マクシミリアン・ロベスピエールとはどんな人?名言や恐怖政治、最後の様子も紹介

マクシミリアン・ロベスピエールの簡単年表

1758年 – 0歳
フランス王国・アラスにて生を受ける

この年、フランス北部・アルトワ州のアラスにて、マクシミリアン・ロベスピエールは生を受けました。両親は結婚してからまだ4か月しか経っていませんでしたが、父は祖父の代から続く弁護士家業を継いだエリートだったため、生活に不自由はなかったと言われています。
1764年 – 6歳
母の死

この年、彼の母であるジャクリーン=マルゲリット・カローが急逝。父はこれ以降しばらく再婚をすることはなく、マクシミリアンとその弟妹達は、父によって養育されることになりました。
1768年 – 10歳
父の蒸発によって家長に

この年、父であるマクシミリアン=バルテレミー=フランソワ・ド・ロベスピエールが、多額の借金を残して蒸発。これによって幼いマクシミリアンは家長の座を継ぐことになりましたが、父の遺した借金などの影響もあって、生活は一気に困窮することになりました。
1774年 – 16歳
学生代表としてルイ16世にラテン語の祝詞を述べる

困窮した生活の中でも、学問分野で頭角を現したロベスピエールは、奨学金を得つつ学業に邁進。16歳になったこの年には、ラテン語の最優秀成績者として、ルイ16世に対してラテン語の祝詞を贈ったことが記録されています。
1781年 – 23歳
アラスで弁護士として働き始める

奨学金を得ててパリのリセ・ルイ=ル=グラン学院を卒業したロベスピエールは、この年には地元で弁護士として働き始めます。

この頃のロベスピエールは、懸賞論文での受賞などの実績を積み重ねはするものの、後に政治家として頭角を現すような行動は、まだほとんど起こしていませんでした。

1789年 – 31歳
全国三部会の選挙に立候補。政治の世界へ

革命の機運が高まり始めたこの時期、三部会の招集に伴う選挙に立候補したロベスピエールは見事に当選。憲法制定国民議会のジャコバン派に所属し、演説に代表される政治的な能力を高めていきました。
1791年 – 33歳
ジャーナリストに転身 ~一時の下野~

1791年憲法が制定されたこの年、ロベスピエールは一度、政治家からジャーナリストへと転身。『有権者への手紙』という新聞を発行し、これによって国民からの熱狂的な支持を集めることに成功しました。

また、フランス国王一家が国外逃亡を図った「ヴァレンヌ事件」もこの年に起こっており、フランス国民の革命感情は、まもなく最高潮に達しようとしていました。

1792年 – 34歳
国民公会選挙でトップ当選 ~独裁者のはじまり~

ヴァレンヌ事件以降、ジロンド派やフイヨン派を半ば追い落とし、ジャコバン派の中核に食い込んだロベスピエールは、国民からの後押しも受けて国民公会選挙でトップ当選を果たします。

また、ルイ16世やマリー・アントワネットが捕らえられ幽閉される8月10日事件もこの年に勃発。その処遇をめぐって議会が紛糾するなか、ロベスピエールは彼らの処刑を求める演説を、12月に行っています。

1793年 – 35歳
処刑と粛清の横行 ~恐怖政治へ~

この年の1月、ルイ16世の処刑が執行。10月にはマリー・アントワネットの処刑も執行され、ロベスピエールの率いるジャコバン派が、国政を掌握することになりました。

その中でもロベスピエールは「公安委員会」に選出され、強権的とも言えるやり口で国家体制の変革を強行。その理想こそ尊いものでしたが、結果としてフランス中に粛清の嵐が吹き荒れることになり、公的記録では2万人以上(獄中死も含めると4万人とも)が、ロベスピエールの命令でギロチンに送られる悲劇となりました。

1794年6月8日 – 36歳
最高存在の祭典を断行

この日、ロベスピエールは国民たちの団結や祖国愛を訴えるための「最高存在の祭典」を断行しました。

その祭典は非常に華やかでしたが、ロベスピエールが反対を押し切ってこれを断行してしまったことで「ロベスピエールは新たな王になることを目指しているのではないか」という疑念が国民たちに浸透。結果として、「祖国愛」とは真逆の方向に国民感情が進むきっかけとなってしまいました。

1794年7月27日 – 36歳
テルミドール反動

この日、国民公会でロベスピエールらジャコバン派中核の逮捕が決定。民衆が彼の行う恐怖政治に耐えかねてしまったことが、証明される形のクーデターの発生でした。

「暴君を倒せ!」という号令とともに始まったこのクーデターに対し、ロベスピエールらはパリ市庁舎に立てこもって市民に蜂起を呼びかけますが、もはやロベスピエールの言葉に耳を貸す者はおらず、衛兵すら闇に乗じて逃げていく有様だったそうです。

結局、全てに見放されたロベスピエールは自殺を図るも死にきれず、重症を負った状態で逮捕され、革命裁判にかけられることになってしまいました。

1794年7月28日 – 36歳
皮肉な処刑 ~ギロチンの刃に消える~

革命裁判にかけられたロベスピエールは、ほとんどまともな裁判も受けられぬままギロチンの刃によって斬首され、36歳でこの世を去りました。

皮肉なことに、ロベスピエールは自ら処刑を決定したルイ16世、マリー・アントワネットや、粛清してきた政敵たちと同様、執行人であるシャルル=アンリ・サンソンの執行でこの世を去ったのです。

マクシミリアン・ロベスピエールの関連作品

おすすめ書籍・本・漫画

ロベスピエール

単純なロベスピエールの伝記であり、思想的な解説がほとんどない分、かえってフラットな観点からロベスピエールについて学ぶことができる一冊です。

思想的な部分の評価が両極端な人物であるだけに、こういった形の本はむしろ学びの初歩としてはかなり良い本かと思われます。これからロベスピエールや、フランス革命について学びたい方にお勧めです。

ナポレオン ―獅子の時代―

史実においてもロベスピエールに強い影響を受けた、ナポレオンの一生をかなり独特の形で描いた歴史漫画作品です。

この作品のロベスピエールは、見た目も言動もかなりアクの強い人物として描かれ、一度見れば忘れられなくなること間違いなし。「学ぶ」という意味では少々微妙ですが、興味を持つとっかかりとしては悪くない作品だと思われます。

革命のライオン 小説フランス革命1

フランス革命を描いた、長編歴史小説です。多少の知識があることは前提となってしまいますが、分かりやすさと興味深さを兼ね備えているという意味では、下手な参考書を読むよりもためになる作品だと言えます。

全体を通して「絶対悪」という人物が存在しないのも大きなポイント。時間はかかりますが、この作品を読み終えてから、一度「フランス革命」の是非について考えてみてほしいと思います。

おすすめの映画

ミュージカル『ひかりふる路~革命家、マクシミリアン・ロベスピエール~』

ロベスピエールを主人公に据え、フランス革命の光と影を見事に描いたミュージカル作品です。

宝塚的な美しい演出や構成はもちろんながら、単純な善悪二元論では語れない部分を見事に描き切る手腕は、まさに「お見事」の一言。ミュージカルのため好みは分かれますが、単純な歴史ロマンとしても楽しんでいただきたい作品です。

ダントン

フランス革命期、ロベスピエールと協調し、最後には相争うこととなったジョルジュ・ダントンを主役に据えた映画作品です。ロベスピエールはもちろん主要人物として登場し、話を大きく動かすファクターとなっています。

かなり古い映画ですが、俳優陣の熱演もあって緊張感が凄まじく、一口に語られる「フランス革命」の影の部分をありありと見せつけられる傑作だと言える作品です。派手さはないが重厚な映画が見たい方にお勧めしたい一作となっています。

おすすめアニメ

シュヴァリエ ~Le Chevalier D’Eon~

冲方丁による小説作品のアニメ版です。18世紀フランスに実在したスパイ、シュヴァリエ・デオンを主人公に、基本は創作によるフランス革命期が舞台ですが、その時々で史実と連続する世界観で物語が展開されていきます。

史実とは完全に離れている作品ですが、ところどころに歴史考証が光る作品でもありますので、一度フランス革命について学んでみてから見ていただけると、新たな楽しみが発見できるかもしれません。

関連外部リンク

マクシミリアン・ロベスピエールについてのまとめ

日本においては、一般に「独裁者」としての認識が強く、悪名が広まっている印象が強いロベスピエール。しかし一方で、祖国であるフランスでは「革命における必要悪」と同情の声が寄せられるなど、どうにも評価の定めづらい人物である印象です。

しかし、考えてみればそういった部分は、どんな人物であれ同じこと。実は良い母親だったことが明らかになったマリー・アントワネットや、革新者であり虐殺者でもある織田信長など、歴史における多くのエピソードは、様々な情報や視点によって変わることが殆どです。

ですので、この記事を読んでくださった皆様も、ロベスピエールを「ただの独裁者」で済ませるのではなく、彼が何を思って革命に臨んだのか。ほかに手段はなかったのかなど、多くの視点から考えて行ってみてほしいと思います。

それでは、この記事におつきあいくださいまして、誠にありがとうございました。

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