マクシミリアン・ロベスピエールの功績
功績1「カリスマ的指導者として革命期のフランスに君臨した」
「独裁者」という悪名と共に語られることの多いロベスピエールですが、革命期にフランス国民から絶大な人気を集めたことは、忘れてはならない事実です。
頭が良く、理想に燃え、公明正大に妥協なく理想に突き進んだ彼の姿は、その終わりこそ「独裁者としてギロチンで処刑される」というものでしたが、現代に生きる我々が見習うべき部分も、多々あるかと思われます。
事実、彼の祖国であるフランスにおいては、「腐敗していた王制を打倒した革命家としての賞賛」「革命期における必要悪としての同情」等の、プラスの意見が寄せられる傾向が強く、これもまたロベスピエールに対する評価を難しくしています。
功績2「実は民主主義の先駆けを行った人物?」
多くの人々から熱狂的な支持を受けて君臨し、最終的にはその人々から「暴君」として処刑されたロベスピエール。
しかし彼が施行していた政治体制は、実は現在の民主主義に通じる、非常に現代的なものでもありました。基本的にロベスピエールの支持層は、当時のフランス全人民の8割以上に当たる一般市民や無産労働者が大多数を占めていたと書けば、彼の理想とした政治体制がどのようなものだったのかは想像いただけるでしょう。
とはいえ、晩年の彼が「恐怖政治」を布いて人民を苦しめたことも事実。この辺りについても、やはりロベスピエールという人物の難しさが表れていると言えそうです。
功績3「あのナポレオンからも尊敬された 」
ロベスピエールの政治体制が、ナポレオンが頭角を現すきっかけとなったことは、前のトピックでも書かせていただいた通りです。
ナポレオンはロベスピエールの弟であるオーギュスタンと交流があり、その関係性や戦術眼もあってフランス軍内での地位を高めていきました。元々は平民身分だったナポレオンが、ここまで語り継がれる英雄となれたのは、ロベスピエールが実力主義の軍隊を作った事も理由の一つだと言えるでしょう。
ナポレオンは後に、ロベスピエールの死に際して「もし彼が処刑されていなかったら、この世でも最も優れた人物になっただろう。私と彼が出会わなかったことを残念に思う」というコメントを残しています。
「革命の英雄」と「独裁者」。響きこそ全く違いますが、それらの関係性を知ってからロベスピエールとナポレオンの関係性を考えると、また違った物の見方ができるかもしれません。
マクシミリアン・ロベスピエール]の名言
徳なき恐怖は忌まわしく、恐怖なき徳は無力である。
ロベスピエールの政治思想を、これ以上なく表した発言です。
理想に燃えながらも、人民には恐怖を布いて政治を行ったロベスピエール。決して褒められたところではありませんが、歴史を知るために考え続けねばならない発言でもあるでしょう。
マクシミリアン・ロベスピエールにまつわる逸話
逸話1「「イケメン?フツメン?」定まらないロベスピエールの見た目」
ロベスピエールは一般に、「整った顔立ちと凛とした振る舞いの人物」「しかし生涯独身を貫き、女性から高い人気を誇った」とも言われています。肖像画の爽やかな感じからすると、たしかにそんな印象を抱かれるのも頷けるでしょう。
しかし一方で、デスマスクから復元されたロベスピエールの顔立ちは、あばた面でどうにも陰湿そうな印象。細部の印象こそ同じですが、女性から人気が出そうな顔立ちかと問われれば……。
と、このようにロベスピエールの見た目というのは、現在でも明確に定まっておらず、ここも議論の余地がある部分となっています。
恐怖政治の独裁者は、イケメンだったのか、そうでなかったのか。功績そのものには何ら影響しない部分ですが、天草四郎のような「情報操作」の意味でイケメン説がある人物もいる以上、考えてみるのも面白いかもしれません。
逸話2「誠実で清廉潔白。多くの人から支持された人柄の持ち主」
後年「独裁者」となったことで、さぞ優雅な暮らしをしていたのだろうと思われがちなロベスピエールですが、実は彼の私生活は非常に質素で、私物や金銭などは必要最低限のもの以外持っていない人物だったと記録されています。
その無私ぶりは徹底していたようで、処刑される直前の彼は、政治の実質的なトップでありながら、下宿先に借金をしていたという記録まで残っているようです。
そのように、人々の上に立ちながら、あくまでも質素かつ紳士的で清廉潔白な振る舞いをしていたロベスピエールは、当然のように市民から尊敬を集めており、ロベスピエールの演説の日には、近隣の女性がこぞって詰めかけたというエピソードも残されています。前述の「イケメン説」も、こういった人格的な評価が影響したのかもしれませんね。
しかしその一方で、政敵や一部の市民からは「完璧主義で冷酷な人物」と評価されていた記録も残っており、やはり「独裁者」としての冷酷な一面も、ロベスピエールの一側面だったことが裏付けられています。
逸話3「実は童貞だった!?」
ロベスピエールは童貞だったのではないかと憶測されているそうです。彼の妹シャルロッテによると、兄の女性関係はプラトニックなものばかりだったといいます。ロベスピエールはまったく女性との出会いが無かったわけではなく、弁護士の時期に女性からカナリアを贈られて文通をしたりしていますが、恋愛関係には発展していません。
他にも女性への恋文が残っていたりもしますがプラトニックに終わっており、女性嫌いというわけではないものの、「生真面目な性格」から、恋愛よりも社交クラブで文学や酒などに熱中していたと考えられています。後に彼の伝記を記したマルク・ブゥロワゾォは、
「恐らく純潔だったが、女嫌いだったわけではない。彼は女性の貞操と慎みを尊重したのである」
「正義・人間性・自由に対する愛は、恋と等しき情熱である。そこに支配されている人はそこに全てを捧げるのだ」
と分析し、彼の革命への愛は、恋愛と同様でそちらに支配されていたために女性と深い関係を持たなかったのではないかと推察しています。
逸話4「誹謗中傷に悩まされ続けていた」
ロベスピエールは有名になればなるほど誹謗中傷に悩まされ、鬱状態に陥っていたといいます。活躍すればするほど、かつての知人や縁者から非難され、同議員たちからも妬まれていました。
そのため「地位を悪用して女性を囲っている」や「陰険な性格である」「人付き合いが悪い」など流され、根も葉もない話であることも多く、ロベスピエールは酷く傷ついていたといいます。それでもストレスから体調不良に陥りながら、政治への使命感から精力的に活動していました。
フランスでは革命後に言論の自由が活発化した為に、それに対処するために報道の自由は制限されていました。しかしロベスピエール自身が格好の誹謗中傷のネタになっても、
「報道の自由を演説の自由と切り離すことはできない。この二つの自由は両方とも自然と同じくらい侵すことのできないものだ」
と悪影響を理由の報道の自由を制限してはならないと説いていました。現在のSNSでの誹謗中傷問題を見ても、時代を超えての永遠のテーマのように感じてしまいます。
しかし言葉という武器でロベスピエールは大いに傷つき、それでも報道の自由について説いていました。このエピソードに、彼の良くも悪くも「清廉潔白」な人物という評価される理由がわかってくるようです。