。彼の理想とする「平等な権利と富の国」を、彼自身が台無しにしてしまうことになりました。
そして1794年。テルミドール反動と呼ばれるクーデターが勃発。ロベスピエールら、ジャコバン派の中心人物のほとんどが逮捕され、その多くが逮捕の翌日、コンコルド広場に送られて、ギロチンによってこの世を去りました。享年は36歳でした。
マクシミリアン・ロベスピエールの政治思想
ロベスピエールの政治思想は、一般的に「ジャコバン派」という名称で知られています。
正式には「憲法友の会」「ジャコバン協会、自由と平等の友」と呼ばれるそれらの政治的結社は、現在の一般通念的には極左に属する政治思想団体であり、「王統政治の廃止」を訴える、当時のフランス革命における中心的な勢力でした。
ロベスピエールはその中でも「山岳派(モンターニュ派)」と呼ばれる急進的な勢力に所属しており、実は一口に「ジャコバン派」と言っても、内部には穏健派のジロンド派、中立派のフイヤン派も存在し、正確に「ロベスピエールの政治思想」を答えるなら、「ジャコバン派内の急進勢力である”山岳派(モンターニュ派)”」と答えるのが正答となります。
そして、ロベスピエールが信奉した山岳派、ひいてはジャコバン派による政治がどうなったのかは、歴史がそのまま語る通り。国民からの支持を得つつ、次第に理念と実情の隔たりが大きくなっていったジャコバン派は、国民から見放される形で急速に衰退していくこととなりました。
この「ジャコバン派」は、恐怖政治の代名詞として「テロリズム」という言葉の語源とされたり、「左翼」「左派」などの政治思想の語源となったりと、良かれ悪しかれ現代にも影響を残しています。
マクシミリアン・ロベスピエールが影響を受けた / 与えた人物
革命を志したとされている
ロベスピエールが強い影響を受けた人物としては、ジャン=ジャック・ルソーがとくに有名です。
ロベスピエールはルソーの説いた「社会契約説」に強い影響を受けており、その中で説かれていた民主政治や公共の福祉などを国家の理想形として考えていたようです。事実として、公安委員会に選出されて以降のロベスピエールは、そのような国家体系を実現するために様々な尽力を行っていたという記録が残っています。
ロベスピエールの事を非常に尊敬していたとか
また、フランス皇帝として知られるナポレオン・ボナパルトは、元を正せばロベスピエールが布いた政治体制の中で見出された人物であり、ロベスピエールに対して「処刑されていなければ、誰より優れた人物になった」と評するほどに、強い尊敬の念を持っていたと言われています。
「革命の英雄」であるナポレオン・ボナパルトが、実は「恐怖政治の独裁者」であるロベスピエールによって頭角を現していたという事実。そのような部分にも、なんとなく歴史の面白みが感じられるようです。
マクシミリアン・ロベスピエールの最期
ルイ16世を処刑した執行人シャルル=アンリ・サンソンの手で
ギロチンにかけられて死亡した
「誰もが平等に権利と富を持てる国」を目指しながら、その理想を自分自身の手で壊し、指示を失ってしまったロベスピエール。そんな彼の最期は、あまりにも皮肉なことに「民衆からのクーデター」によって訪れました。
容赦ない弾圧や、強権的な政治体制に不信を抱いた民衆によって「暴君」のレッテルを張られたロベスピエールは、1794年7月27日の『テルミドール反動』によって逮捕。逮捕の直前、パリ市庁舎に立てこもって自殺を図るも死にきれず、重症を負っての逮捕だったと言います。
そしてその翌日である7月28日。マクシミリアン・ロベスピエールは、弟のオーぎゅすタン・ロベスピエールや、右腕であるルイ・アントワーヌ・ド・サン=ジュストと共に、ギロチンにかけられて36年の生涯に幕を下ろしました。
この時ロベスピエールの処刑を執行したのは、執行人の家系であるシャルル=アンリ・サンソンでした。彼はロベスピエールからすると皮肉なことに、王党派でありながらルイ16世やマリー・アントワネットの処刑を、ロベスピエールに命じられた人物だったとも伝わっています。
マクシミリアン・ロベスピエールの”恐怖政治”とは?
ロベスピエールの布いた政治体制は、現在では一般に「恐怖政治(terreur)」と呼ばれ、「テロリズム」という言葉の語源として、現代にまで影響を残しています。
では、ロベスピエールの布いた「恐怖政治」とは、一体どのようなものだったのか。
ここでは、後年「ロベスピエールの政治」を語る際によく言われる「三本の柱」と共に、簡単に紹介していきたいと思います。
勝利(ヴィクトワール)
この「勝利」という思想があったからこそ
ロベスピエールは、対外的な戦争に臨むにあたって「アマルガム法」と呼ばれる法律を施行して「徴兵制」を採用。これまで一般的だった「貴族階級の指揮官と、平民階級の兵士」という制度を撤廃し、完全実力主義の「愛国的革命軍」を発足しました。
この愛国的革命軍の発足は、当時かなり弱体化していたフランスの国境回復や戦勝に大きく貢献。ナポレオン・ボナパルトが頭角を現したのも、この「愛国的革命軍」の影響が大きく、ともすればロベスピエールが後の世に与えた、最も大きな影響だと言えるかもしれません。
恐怖(テルール)
ロベスピエールによる粛清の嵐がフランス全土に吹き荒れた
反対勢力の処刑や、政敵への粛清など、おそらくロベスピエールという人物の政治体制を最も象徴するのはこの言葉でしょう。
ルイ16世やマリー・アントワネットなどの王家の人間を処刑したことはもとより、元は同じジャコバン派でしたが、山岳派の急進政策についていけずに脱退した、フイヤン派やジロンド派の粛清を行ったことは、フランス革命を少しでも知っていれば耳にしたことがあるかと思います。
さらに公安委員会による独裁に疑問を投げかけた、ジロンド派内部の者も粛清するなど、「独裁」と呼ぶのも生温いような「恐怖による統治」を行ったのも、晩年のロベスピエールの大きな特徴です。
美徳(ヴェルチュ)
皮肉にも彼から人心が離れるきっかけとなってしまう
革命を終え、独裁体制を敷いたロベスピエールは、フランスの非キリスト教化を主導。「革命によって成立した自由と共和制」を神として国民に崇めさせるため、「最高存在の祭典」を計画、断行しました。「祖国愛」を訴え、国民の一致団結を求めるこの祭典は、音楽や演劇、マスゲームが行われる非常に華やかなものだったと記録されています。
しかし、この祭典を断行してしまったことで「ロベスピエール=独裁者」という認識が更に広まってしまうことになってしまいました。
そして祭典から約2か月後。皮肉にもロベスピエールは、自身の理想とした「祖国愛」を訴えた民衆の手で逮捕され、そのままギロチンに送られることになるのです。
マクシミリアン・ロベスピエールの功績
功績1「カリスマ的指導者として革命期のフランスに君臨した」
革命期の国民からの支持は本物だった
「独裁者」という悪名と共に語られることの多いロベスピエールですが、革命期にフランス国民から絶大な人気を集めたことは、忘れてはならない事実です。
頭が良く、理想に燃え、公明正大に妥協なく理想に突き進んだ彼の姿は、その終わりこそ「独裁者としてギロチンで処刑される」というものでしたが、現代に生きる我々が見習うべき部分も、多々あるかと思われます。
事実、彼の祖国であるフランスにおいては、「腐敗していた王制を打倒した革命家としての賞賛」「革命期における必要悪としての同情」等の、プラスの意見が寄せられる傾向が強く、これもまたロベスピエールに対する評価を難しくしています。
功績2「実は民主主義の先駆けを行った人物?」
実はロベスピエールこそがその先駆けだった…?
多くの人々から熱狂的な支持を受けて君臨し、最終的にはその人々から「暴君」として処刑されたロベスピエール。
しかし彼が施行していた政治体制は、実は現在の民主主義に通じる、非常に現代的なものでもありました。基本的にロベスピエールの支持層は、当時のフランス全人民の8割以上に当たる一般市民や無産労働者が大多数を占めていたと書けば、彼の理想とした政治体制がどのようなものだったのかは想像いただけるでしょう。
とはいえ、晩年の彼が「恐怖政治」を布いて人民を苦しめたことも事実。この辺りについても、やはりロベスピエールという人物の難しさが表れていると言えそうです。
功績3「あのナポレオンからも尊敬された 」
実は少しだけ関係性があり…?
ロベスピエールの政治体制が、ナポレオンが頭角を現すきっかけとなったことは、前のトピックでも書かせていただいた通りです。
ナポレオンはロベスピエールの弟であるオーギュスタンと交流があり、その関係性や戦術眼もあってフランス軍内での地位を高めていきました。元々は平民身分だったナポレオンが、ここまで語り継がれる英雄となれたのは、ロベスピエールが実力主義の軍隊を作った事も理由の一つだと言えるでしょう。
ナポレオンは後に、ロベスピエールの死に際して「もし彼が処刑されていなかったら、この世でも最も優れた人物になっただろう。私と彼が出会わなかったことを残念に思う」というコメントを残しています。
「革命の英雄」と「独裁者」。響きこそ全く違いますが、それらの関係性を知ってからロベスピエールとナポレオンの関係性を考えると、また違った物の見方ができるかもしれません。
マクシミリアン・ロベスピエール]の名言
徳なき恐怖は忌まわしく、恐怖なき徳は無力である。
ロベスピエールの政治思想を、これ以上なく表した発言です。
理想に燃えながらも、人民には恐怖を布いて政治を行ったロベスピエール。決して褒められたところではありませんが、歴史を知るために考え続けねばならない発言でもあるでしょう。
マクシミリアン・ロベスピエールにまつわる都市伝説・武勇伝
都市伝説・武勇伝1「「イケメン?フツメン?」定まらないロベスピエールの見た目」
ロベスピエールは一般に、「整った顔立ちと凛とした振る舞いの人物」「しかし生涯独身を貫き、女性から高い人気を誇った」とも言われています。肖像画の爽やかな感じからすると、たしかにそんな印象を抱かれるのも頷けるでしょう。
しかし一方で、デスマスクから復元されたロベスピエールの顔立ちは、あばた面でどうにも陰湿そうな印象。細部の印象こそ同じですが、女性から人気が出そうな顔立ちかと問われれば……。
と、このようにロベスピエールの見た目というのは、現在でも明確に定まっておらず、ここも議論の余地がある部分となっています。
恐怖政治の独裁者は、イケメンだったのか、そうでなかったのか。功績そのものには何ら影響しない部分ですが、天草四郎のような「情報操作」の意味でイケメン説がある人物もいる以上、考えてみるのも面白いかもしれません。
都市伝説・武勇伝2「誠実で清廉潔白。多くの人から支持された人柄の持ち主」
市民からの尊敬は非常に厚かったのだとか
後年「独裁者」となったことで、さぞ優雅な暮らしをしていたのだろうと思われがちなロベスピエールですが、実は彼の私生活は非常に質素で、私物や金銭などは必要最低限のもの以外持っていない人物だったと記録されています。
その無私ぶりは徹底していたようで、処刑される直前の彼は、政治の実質的なトップでありながら、下宿先に借金をしていたという記録まで残っているようです。
そのように、人々の上に立ちながら、あくまでも質素かつ紳士的で清廉潔白な振る舞いをしていたロベスピエールは、当然のように市民から尊敬を集めており、ロベスピエールの演説の日には、近隣の女性がこぞって詰めかけたというエピソードも残されています。前述の「イケメン説」も、こういった人格的な評価が影響したのかもしれませんね。
しかしその一方で、政敵や一部の市民からは「完璧主義で冷酷な人物」と評価されていた記録も残っており、やはり「独裁者」としての冷酷な一面も、ロベスピエールの一側面だったことが裏付けられています。
マクシミリアン・ロベスピエールの簡単年表
この頃のロベスピエールは、懸賞論文での受賞などの実績を積み重ねはするものの、後に政治家として頭角を現すような行動は、まだほとんど起こしていませんでした。
また、フランス国王一家が国外逃亡を図った「ヴァレンヌ事件」もこの年に起こっており、フランス国民の革命感情は、まもなく最高潮に達しようとしていました。
また、ルイ16世やマリー・アントワネットが捕らえられ幽閉される8月10日事件もこの年に勃発。その処遇をめぐって議会が紛糾するなか、ロベスピエールは彼らの処刑を求める演説を、12月に行っています。
その中でもロベスピエールは「公安委員会」に選出され、強権的とも言えるやり口で国家体制の変革を強行。その理想こそ尊いものでしたが、結果としてフランス中に粛清の嵐が吹き荒れることになり、公的記録では2万人以上(獄中死も含めると4万人とも)が、ロベスピエールの命令でギロチンに送られる悲劇となりました。
その祭典は非常に華やかでしたが、ロベスピエールが反対を押し切ってこれを断行してしまったことで「ロベスピエールは新たな王になることを目指しているのではないか」という疑念が国民たちに浸透。結果として、「祖国愛」とは真逆の方向に国民感情が進むきっかけとなってしまいました。
「暴君を倒せ!」という号令とともに始まったこのクーデターに対し、ロベスピエールらはパリ市庁舎に立てこもって市民に蜂起を呼びかけますが、もはやロベスピエールの言葉に耳を貸す者はおらず、衛兵すら闇に乗じて逃げていく有様だったそうです。
結局、全てに見放されたロベスピエールは自殺を図るも死にきれず、重症を負った状態で逮捕され、革命裁判にかけられることになってしまいました。
皮肉なことに、ロベスピエールは自ら処刑を決定したルイ16世、マリー・アントワネットや、粛清してきた政敵たちと同様、執行人であるシャルル=アンリ・サンソンの執行でこの世を去ったのです。
マクシミリアン・ロベスピエールの関連作品
おすすめ書籍・本・漫画
ロベスピエール
単純なロベスピエールの伝記であり、思想的な解説がほとんどない分、かえってフラットな観点からロベスピエールについて学ぶことができる一冊です。
思想的な部分の評価が両極端な人物であるだけに、こういった形の本はむしろ学びの初歩としてはかなり良い本かと思われます。これからロベスピエールや、フランス革命について学びたい方にお勧めです。
ナポレオン ―獅子の時代―
史実においてもロベスピエールに強い影響を受けた、ナポレオンの一生をかなり独特の形で描いた歴史漫画作品です。
この作品のロベスピエールは、見た目も言動もかなりアクの強い人物として描かれ、一度見れば忘れられなくなること間違いなし。「学ぶ」という意味では少々微妙ですが、興味を持つとっかかりとしては悪くない作品だと思われます。
革命のライオン 小説フランス革命1
フランス革命を描いた、長編歴史小説です。多少の知識があることは前提となってしまいますが、分かりやすさと興味深さを兼ね備えているという意味では、下手な参考書を読むよりもためになる作品だと言えます。
全体を通して「絶対悪」という人物が存在しないのも大きなポイント。時間はかかりますが、この作品を読み終えてから、一度「フランス革命」の是非について考えてみてほしいと思います。
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ミュージカル『ひかりふる路~革命家、マクシミリアン・ロベスピエール~』
ロベスピエールを主人公に据え、フランス革命の光と影を見事に描いたミュージカル作品です。
宝塚的な美しい演出や構成はもちろんながら、単純な善悪二元論では語れない部分を見事に描き切る手腕は、まさに「お見事」の一言。ミュージカルのため好みは分かれますが、単純な歴史ロマンとしても楽しんでいただきたい作品です。
ダントン
フランス革命期、ロベスピエールと協調し、最後には相争うこととなったジョルジュ・ダントンを主役に据えた映画作品です。ロベスピエールはもちろん主要人物として登場し、話を大きく動かすファクターとなっています。
かなり古い映画ですが、俳優陣の熱演もあって緊張感が凄まじく、一口に語られる「フランス革命」の影の部分をありありと見せつけられる傑作だと言える作品です。派手さはないが重厚な映画が見たい方にお勧めしたい一作となっています。
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シュヴァリエ ~Le Chevalier D’Eon~
冲方丁による小説作品のアニメ版です。18世紀フランスに実在したスパイ、シュヴァリエ・デオンを主人公に、基本は創作によるフランス革命期が舞台ですが、その時々で史実と連続する世界観で物語が展開されていきます。
史実とは完全に離れている作品ですが、ところどころに歴史考証が光る作品でもありますので、一度フランス革命について学んでみてから見ていただけると、新たな楽しみが発見できるかもしれません。
関連外部リンク
マクシミリアン・ロベスピエールについてのまとめ
日本においては、一般に「独裁者」としての認識が強く、悪名が広まっている印象が強いロベスピエール。しかし一方で、祖国であるフランスでは「革命における必要悪」と同情の声が寄せられるなど、どうにも評価の定めづらい人物である印象です。
しかし、考えてみればそういった部分は、どんな人物であれ同じこと。実は良い母親だったことが明らかになったマリー・アントワネットや、革新者であり虐殺者でもある織田信長など、歴史における多くのエピソードは、様々な情報や視点によって変わることが殆どです。
ですので、この記事を読んでくださった皆様も、ロベスピエールを「ただの独裁者」で済ませるのではなく、彼が何を思って革命に臨んだのか。ほかに手段はなかったのかなど、多くの視点から考えて行ってみてほしいと思います。
それでは、この記事におつきあいくださいまして、誠にありがとうございました。
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