ニッコロ・マキャベリの功績
功績1「理想主義の社会の中、現実主義の思想を唱えた」
ルネサンス期と言えば、芸人である髭男爵さんのネタからイメージされる通り、「優雅で貴族的な時代」「芸術などの文化が発展した時代」というイメージを抱く方が多いのではないでしょうか?実際、そのイメージは大筋としては正しく、ルネサンス期は様々な芸術や学問分野の発展においては、欠かすことのできない時代となっています。
しかしその一方で、ルネサンス期の政治は「理想論的」な部分が大きく、言い方を変えれば退廃的で破滅的とも言える思想が横行し始めている時代でもあったようです。
そして、そのような思想に「待った」をかけたのが、マキャベリの政治思想であるマキャベリズム。当時や後年の評価同様、いささか急進的で冷徹すぎる部分はあったものの、現状を冷静に見て抱いた危機感への回答としてみれば、確かに筋が通っているように思える思想ではないでしょうか。
功績2「国有軍の重要性を説いた、現在の軍事理論の先駆け」
現代社会において、国家間におけるある種の抑止力や、いざという時の備えとしての役目を担っているのは、「国有軍」である事がほとんどです。国有軍の軍人は、国によって雇われたいわゆる「国家公務員」であり、いざという時は戦力として戦地に赴き、戦うことを生業としています。
と、現代社会においてはそれらは当たり前の事柄ですが、実はマキャベリが生きたルネサンス期、「国有軍」というシステムは一般的なものではなく、むしろ戦争の主役として最前線で戦っていたのは、民間の傭兵がほとんどでした。
しかし、傭兵はあくまで「戦時のみ雇われる事業者」でしかなかったため、国に対する忠誠心や使命感は非常に薄く、命令違反や独断行動が横行するなど、戦場は国のトップの思うようには運ばない、かなり混沌とした場所だったようです。事実、マキャベリが関わったピサへの侵攻も、傭兵部隊の独断によって戦線が崩壊したことが記録されています。
と、このような戦場の状況で、一度大きく失敗をしたマキャベリは、自身の思想を著した『君主論』において国有軍の重要性に関する持論を展開。以降、各国は自前の軍隊を整備し、戦場を国家として統制する手段を得る方向へと舵を切っていきました。
功績3「現在も読み継がれる名著『君主論』 」
マキャベリズムという思想が、冷徹で一般に受け入れられ難い思想であるというのは、これまで開設させていただいた通りです。しかし一方で、その現実的で必要悪とも呼べるような思想は、多くの人々に未だに指示をされている思想でもあります。
特に、マキャベリが自身の思想を著した『君主論』は、現在でも盛んに翻案や出版が行われ、政治家や思想家、あるいは一般市民などにも読み継がれる、紛れもない名著としての地位を築き上げているのです。
ともすれば「自国第一主義」という、国際社会には似つかわしくない思想に繋がる思想であり、軽々しく「良い」とは言えない思想ではありますが、現実的な必要悪の思想が役立つこともまた事実。マキャベリズムの思想については、軽々しく受け入れるでも否定するのでもなく、考え続けることが現在でも求められているのではないでしょうか。
ニッコロ・マキャベリの名言
君主足らんとするものは、 種々の良き性質をすべて持ち合わせる必要はない。しかし、持ち合わせていると、人々に思わせることは必要である。
マキャベリの『君主論』の一説です。彼が抱く君主というものの理想像が、とりわけ現実的で人間的であることを示す一説だと言えるでしょう。本音と建前の、あるいは表と裏の使い分けを君主に求めるという点で、彼の思想は他の思想とは一線を画しているように思えます。
君主たる者、けちだという評判を恐れてはならない。
これもまた、ルネサンス期の思想とは対極に位置する現実的な思想です。「国家の歳出を抑えろ」という、現代では当たり前のことを言っているだけですが、理想論が横行していたルネサンス期にこんな思想を呈することができるあたり、マキャベリという人物の異質さが垣間見えます。
人間というものは、自分を守ってくれなかったり、誤りを正す力もないものに対して、忠誠であることはできない。
これも冷静に考えれば当たり前の事ですが、トップに立つものが忘れてはならない志でしょう。上下関係があったとしても「やってもらって当たり前」の事はない。特に「やってもらって当たり前」と錯覚しがちな、社会的地位が高い人にほど、心に留め置いてほしい言葉だと思います。
ニッコロ・マキャベリにまつわる都市伝説・武勇伝
都市伝説・武勇伝1「実はかなり”愉快”な人物だった?」
マキャベリという人物が、思想の冷徹さとは相反する陽気な人物であったことは、少し前のトピックで説明させていただいた通りです。マキャベリは元来陽気でおしゃべり。隠遁後は農業に精を出しつつ民衆たちとカードゲームに興じたりと、「近所の気のいいおじさん」のようにも見える記録が数多く残っています。
そんな彼の性質は、実は執筆活動の中にも見えています。マキャベリの代表的な著作と言えば、やはり『君主論』や『戦術論』といったお固い思想書が多いイメージですが、実はマキャベリは『戯曲マンドラゴラ』という喜劇の執筆も行っているのです。
そして、その『戯曲マンドラゴラ』がヒットすることで彼の”著述家”としての名声が高まったというのですから、実際の所彼の”愉快”な性質は、民衆たちからもかなり受け入れられやすいものだったと言えるでしょう。こういった”愉快な喜劇作家”の部分もまた、マキャベリという人物の記録に深みを与える要因となっています。
都市伝説・武勇伝2「実は結構失敗の多い人生を送った?」
近代に繋がる多くの理論を打ち立て、晩年にはメディチ家の顧問となり、理論に対して振幅する者もいたというマキャベリですが、実は彼の人生はさほど悠々自適なものではありませんでした。
ザっと記録が残るだけでも、ピサへの侵攻に端を発するフランスとの交渉で煮え湯を飲まされた経験や、その数年後の失脚。そしてボスコリ事件に関わった容疑で逮捕され、拷問を受けた末に多額の保釈金(マキャベリの年収の10倍とも)を払って釈放。その後も半隠遁生活を余儀なくされ、ようやく政界に戻るきっかけを得たのは晩年にあたる1516年ごろと、実はマキャベリは、失敗や不遇の時代が長い人物でもあったのです。
実際、冷徹な理論も自身の失敗に基づくものが多く、調べていくほどその苦しみが理解できるのがマキャベリという人物。思想だけを追うと「悪人」のように見えてしまいますが、皆さんはどうかその一側面だけでなく、彼の歩んだ人生からもマキャベリを考えてみてほしいと思います。
都市伝説・武勇伝3「マキャベリは「政治思想家」ではない!?」
マキャベリの提唱した「マキャベリズム」の思想は、一部に信望者を生みましたが、多くの人々からは受け入れられ難いと敬遠されたことは、先に述べたとおりです。しかし現代において、マキャベリはその優れた現実的な思想を評価され、「政治思想家」として歴史上に登場する事がほとんどとなっています。
しかし彼の生前において、マキャベリは「政治思想家」ではなく、「喜劇作家」として多くの人から評価を受けていたことはご存知でしょうか?
40代半ばで隠遁生活を余儀なくされたマキャベリは、『君主論』に代表される多くの論文などを執筆。そしてその中で最も評価を受けたのは、実は喜劇である『戯曲マンドラゴラ』だったのです。事実、マキャベリはこの作品の出版によって著述家としての地位を確立したため、世間的には「喜劇作家」という評価を受けていたことが伝わっています。
現代に伝わる「政治思想家」の側面ではなく、現代ではあまり注目されない「喜劇作家」として評価を受けていたマキャベリ。そういった評価の変遷もまた、歴史という事物の面白さだと言えそうです。