1919年 – 61歳「ヨーロッパ視察に出かける」
平和主義・国際主義の重要性を学ぶ
1916年の第一次世界大戦で大隈内閣は日本は対華21ヶ条要求を中国に叩きつける等、高圧的な態度をとりました。尾崎は1919年に大戦後の世界を知る為、ヨーロッパに視察しています。
通説では尾崎は視察を通じて戦争の悲惨さを知り、強硬派から軍縮論者になったとされます。その後は普通選挙運動や治安維持改正運動、第二次護憲運動等の先頭に立ち、民主主義の旗揚げに関与しました。
しかしこれらの活動を通じて、尾崎は次第に政界で孤立。1925年にはとうとう無所属議員となりました。これは尾崎の出世の妨げとなり、以降は議長や副議長等の要職が尾崎に回る事はなかったのです。
1931年 – 73歳「軍国化の波に抵抗する」
満州事変勃発
1931年に関東軍による満州事変が起こった時、尾崎はアメリカに招かれていました。尾崎は知らせを聞き「日本は間違っている」と述べました。翌年には五・一五事件で盟友の犬養毅が暗殺され、政党政治は終焉します。
こうした軍国化の中、尾崎は「墓標に代えて」と題して遺言を執筆。命をかけてその波に抗うのでした。尾崎への圧力は高まり、議院構内に尾崎の銅像を建設する計画も中止となりました。
1942年 – 84歳「翼賛選挙に非推薦で当選する」
翼賛選挙で非推薦で当選
やがて東條英機内閣が発足すると尾崎は議会政治に見切りをつけ、あまり上京はしていません。1942年には翼賛選挙が行われ、軍の推薦を受けていない候補者は圧倒的に不利な状況で選挙に挑んでいます。
尾崎行雄不敬事件
尾崎は非推薦ながら合格したものの、翌年に選挙中の応援演説が不敬罪にあたるとして勾留されました。一審では懲役8か月、執行猶予2年の判決が出るものの、1944年に上告して無罪を勝ち取りました。
1944年と言えば戦時中の真っ只中です。尾崎の孫は行信は後に最高裁判所裁判官となりますが、この無罪判決に対して「戦争中に立派な判決を出す人がいる」と感銘を受けています。
まだ日本にも司法の独立、そして良心は残っていたのでした。
1945年 – 87歳「戦後も議員として活躍する」
終戦を迎える
1945年に終戦を迎えると、戦時中に軍部に抗っていた尾崎の信頼はますます高まる事になりました。尾崎は新たな憲法の草案を考えた他、世界の平和の為に「世界連邦建設に関する決議案」を議会に提出しました。
1946年には第22回総選挙が行われ、尾崎は全県一区でトップ当選を果たします。その後も世界平和と民主主義の復活の為に尽力し、1952年には衆議院より憲政功労者として表彰されました。
議員の引退
1952年に行われた第25回総選挙では病床より立候補して当選。この時点で尾崎は94歳となっていました。迫る年齢にはさすがに勝てず、支援者の高齢化もあり、1953年4月の第26回総選挙で落選し、尾崎は政界を引退しました。
1954年 – 95歳「尾崎行雄死去」
衆議院名誉議員となる
63年にわたり日本の民主化に尽力した功績を称え、1953年7月には衆議院名誉議員の称号を得ました。更には10月には東京都名誉都民第1号にもなっています。
尾崎行雄死去
長きにわたり功績を残した尾崎ですが、1954年10月に直腸癌と老衰にて亡くなります。尾崎の死は多くの人が悲しみ、衆議院による葬儀が行われたそうです。
尾崎行雄の関連作品
おすすめ書籍・本・漫画
人生の本舞台
尾崎の評伝であり、晩年に書かれた内容を復刻したものです。議員として、1人の人間として悟りの領域に達したとも言える尾崎の智慧が語られており、現在に生きる私達にも通ずるものがあるでしょう。
尾崎行雄 民主政治読本
戦後間もない1947年に尾崎が書いたもので、彼自身は「魂の書」と述べています。敗戦の影響か戦前の歴史・文化への批判等もたくさん見られており、読み手は複雑に感じるかもしれません。
ただ戦前に立憲政治や民主主義が遵守されていれば、戦争は避けられた事は間違いないので、この本は1つ意見として留めておく必要があるでしょう。
大正政変 ― 国家経営構想の分裂
尾崎行雄と犬養毅が起こした第一次護憲運動の経過について詳しく書かれた本です。当時の藩閥政治、陸軍との確執等、様々な視点から大正政変を見ると当時の日本の状況が浮かび上がってきます。
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尾崎行雄「正しき選挙の道」
尾崎行雄の演説です。幕末から戦後を生き抜いた人物の演説だと考えるとかなり貴重なものだと言えますね。
憲政の父 尾崎行雄の生涯
「尾崎行雄を全国に発信する会」が尾崎の生涯を紙芝居にした作品です。見やすくまとめられているので、子どもだけでなく大人にも観て欲しい動画です。
関連外部リンク
尾崎行雄についてのまとめ
今回は尾崎行雄の生涯について生涯しました。63年間議員を務めた事も凄いのですが、明治14年の政変の時から日本の政治に関わっていました。それを踏まえると尾崎は日本の民主主義の草分け的存在です。
尾崎は議会の始まり、戦争の勝利と敗北、そして戦後の復興を最前線で見続けた唯一の人物でしょう。今回の記事を通じて尾崎の事に興味を持っていただけたら幸いです。