世界には、きみ以外には誰も歩むことのできない唯一の道がある。
世界には、きみ以外には誰も歩むことのできない唯一の道がある。その道はどこに行き着くのか、と問うてはならない。ひたすら進め
あなたの人生がどうなっていくのか、それは誰も知りません。あなたの人生はあなた自身で選び進んでいくものです。キリスト教の教えを否定し、一人一人が自分の道を決めて歩むことを望んだニーチェらしい言葉ですね。
悩んだときは、自分の信じる方向へと進んでみましょう。
われわれに関する他人の悪評は、まったく別の理由から出る腹立ちや不機嫌の表明なのである
われわれに関する他人の悪評は、しばしば本当はわれわれに当てられているのではなく、まったく別の理由から出る腹立ちや不機嫌の表明なのである
ニーチェは物事の本質を見抜く目を持っていました。それは近代に生きながら近代の道徳を否定するという思想から見てとれます。数多くの誹謗中傷を受けたニーチェだからこそ、そうした悪意ある言葉の根本には、劣等感などその人自身が感じている不満があると見抜けたのでしょう。
他人からの誹謗中傷も、そう考えれば受け流せるかもしれませんね。
人は賞賛し、あるいは、けなす事ができるが、永久に理解しない
人は賞賛し、あるいは、けなす事ができるが、永久に理解しない
ニーチェは24歳の若さで大学の教授になるほど将来を期待され、時代にそぐわない鋭い批評から冷遇された哲学者です。この名言は賞賛され、非難を浴びたニーチェだからこその言葉でしょう。またニーチェは
事実というものは存在しない。存在するのは解釈だけである
とも言っています。例えば、上から見るコップと横から見るコップでは、それぞれ見え方が異なりますよね。上から見たら丸いコップに見えても、横から見たら四角いコップに見えることもあります。これと同じで、事実というものは見る人の解釈によって異なるとニーチェは言っています。
同じように、人は賞賛したりけなしたりできますが、その人がどんな人なのかは実際のところわかりません。悪い人がいい人に見えることもありますし、その逆もあるでしょう。もしあなたが理解されないと感じていても、ふたを開けてみればそれはあなたの一部分だけだった、という話かもしれません。
孤独な人間がよく笑う理由を、たぶん私はもっともよく知っている。
孤独な人間がよく笑う理由を、たぶん私はもっともよく知っている。孤独な人はあまりにも深く苦しんだために笑いを発明しなくてはならなかったのだ
ニーチェの思想は、彼が知るところで大衆に受け入れられることはありませんでした。家族との不和や友人への失望、失恋などにより彼はたくさんの苦しみを味わい、孤独でした。だからこそ、経験から、孤独な人がよく笑う理由がわかるのでしょう。
よく笑っている人ほど、わたしたちの知らないところでたくさん苦しんできたのかもしれませんね。
私を破壊するに至らないすべての事が、私をさらに強くする
私を破壊するに至らないすべての事が、私をさらに強くする
ニーチェの人生は病気と共にありました。幼少時から極度の近眼で、さらに片頭痛や胃痛など健康上の問題を抱えていました。しかしニーチェにとって病気は、ただ苦しいものではなく、より思考を深めてくれるものでした。
ニーチェにとって病気とは、自己を高めてくれる要素だったのです。そう考えると、大半の苦しみは自己成長のきっかけと思うと乗り越えられるかもしれませんね。
人は常に前へだけは進めない。引き潮あり、差し潮がある
人は常に前へだけは進めない。引き潮あり、差し潮がある
ニーチェは病に悩まされたり、才能を認められて若くして教授として迎え入れられたりと、潮の満ち引きのように良いことも悪いこともありました。うまくいかないときは、そういう時期なのだと思って休むのも一つの手かもしれませんね。