ニーチェとはどんな人?生涯・年表まとめ【功績や名言、性格・著書についても紹介】

ニーチェの名言は?

キリスト教によって、強い人間は、典型的に排斥されるべきもの、「極悪人」となった。キリスト教は全ての弱者、賤者、出来損ないの味方に与し、強い生命が持っている自己保存本能に抗議することを己の理想としてきたのだった。-反キリスト

自分を破壊する一歩手前の負荷が、自分を強くしてくれる。

【全ての真理は単純である】-これは二重に嘘ではないのか?

偶像の黄昏

ニーチェの名言16選!発言の意図や背景、英語訳や名言集もまとめて紹介

ニーチェの功績

功績1「実存主義の先駆者」

悲観的 イメージ

ニーチェは実存主義の先駆け的人物として捉えられています。実存主義とは哲学において人間の存在を中心として考える思想のことで、本質よりも現実に重きをおいた主張のことを言います。実存主義は人間の存在や現実を第一に考えていくため、本質を大きく逸れて極端な思考に陥ったり、悲観的な発想になってしまったりすることが多いとされています。

アリストテレス

古代哲学においてアリストテレスが実存について唱えた後、西洋思想が主流となったため、一旦、実存主義は下火となりました。しかし、19世紀に入り、キェルケゴールが「実存」に価値を置く思想を唱えるようになると、19世紀後半のニーチェが「神は死んだ」という宣言のもと、神を否定する実存主義を確立していったのでした。

功績2「近代に生きながら近代性を批判した」

人間主義・個人主義・合理主義が近代性の3本の柱

ニーチェの思想のすごさの1つに、近代という時代の本質を捉え、自身もその時代に生きながら的確に批判したことが挙げられます。ニーチェは近代の学問や道徳観、宗教などが絶対であるという考え方に「NO!」を突きつけました。

人間Aがある物事を見たとき、物事はAの視点から見えるものしかAには理解されません。ニーチェにとって、近代科学や道徳観は単なる「解釈」であり、違う解釈をすることもできるので絶対ではありませんでした。解釈の違いは「何に重点を置くか」という「権力への意志」によって生まれるとし、このことを世界の根本原理と考えました。

「権力への意志」という考えをもって、ニーチェはそれまでの道徳観や学問を根底から壊しにかかりました。近代の真っ只中にいながら、その時代を俯瞰で眺めて考察する…ニーチェはそのようなことができた人なのです。

功績3「ハイデガーやフーコーなどのちの哲学者や思想家に多大な影響を与えた」

マルティン・ハイデガー

ニーチェの思想はのちの哲学者たちにも多大な影響を及ぼし、ドイツにおいてはマルティン・ハイデガーなどに、フランスにおいてはミシェル・フーコーなどに引き継がれて行きました。

ハイデガーは著書「存在と時間」により、存在論哲学を展開し、伝統的な形而上学の批判を試みました。そして、のちにナチスへ関係したことでも有名になります。

ミシェル・フーコー

フーコーはニーチェとハイデガーの双方に影響を受け、その思想を受け継ぎながら、社会において権力構造が変化していく仕組みの解明や、時代の変化とともに一つの思想が真理とみなされたり、虚とみなされたりする謎の解明に取り組みました。

功績4「文学性の高さ」

文学性の高いニーチェの著作

ニーチェの著作は文学として読んでも興味深いとして知られています。特に「ツァラトゥストラはかく語りき」は、ニーチェの思想を「ツァラトゥストラ」という人物に語らせる形式で書かれていて、ひとつの小説のようです。

ドイツの作曲家リヒャルト・シュトラウスはニーチェのこの作品にインスピレーションを受け、交響詩『ツァラトゥストラはこう語った』を制作しました。スタンリー・キューブリックの映画『2001年宇宙の旅』で使われているので、どこかで聴いたことがあることでしょう。このように、ニーチェの思想・著作は後の文芸や芸術作品に影響を及ぼしています。

功績5「心に響く警句で『強く生きろ!』と鼓舞した」

『善悪の彼岸』の初版

数年前に「超訳 ニーチェの言葉」という本がロングセラーになりました。読んでみた方も多いのではないでしょうか。「ニヒリズム(虚無主義)」というなんだか絶望的な名前の主義を標榜したニーチェですが、著作を細かく読んでいくと意外と明るい言葉が目立ちます。

積極的に生きることを肯定するニヒリズムの態度を、「積極的ニヒリズム」といいます。ニーチェはこの「積極的ニヒリズム」をもって生きることを肯定し、誰もが自分の人生を創造的に切り開いていく「超人」になれることを主張しました。ニーチェはこれまでの倫理観や宗教をすべて根底から壊し、みんなが創造的な人生を歩めるようにと鼓舞していたのです。

ニーチェにまつわる都市伝説・武勇伝

都市伝説・武勇伝1「妹に歪められた思想」

ニーチェの妹・エリーザベト

ニーチェの作品を世に残した功績は、妹のエリーザベトにあると言っても過言ではないでしょう。

真面目で孤独を愛した兄とは違い、エリーザベトは野心に満ちた活動家でもありました。特に、反ユダヤ主義者であるフェルスターと結婚してからは、一時、兄とも疎遠になっています。

エリーザベトは彼の遺稿を「権力への意志」と名づけて出版し、その思想の一部分を歪めたにも関わらず、ニーチェ文庫の資金調達のため、ナチスの庇護を受けます。ニーチェの名声をナチスに利用させるという見返りのためでした。

おかげで、しばらくの間、ニーチェは「反ユダヤ主義でナチスの預言者」と言うレッテルを貼られることになります。

都市伝説・武勇伝2「超生真面目少年・ニーチェ」

雨降りの中、ニーチェ少年は…?

ニーチェの生真面目な性格を表す少年時代のエピソードがあります。ナウムブルクの小学校に通っていた頃、帰る時間になって雨が降り出しました。他の小学生たちが帰ってくるのを横目に、ニーチェはハンカチを頭に乗せてゆっくりと歩いて帰ってきたというのです。

心配したニーチェの母が「どうして走って帰ってこないの!」と怒ったところ、びしょ濡れのニーチェは「校則で帰り道は走らずに歩くようにとあるから」と答えたといいます。何があっても校則は守る、というニーチェの頑なな性格を表すエピソードです。

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