毛利衛は宇宙飛行士引退後の現在は何をしてるの?
毛利衛は2000年の2度目の宇宙飛行から帰還後、日本へと帰国し、日本科学未来館の館長として就任しました。宇宙での経験や科学の面白さを世の中に伝えるために様々なイベントやコーナーを設けて、科学の普及に務めています。
科学に関するイベントや講演にも多数参加しており、2003年には潜水艦しんかい6500に乗船、2007年には南極・昭和基地を訪れ、隊員達の活動の様子を世間へと広めました。
現在は自らの後継者として科学者と市民を繋げる役割を担う「科学コミュニケーター」の育成に力を入れています。様々な国から人材を招き、日本化学未来館にて育成に取り組んでいます。
毛利衛の功績
功績1「日本人として初めてスペースシャトル計画に参加」
毛利は1983年の宇宙開発事業団の宇宙飛行士の募集に応募すると、1985年に7人の最終候補者に選出され、1990年には日本人初の宇宙飛行士として選ばれることになります。スペースシャトル計画自体が延長されたため、宇宙へと最初に飛び立つという業績はTBS記者の秋山豊寛に譲ってしまいましたが、1992年に初めてスペースシャトル計画に参加した日本人として宇宙へと飛行するのでした。
スペースシャトル内でのミッションは微小重力環境下での材料実験や、鯉を用いた宇宙酔いの動物実験などを含む約40近くの生命科学の実験を遂行することで、それらを見事にやり遂げ、世界的にも重要な成果をあげることとなるのです。
功績2「ミッションスペシャリストとして2度目の宇宙飛行を行う」
1992年の1回目の宇宙飛行ではミッションに関する責務のみを負っていましたが、2000年の2回目の宇宙飛行においてはスペースシャトルのシステム運用や船外活動、パイロットの補佐まで引き受けるミッションスペシャリストとして搭乗することになります。
この際はレーダーで地表を撮影し、高精度の立体地図を作成するミッション、SRTM(Shuttle Radar Topography Mission)を遂行しました。さらには7日間に渡って宇宙から見える地球の様子を撮影し続け、帰還後に専門家の解説も加えたドキュメンタリー映像として記録を残しています。
功績3「日本科学未来館館長に 」
日本科学未来館は「科学技術を文化としてとらえ、社会に対する役割と未来の可能性について考え、語り合うための、すべての人々に開かれた場」を理念として2001年7月に開館しました。2度目の宇宙飛行から帰還した毛利衛が自身の経験を後世に伝えていきたいという思いとともに館長として就任することになります。
2021年に退任を表明していますが、それまで20年以上に渡って日本科学未来館を運営し、様々な科学技術を紹介してきました。現在は後進を産むために「科学コミュニケーター」の育成に力を入れており、世界中の科学者達に門戸を広げています。
毛利衛の名言
「宇宙から国境線は見えなかった」
毛利衛が1992年に日本人初のスペースシャトル計画に参加して、帰還後に発した言葉です。地球上では文化や生活習慣の違いによって国境を引き、日常的に争いが起きているけれど、それは宇宙から見たらちっぽけなことなのだということに気づかされます。
「挑戦することに、年齢は関係ないですよ。90歳でカンバスに向かう老芸術家だっている。私は1992年44歳で宇宙に飛び出し、8年間のブランクを経て再び宇宙へ挑戦しました。」
毛利衛が最初に宇宙へと飛び立ったのは44歳。そして、もう一度宇宙へ飛び立ちたいという思いから訓練を重ね、ミッションスペシャリストとして重要な責任を負って再び宇宙へ飛んだのが52歳。何かに挑戦するのに年齢は関係ないということがよくわかります。
「公務員試験の2次試験会場を抜け出して、月面着陸するアポロ11号の中継テレビを見たくらいです。自分にとってどっちが大事なんだと。公務員試験はいつでもある。人類史上初めての月着陸の方がずっと価値があるんじゃないかと判断したんです。」
幼い頃から宇宙への興味を持っていた、毛利衛が公務員試験の際に、アポロ11号の月面着陸が重なり、これは見ずにいられないと試験会場を飛び出した当時のことを語った言葉です。自分の好きなことを追いかけ続ける執念が日本初のスペースシャトル計画参加へと繋がったのかもしれません。
毛利衛の人物相関図
毛利衛にまつわる都市伝説・武勇伝
都市伝説・武勇伝1「非常に多趣味」
毛利衛は非常に多趣味なことで知られており、宇宙航空研究開発機構(JAXA)のホームページでは、スキー・テニス・野球・卓球・アイススケート・スキューバダイビング・スカッシュ・エアロビクスが趣味として挙げられています。
特に、北海道出身ということもあってスキーには凝っていたため、宇宙飛行士になる際に当分はスキーが出来なくなるため、非常に名残惜しい気持ちになったそうです。
都市伝説・武勇伝2「ブラッド・ピットを日本科学未来館へ呼び込む」
2019年6月から日本科学未来館にて「マンモス展」が開催されましたが、来場者数があまり芳しくなかったため、展覧会の宣伝が喫緊の課題となっていました。そのさなか、映画「アド・アストラ」の発表のために来日していたブラッドピットが日本科学未来館へとやってきます。
そこで毛利はマンモス展に展示してある本物のマンモスの毛を持ち出し、ブラッドピットに見せて興味を持たせ、そのままマンモス展へと誘導するのでした。この光景はツイッターでも拡散され、マンモス展の動員に寄与したのです。
都市伝説・武勇伝3「スペースシャトルに搭乗した日が宇宙の日に制定」
9月12日は毛利衛がスペースシャトル・エンデバーにて宇宙へと飛び立った日ということで「宇宙の日」と定められています。宇宙を身近に感じてもらえるように、一般の方へ向けて「宇宙の日」の日程を募集したところ、毛利宇宙飛行士が宇宙へ行った日を挙げる人が多かったため制定されました。
現在ではこの記念日に宇宙の普及活動を行うこととなり、青少年向けのイベントや宇宙関連行事を数多く催しています。