恐怖政治とは?特徴や歴史、関わった人物をわかりやすく解説

マノン・ロラン夫人

平民出身でありながら、ジロンド派の中核だったとされるマノン・ロラン夫人

平民の出身でありながら、並外れた知性と教養によって「ジロンド派の中核」と謳われた女性です。夫であったジャン=マリー・ロランを半ば言いなりにしてジロンド派の実権を握り、フランス革命に尽力しますが、革命後にはロベスピエールらと決別。最終的にはとらえられ、失意の中で処刑されることとなりました。

彼女の遺したメモは時代を物語る資料としての価値が高く、現在も革命期のフランスを知る資料として重宝されています。

デュ・バリー夫人

恐怖政治の只中にあって、最も人間的な反応で処刑に臨んだのがデュ・バリー夫人だと言われる

恐怖政治の最中に革命派に囚われ、処刑された貴族の女性です。彼女が処刑された理由は、一説では「裕福な貴族だったから」だとされており、恐怖政治の闇の部分を象徴する事件となっています。

処刑に当たって、彼女は泣き叫んで民衆に慈悲を乞うたと記録されています。執行人だったシャルル=アンリ・サンソンとは、若いころに恋人関係にあったとも言われ、サンソンは彼女の処刑だけは手ずから執行できず、息子に断頭を任せたと言われています。

また、後にサンソンは彼女について「みんな彼女のように泣き叫び命乞いをすればよかったのだ。そうすれば人々も事の重大さに気付き、恐怖政治も早く終わっていたのに」と書き残しています。

アントワーヌ・ラヴォアジエ

デュ・バリー夫人と並び、恐怖政治の闇を象徴するのがラヴォアジエの処刑

科学者であり徴税官だった彼も、恐怖政治の最中にギロチンに消えた人物の一人です。彼の処刑は「共和国に科学者は不要である」という理由とも呼べない理由から行なわれ、彼の死もまた恐怖政治下の闇を象徴する出来事となっています。

また異説としては「ジャン=ポール・マラーからの逆恨み」によって処刑されたという説も存在しています。

ジョルジュ・ダントン

ジョルジュ・ダントンは「人情ある革命家」として、ロベスピエールと人気を二分したが…

ロベスピエール同様のジャコバン派に属する政治家であり、「ダントン派」と呼ばれる派閥を起こして恐怖政治の廃止を訴えた人物です。ロベスピエールとは、ルイ16世の処刑などを経て盟友関係にありましたが、恐怖政治家となった彼によって政権から排除され、最終的には逮捕、処刑されることとなりました。

処刑の直前に「俺の頭を後で民衆によく見せてやれ。これだけの頭は滅多にないぞ!」と叫ぶなど、豪胆な人物として知られ、彼の処刑はロベスピエールの没落の契機となったとも言われています。

番外人物:シャルル=アンリ・サンソン

処刑人として多くの人々を断頭したシャルル=アンリ・サンソンだが、実は革命としてはかなり複雑な立場にあり…

これまでに挙げた人物のほぼすべてを処刑したのが、このシャルル=アンリ・サンソンです。

そう書くと、「被害者ではなく加害者では?」と思われがちですが、彼は革命期において、非常に難しい立場に置かれていました。処刑人の家系だった彼は、思想としては王党派でしたが、業務としてフランス革命に巻き込まれ、最終的には忠誠を誓った王や無実の民などを処刑させられることになってしまっています。

一概に「被害者」とも「加害者」とも言い難い人物ですが、革命期のフランスの中でも、かなり難しい立場にあった人物なのは間違いありません。

フランス革命の後、恐怖政治を行った者たち

ヨシフ・スターリン

ソビエト連邦の指導者だったスターリンは、フランス革命以後の代表的な恐怖政治家として知られる

連邦の指導者として知られるスターリンは、フランス革命以降の代表的な恐怖政治家として知られています。少しでも意に沿わない言動をすれば、反革命とみなして粛清を行う苛烈な体制は「スターリニズム」「スターリン主義」と呼ばれ、現在も歴史の負の側面として語り継がれているようです。

朴正煕(パク・チョンヒ)

朴正煕は、韓国を貧困から救った人物ではあるが、その一方で恐怖政治を行なったとも言われ…

朴正煕は、韓国の高度経済成長である「漢江の奇跡」の立役者である政治家であり、多くの人々から今なお尊敬を集めている人物です。

しかしその一方で、自身の大統領任期を長期化させるために改憲を行ったり、民主主義者を弾圧したりという黒い噂も多く、批判的な意見として「恐怖政治を行った独裁者」と囁かれることもあります。

東条英機

軍人であり政治家として知られる東条英機もまた、「恐怖政治を行った」とされることがある

太平洋戦争期の軍指揮官として知られ、現在でも評価が二分されている東条英機もまた、「恐怖政治を行った」と言われる人物の一人です。彼は憲兵を用いて国民を監視し、反戦論者を投獄していたと語られることがあります。

東条による指揮があったかはともかく、反戦論者への弾圧があったことは事実であるため、この辺りは歴史研究が進まなければ評価を定められない部分でしょう。

恐怖政治に関するまとめ

歴史上における大事件の一つである「フランス革命」と、それに付随する形で起こった「恐怖政治」という忌むべき政治体制。多くの人々がギロチンによって命を落としたこの政治体制は、「明らかな悲劇」ではありますが、それだけで終わらせてはいけない事件でもあります。

研究が進み、様々な事柄が科学的に解明されてきている現代社会。それらの技術を使って「恐怖政治はなぜ起こってしまったのか」を考え、二度とこのような悲劇を生みださないように学ぶことこそが、現代に生きる我々が真に「歴史を学ぶ」ということなのではないでしょうか?

それでは、この記事におつきあいいただき誠にありがとうございました。筆者と同様、読んでくださった皆様も「恐怖政治」について今一度お考えいただければ幸いです。

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