小説ヲタクがおすすめするオールタイムベスト83冊

セックスピストルズってどんなバンド?功績や名曲、ファッションを紹介

「セックス・ピストルズってどんなバンド?」
「おすすめのアルバムや代表曲は?」
「伝説やパンクファッションを知りたい!」

セックス・ピストルズとはイギリスのロンドンで結成されたパンクロックの代表的なバンドです。パンクロックとはハードロックやプログレッシブロックに反発して生まれた音楽ジャンルのひとつです。

日本でもパンクロックは1970年代後半からブームとなり、現在でも高い人気を誇っています。セックス・ピストルズから影響を受けたと公言しているバンドやアーティストも少なくありません。

この記事ではそんなセックス・ピストルズの功績やファッション、代表曲などを紹介します。

セックス・ピストルズとはどんなバンド?

セックス・ピストルズ

ロンドンパンクを代表するバンド

セックス・ピストルズは1970年代後半にイギリスで流行したロンドンパンクを代表するバンドです。

ステージでパフォーマンスをするセックス・ピストルズ

1970年代前半にアメリカのニューヨークで始まったパンクロックは、マルコム・マクラーレンという人物によってイギリスに広まります。イギリスのファッションデザイナーである彼はアメリカでパンクロックに出会い強い影響を受けると、イギリスに戻りセックス・ピストルズをプロデュースしました。

セックス・ピストルズは同じころにデビューした「クラッシュ」と「ダムド」と合わせて、三大ロンドンパンクバンドと呼ばれています。

セックス・ピストルズの名前の由来

マルコム・マクラーレンとヴィヴィアン・ウエストウッド

セックスピストルズの名前の由来は、彼らの生みの親マルコム・マクラーレンの開いていたブティックの名前に由来します。マルコムはのちにファッション業界で「パンクの女王」と呼ばれたヴィヴィアン・ウエストウッドと共に、1971年にブティック「レット・イット・ロック」をオープンしました。

その後、マルコムはパンクロックに影響され店名を「セックス」に改名し、パンクファッションの服を扱い始めます。そして店員や常連客が結成していた「スワンカーズ」というバンドに目を付け、バンド名を「セックス・ピストルズ」に改名させて売り出そうとしました。

セックス・ピストルズの音楽性

セックス・ピストルズの音楽性

シンプルかつ派手なギターサウンド

力強いギターロックの演奏

ボーカル・ギター・ベース・ドラムというシンプルなバンド編成から繰り出される、勢いのあるギターロックサウンドがセックス・ピストルズの持ち味です。難しい理論を理解したり高い演奏技術がなくても、音楽を楽しむことが出来ることを証明しました。

シンプルでタイトなドラムとベースの演奏の上で、少し歪ませた音色のギターがコードをかき鳴らすサウンドは当時の若者たちの心を鷲掴みました。

攻撃的で主張を持った歌詞

歌うことで主張するジョニー・ロットン

パンクロックは反抗と破壊の音楽です。セックス・ピストルズもその例外ではありません。

社会を風刺したり戦争や宗教について触れるなど、当時の若者たちの思っていても口に出せなかったことを代弁していました。彼らの楽曲にはイギリス政府や王室に反発するような歌詞の曲も少なくありません。

デビューシングルの「アナーキー・イン・ザ・U.K.」では無政府主義を主張しキリスト教を批判していますし、イギリス国歌と同名異曲の「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン」ではエリザベス女王とイギリス政府をこき下ろしています。

セックス・ピストルズの功績

多くの若者に音楽を始めるきっかけを与えた

若者たちが音楽を始めるきっかけを作った

1970年代中頃に流行っていたハードロックやプログレッシブロックは、アルバムの売り上げを第一に考える産業ロックでした。また高価な楽器が買える環境や高い演奏技術を必要とするため、演奏できたのはひと握りのミュージシャンだけだったのです。

そんな中現れたセックス・ピストルズの楽曲や演奏はシンプルで簡単なものが多く、歌詞の内容も小難しくなく主義主張や欲求を表現したものでした。初心者でも演奏できるような楽曲が多いため、セックス・ピストルズは「下手くそ」だと揶揄する人もいるほどです。

しかしその簡単さが当時のイギリスの若者たちに、「これなら自分たちにも出来るかも」と思わせます。そして多くの若者が次々とバンドを結成し、パンクロックが流行することになりました。

パンクファッションを流行させた

オリジナル・パンクファッションに身を包んだセックス・ピストルズ

マルコム・マクラーレンとヴィヴィアン・ウエストウッドがデザインしたファッションや髪型は、今までにはない斬新なものでした。

寝ぐせのようなハネた髪型に破れたTシャツや革ジャンを合わせて、アクセサリーとしてチェーンや安全ピンを身に着けたスタイルです。

セックス・ピストルズは彼らのデザインの広告塔になり、パンクロックの流行と伴ってパンクファッションを広めていきました。現在ではファンションのスタイルとしても確立され、パンクファッションに身を包んでいてもパンクロックは聞かないというような人も現れています。

セックス・ピストルズが影響を与えた人・バンド

カート・コバーン

アメリカのロックバンド「ニルヴァーナ」のボーカリスト兼ギタリストだったカート・コバーンは、セックス・ピストルズに影響を受けています。

「ピストルズのアルバムはおれが聴いたロックのレコードの中でも最高の出来」、「あんなに本当のオリジナルなサウンドを俺たちは作り出していない。」とも語っています。

ニルヴァーナ自体も90年代のセックス・ピストルズと呼ばれていました。ニルヴァーナの代表アルバムである「ネヴァーマインド」のアルバム名も、セックス・ピストルズの唯一のオリジナルアルバム「勝手にしやがれ!」から引用されています。

ザ・ブルー・ハーツ

ザ・ブルー・ハーツ

ザ・ブルー・ハーツのボーカルである甲本ヒロトは、中学生時代にセックス・ピストルズに衝撃を受けロックンローラーの道を歩み始めました。元々はシド・ヴィシャスの影響でベースに憧れていましたが、誰にでもできるという理由でボーカルになったと言います。

ザ・ブルー・ハーツのステージでのパフォーマンスも、どこかピストルズと似たところが感じられます。ピストルズほど破壊的ではないですが、若者たちの思いを代弁しているところなどはピストルズの精神を受け継いでいると言えるでしょう。

椎名林檎

椎名林檎

椎名林檎の楽曲には、セックス・ピストルズのベーシストだったシド・ビシャスがよく登場します。シングル「ここでキスして。」の歌詞の中に「現代のシド・ヴィシャスに手錠かけられるのは只あたしだけ」とあったり、「シドと白昼夢」の曲名にも登場しています。

シド・ビシャスの大ファンだと言う椎名林檎はシドのことを「儚い少年みたいな人」と語り、セックスピストルズは音声でよりも映像で衝撃を受けたと答えています。ライブではセックス・ピストルズの楽曲である「拝啓EMI殿」をカバーしています。

メンバーと担当楽器

ジョニー・ロットン(ボーカル)

ジョニー・ロットン

ジョニー・ロットンというのはセックス・ピストルズでの活動中に名乗っていたあだ名で、本名はジョン・ライドンといいます。

ライドンは7歳の時に髄膜炎を患い3ヶ月間も昏睡状態に陥りました。意識が戻った時には自分のことも思い出せないような状態だったと言います。母親の熱心な教育で一からやり直したライドンは、人並み以上の回復を見せました。その経験がのちのジョニー・ロットンへの道を歩み始める第一歩だったとライドンは語っています。

10代後半の時にブティック「セックス」に出入りするようになったのがきっかけでセックスピストルズに加入します。のちにベーシストとして親友のシド・ヴィシャスを迎え入れたのもライドンでした。1978年のアメリカツアーを最後に「ロックは死んだ」と宣言し脱退を表明しました。

スティーヴ・ジョーンズ (ギター)

スティーブ・ジョーンズ

セックス・ピストルズのギタリスト。ブティック「セックス」に出入りしていた頃、友人だったポール・クックと共にセックスピストルズの前身であるスワンカーズに参加しキャリアをスタートさせました。

セックス・ピストルズで活動していたころはハンカチの四隅を結び、頭にかぶるスタイルをトレードマークにしていました。

元々ジョーンズはボーカルになりたかったらしく、スワンカーズ時代にはボーカルを務めていたそうです。「ギタープレイヤーになるなんて考えちゃいなかった」とも語っています。元来持っていた夢中になると没頭してしまう性格のおかげでメキメキ腕を上げ、ローリング・ストーン誌の選ぶ「歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において第97位に選ばれるほどになりました。

ポール・クック(ドラム)

ポール・クック

セックス・ピストルズのパフォーマンスを安定したリズムで支えたドラマーです。ギターのスティーヴ・ジョーンズ とは親友で、セックスピストルズ解散後もザ・プロフェッショナルズというバンドを結成しています。

ザ・プロフェッショナルズ

ポール・クックは他のメンバーとは異なり生真面目でおとなしく、時間にはとても厳しい性格でした。そのためバンドの演奏がどのような状態になっても、ブレることなく正確なリズムを叩き続けることができたのでしょう。

また娘であるホリー・クックはイギリスのレゲエシンガーとして活躍しています。

グレン・マトロック (ベース)

グレン・マトロック

セックス・ピストルズ結成から1977年までと再結成以降のベーシストで、バンドの楽曲の半数以上を作曲しています。演奏技術も他のメンバーに比べて格段に高く、社会常識も持ち合わせていたためメンバーの中で少し浮いた存在でした。

結成時から音楽面で大きく貢献していましたが、1977年に「ポール・マッカートニーのファンであることが判明したため」という理由でバンドを脱退しています。プロデューサーのマクラーレンの方針としても「バンドとしては演奏がうまくない方がいい」という考えだったので、脱退は必然だったといえます。

ポール・マッカートニー

二代目ベーシストとしてシド・ヴィシャスを迎えますが、マトロックの脱退はバンドにも大きな影響を与えました。のちにスティーヴ・ジョーンズは「グレンの脱退がなければピストルズもあんなに早くは解散しなかった」と語っています。

セックス・ピストルズが1996年に再結成を果たした際には、ベーシストとしてメンバーに復帰しています。

シド・ヴィシャス(ベース)

シド・ヴィシャス

グレン・マトロック脱退後、1977年にセックス・ピストルズに加入した二代目ベーシスト。過激なパフォーマンスやバンド解散後に若くして亡くなったりと、現在でもファンが多いカリスマ性を備えた人物でした。

元々セックス・ピストルズの熱狂的なファンで、ライブなどに出入りしていました。全くベースを弾いたことがありませんでしたが、友人だったジョニー・ロットンの推薦でバンドに加入することになります。

フランク・シナトラ

ジョニー・ロットンがバンドを去ると、フランク・シナトラの代表曲「マイ・ウェイ」を個人名義でレコーディングしています。しかしこの録音の時はすでに彼の体はヘロインに蝕まれておりボロボロでした。

シド・ヴィシャスとナンシー・スパンゲン

1978年に恋人だったナンシー・スパンゲンが滞在先のホテルで刺殺されると、シドに容疑がかかり逮捕されてしまいます。しかしシドはその時刻、薬物により昏睡状態であったことが証明され容疑は晴れました。しかし1979年にナンシーを追って、ヘロインの過剰摂取によりこの世を去ってしまいました。

活動履歴

1975年-バンド結成

1974年に渡米したデザイナーのマルコム・マクラーレンが大きな影響を受けたのが、ニューヨーク・パンクでした。中でもお気に入りだったのがニューヨークドールズで、マネージャーを務めるほどだったと言います。マクラーレンはニューヨークドールズの解散を機に、イギリスにパンクの精神を持ち帰りました。

ニューヨークドールズ

1971年にヴィヴィアン・ウエストウッドとともに開いていたブティックを「セックス」と改名し、パンク・ファッションのスタイルを確立していきます。店の常連だったスティーヴ・ジョーンズとポール・クックが結成していたバンドに目を付け、パンクバンドに仕立て上げ広告塔として売り出すことを考えました。

ブティック「セックス」

店員だったグレン・マトロックとオーディションで選ばれたジョニー・ロットンが加入し、1975年に「セックス・ピストルズ」という名前でライブ活動を開始しました。

1976年-シングル「アナーキー・イン・ザ・U.K.」を発表

セックス・ピストルズは激しいライブパフォーマンスや過激な歌詞などのおかげで、メディアが注目し名前が知られていきました。しかしあまりにスキャンダルも多く、ライブ会場から出入り禁止になったり演奏中止運動が起こるほどでした。

激しいパフォーマンスを行うセックス・ピストルズ

そんな中、イギリスの大手レコード会社であった「EMI」と契約を結びデビュー・シングル「アナーキー・イン・ザ・U.K./アイ・ワナ・ビー・ミー」をリリースします。全英チャートで最高38位を獲得し、イギリス国内で5万5千枚以上を売り上げました。

しかし宣伝のためテレビに出演した際に放送禁止用語を連発したため、「EMI」に契約を打ち切られてしまいます。その代わりにセックス・ピストルズは多額の違約金を手にしました。

1977年-シド・ヴィシャスの加入

シド・ヴィシャス加入後のセックス・ピストルズ

デビューシングルがヒットした翌年の1977年に、ベースのグレン・マトロックがバンドを脱退します。表向きには「ポール・マッカートニーのファンであることが判明したため」ということになっていますが、ボーカルのジョニー・ロットンとの折り合いが悪かったようです。

後任のベーシストとしてバンドに加入したのがシド・ヴィシャスでした。ピストルズ加入はジョニー・ロットンの推薦によるものでしたが、ふたりは不良だった少年時代からの知り合いで親友と呼べるような間柄でした。

メンバー内ではスティーヴ・ジョーンズとポール・クックの仲が良く、勢力として劣らないように親友であったシドを引き入れたと言われています。シドの加入で、ピストルズはよりスター性のあるバンドへと成長しました。

1978年-解散

初のアメリカ・ツアー

シド・ヴィシャスが加入したのち、セックス・ピストルズは唯一のオリジナル・アルバム「勝手にしやがれ!!」を発売します。当時シドはほとんどベースが演奏できなかったので、1曲を除いてギターのスティーヴ・ジョーンズ が担当していました。

翌年の1978年にはファースト・アルバムを引っ提げて初のアメリカ・ツアーを行います。しかしこの頃にはヘロインが止められなかったシドは演奏できるような状態ではなく、メンバー間の関係も最悪の状態になっていました。

その結果、ツアーのサンフランシスコ公演を最後にしてジョニー・ロットンがバンドを脱退してしまいます。そして急遽アメリカ・ツアーは中止になってしまい、セックス・ピストルズは実質上の解散に追い込まれました。

1996年-再結成

再結成したセックス・ピストルズ

1996年にセックス・ピストルズは「俺達には共通の目的ができた、それは金だ!」と、結成時のオリジナルメンバーで再結成を果たしワールド・ツアーを行いました。ツアーのうちロンドンでの公演をレコーディングしたライブ・アルバム「勝手に来やがれ」を同年7月に発売。

2006年にはロックの殿堂入りを果たします。しかし以前からロックの殿堂を皮肉っていたセックス・ピストルズは、公式サイトにロックの殿堂を罵倒する内容のメッセージを掲載しました。セレモニーへの出席も拒否して、ロックの殿堂史上初の殿堂入りを蹴ったアーティストとなりました。

ロックの殿堂

2007年には4回目の再結成を行いワールド・ツアーを開催します。翌年、日本のロックフェスである「サマー・ソニック」に出演以降、再び活動を休止しました。

セックスピストルズの代表作・名曲

シングル

1976年-「アナーキー・イン・ザ・U.K./アイ・ワナ・ビー・ミー」

1976年にセックス・ピストルズのデビューシングルとして発売されたあと、1977年にリリースされたアルバム「勝手にしやがれ!!」にも収録されました。作曲は主にグレン・マトロックで、ジョニー・ロットンが作詞しています。

ローリングストーン誌が選出した「オールタイム・グレイテスト・ソング500」で56位に輝き、ロックの殿堂による「ロックン・ロールを形作った500曲」にも選ばれました。

また数々の映画のサントラに使用され、日本では2018年に公開された綾野剛が主演の「パンク侍、斬られて候」の主題歌に選ばれました。またコンピューターゲームの音楽としても使用されています。

1977年-「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン/ディド・ユー・ノー・ロング」

イギリス国家と同じ名前の楽曲ですが、グレン・マトロックによると最初に録音された時点では「ノー・フューチャー」という題名だったと言います。しかし録音後グレン・マトロックが脱退したので改めて録り直し、「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン」という題名でヴァージン・レコードから発売されました。

歌詞の内容がエリザベス女王を馬鹿にした内容だったため、放送局のBBCにより放送禁止の措置が取られました。女王陛下の在位25周年を記念する祝典の日にゲリラライブを行ったセックス・ピストルズが、「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン」を歌い逮捕されるという事件も起こりました。

このことが反対に良いプロモーションとなり、題名を黒く塗りつぶされたままチャートを駆け上がり初登場11位に輝くと翌週には2位を記録しました。

1977年-「プリティ・ヴェイカント/ノー・ファン」

セックス・ピストルズの3枚目となるシングルです。グレン・マトロックがスウェーデンのグループのABBAの楽曲である「SOS」にインスパイアされて生まれました。彼らが発売したシングルの中で初めて放送禁止を免れた楽曲でもあります。

発売当時は全英シングルチャートで第6位にランクインし、その他にもノルウェーやスウェーデンのチャートでもトップ10入りを果たしています。再結成時にはライブヴァージョンが、シングルで発売されました。

のちにジョニー・ロットンはこの曲について、「自己陶酔と自己憐憫にまみれて陶酔している野郎どもへの嘲笑、罵倒なんだ」と語っています。

1977年-「さらばベルリンの陽/サテライト」

1977年発売のセックス・ピストルズの4枚目で最後のシングルです。テレビ番組で暴言を吐いたり女王陛下を馬鹿にしたりして敵を多く作っていたピストルズは、ロンドンを離れドイツのベルリンで数週間過ごしました。その時の経験から作曲されたのが「さらばベルリンの陽」です。

「さらばベルリンの陽」は1977年に発売されたオリジナルアルバムの1曲目を務めた曲でもあります。アルバムの1曲目らしく高揚感のある展開と演奏の勢いが素晴らしい楽曲です。

シングルのジャケットはベルギーの観光協会のパンフレットをイメージして作られたものでした。そのことを快く思わなかった観光協会は、のちにセックス・ピストルズを告訴しています。

アルバム

1977年-「勝手にしやがれ!!」

1977年に発売されたセックス・ピストルズ唯一のオリジナルアルバムにしてパンクロックの名盤です。発売当時、全英アルバムチャートでは第1位に輝きますが、アメリカでは振るわずトップ100にも入りませんでした。しかし10年かけて50万枚以上を売り上げゴールドディスクを獲得しています。

イギリスのロックバンド「オアシス」のノエル・ギャラガーは、史上最も影響力のあるアルバムとしてこのアルバムを上げています。また日本では元BOØWYの氷室京介と布袋寅泰も、「勝手にしやがれ!!」から影響を受けたと語っています。

1997年-「勝手に来やがれ」

1996年に再結成を果たしたセックス・ピストルズは1978年以来となるライブを行いました。その再結成ツアーのうち、6月に開催されたロンドンでの公演を収録したライブ・アルバムです。

発売後は2週連続で全英アルバムチャートにランクインし最高26位まで到達しました。日本でも人気が高くオリコンチャートで4週にわたってチャートインし最高24位を記録しました。残念ながらアメリカの総合ビルボードチャートにはランクインしませんでしたが、トップ・ヒートシーカーズでは17位を獲得しています。

セックスピストルズに関するまとめ

音楽シーンに大きな影響を与えたセックス・ピストルズのパンクロック。彼らが表現した決して主張を曲げない反骨精神と我が道を行く生き方は多くの若者たちを虜にし、一大ムーブメントを起こしました。

また音楽シーンだけに留まらず、彼らの着ていた衣装はファッション・スタイルのひとつとして独自に発展を遂げました。

パンクロックが好きなら必ず聞いた方がいいバンドと言って間違いないでしょう。聞いたことないなんてもったいないですよ!
5.チェック
記事を執筆後、下記の項目のチェックを行ってください。次の3つの選択肢(自信あり◎ できてる◯ ちょっと不安△)から、当てはまるものを残し、それ以外は削除してください。

コメントを残す