フリードリヒ・ニーチェは近代を代表する思想家で、実存主義の先駆者として有名な人物です。
誹謗中傷を恐れず、誇りを貫き通した彼の人生と思想は、時代を超えてわたしたちの心に響きます。そんな彼の残した言葉は、どれもわたしたちの背中を押してくれるものばかりです。
今回はニーチェが残した名言やその背景、解釈についてご紹介します。ぜひご覧ください。
この記事を書いた人
一橋大卒 歴史学専攻
Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。
ニーチェの名言と意図、背景
神は死んだ
神は死んだ
ニーチェが生きた19世紀後半のヨーロッパは科学が進歩した一方で、生きる意味や意義を見出せない虚無の時代でした。ニーチェは虚無の原因をルサンチマン(弱者の強者への嫉み)にあると考えました。
ルサンチマンとは、克服できない事物への歪んだ嫉みや憎悪のことです。例えばテストの点数が悪かったとき、人は学習不足を恥じるのではなく、「これは将来役に立たない知識だから、問題ない」と、その価値を否定できます。
そしてニーチェは、キリスト教の道徳はこうしたルサンチマンたちの態度を許してしまい、現在の自分を省みる機会を失わせてしまうと批判しました。「神は死んだ」とは、信者たちがキリスト教の道徳を貶めていることを表す言葉です。
この思考は次で紹介する『超人』の名言に繋がります。
私はお前たちに超人を教える
私はお前たちに超人を教える。人間は超克さるべき何物かである。お前たちは人間を超克すべく何ごとをなしたか? 超人は大地の意義である
今までの道徳(キリスト教が説いた道徳)を否定したニーチェは、これまでのすべての価値は無になったと考えました。そして、これからはわたしたち一人一人が新しい価値を持って、自分の意志で生きるべきとしました。
また、ニーチェは人間の尊厳について特に重視していました。尊厳を主張したいのなら、孤独の苦しみに耐えて孤高の生を貫くために強い自己を練り上げなければならないと考えたのです。そしてそれには自己超克(困難や苦しみを乗り越えること)の積み重ねが必要であると説いています。
ニーチェの言う超人とは、自己超克を積み重ねることによって今ある価値に囚われず、新しい価値を生み出す存在のことです。より簡単に言うと、大多数の価値観に従うのではなく、すべてを良しとしたうえで、新しいものを生み出しなさいということです。
世界の80%のお金は、20%の富裕層が所有している、という事実があります。富裕層に生まれなかったから仕方がないと諦めず、試行錯誤を重ねることで金銭的に豊かになり、自由な人生を送れるようになるとニーチェは言っているのかもしれません。
怪物と戦う者は、その過程で自分自身も怪物になることのないように気をつけなくてはならない
怪物と戦う者は、その過程で自分自身も怪物になることのないように気をつけなくてはならない。深淵をのぞくとき、深淵もまたこちらをのぞいているのだ
この名言は意味は、簡単にいうと「ミイラとりがミイラになる」です。ニーチェは心理学者ではありませんが、意識の優位性という考え方を好んでいました。彼は、意識とは見たり聞いたり、誰かと話たり何かを感じることによって構築されるものと考えました。
なにかを深く知りたいと思ったとき、それが良いものであれ悪いものであれ、わたしたちは知りたいと思った対象に影響されます。ゆえに、もし知りたいものが異常者の心理だった場合、わたしたちもその考えに染まらないよう、しっかりと自己を見つめることが必要だとニーチェは説いています。
そういった点を踏まえて、ニーチェは超人を目指すべきだと言ったのかもしれませんね。
孤独な者よ、君は創造者の道を行く
孤独な者よ、君は創造者の道を行く
今、あなたが孤独の中にいるのなら、それは何かを生み出す創造の素質の表れかもしれません。ニーチェは病気と孤独の中、数々の優れた著書を残しました。たった1人だからこそ、内的世界が豊かになって独特の素晴らしい作品が生まれるのでしょう。
中傷や孤独の中を生き抜いたニーチェの人生は、まさにそれを証明しています。
『なぜ生きるか』を知っている者は、ほとんど、あらゆる『いかに生きるか』に耐えるのだ
『なぜ生きるか』を知っている者は、ほとんど、あらゆる『いかに生きるか』に耐えるのだ
自分がなんのために生きているのか、自分の人生に確かな目標や意味を持っていれば大抵の辛いできごとに耐えられます。ニーチェが誹謗中傷や無視など、世間からの冷遇に耐えられたのも、確かな目的があったからでしょう。