イグナチオ・デ・ロヨラはイエズス会の創立者であり、初代総長を務めたことでも知られています。しかし、彼の経歴の転換は鮮やかなもので、30歳になるまでは勇猛果敢な騎士として戦場で大活躍をしていました。戦果を上げることで名誉を得ようとしていたロヨラでしたが、大怪我によって心を入れ替えることになるのです。
怪我の療養中に聖人たちの伝記を読んだロヨラは自分も自己犠牲的な生き方をしようと決心します。そして、その修行における苦難を乗り越えて、霊性を獲得し、その方法を「霊操」という形で世間に広めていくことになりました。
霊操によって集まった、フランシスコ=ザビエルを含む同志6人とともにイエズス会を設立し、現代に至るまで多くの会員を抱える巨大な組織に成長させるのでした。ロヨラ亡き後にはその功績が称えられ、列福・列聖されるようなキリスト教史に残る重要人物なのです。
今回は鮮やかな転身を遂げたイグナチオ・デ・ロヨラがどのような生涯を送ったのかに興味を持った筆者が、様々な文献を読み漁った結果得た知識を元に、ロヨラの生涯、功績、ザビエルとの関係性に至るまで幅広く紹介していきたいと思います。
この記事を書いた人
一橋大卒 歴史学専攻
Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。
ロヨラとはどんな人物か
名前 | イグナチオ・デ・ロヨラ |
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誕生日 | 1491年10月23日 |
没日 | 1556年7月31日 |
生地 | スペイン バスク地方 ギプスコア |
没地 | イタリア ローマ |
配偶者 | なし |
埋葬場所 | イタリア ローマ ジェズー教会 |
ロヨラの生涯をハイライト
ロヨラの生涯をダイジェストすると以下のようになります。
- 1491年10月、スペインのバスク地方にあるロヨラ城にて誕生
- 15歳の時にカトリック両王の会計監査委員長であるクエヤールに仕える
- 30歳に至るまで、戦士として戦争で活躍
- パンプローナの戦いで右脚を負傷、部分的に切除することに
- 療養中に読んだ聖人たちの伝記に感銘を受け、自らも自己犠牲的に生きることを望むように
- モンセラートのベネディクト修道院にて、世俗的な生き方との決別を誓う
- 魂の修行である「霊操」を考案、世間に広めるために語学などを勉強
- 霊操によって同志を増やし、6人の同志とともにモンマルトルの丘で誓願を立てる
- 1540年にイエズス会を発足、1541年に初代総長に
- 会見の草案に尽力し、1552年に完成し、承認が降りる
- 1553年から「自叙伝」作成のため、カマラ神父に口述を施す
- 1556年7月31日、帰天、ローマのジェズー教会へ埋葬される
- 1609年に列福、1622年に列聖
イエズス会を創設した目的
イエズス会を創設した目的は、「エルサレムへの巡礼とその地での奉仕」を行うためとされていましたが、現在ではそれが発展して、高等教育、宣教活動、社会正義事業の3点が主な活動内容となっています。
イエズス会はロヨラを中心として「モンマルトルの誓い」をともに立てた7人のメンバーが創設に関与しましたが、ロヨラの活躍していた時代の主要な活動は、会員を増加させること、会憲を完成させることでした。その後、ロヨラが亡くなった後も会員が増加し続け、現在では112カ国、2万人の会員がいるとされ、その会員たちが教育、宣教、社会事業の面で社会奉仕を施しているのです。
聖人への憧れが強すぎて自分の名前を改名
戦争での右脚負傷の療養中に、聖人たちの伝記を読むことによってその生き方に感化され、ロヨラはいつしか自分自身の名前も改名したいと願うようになりました。聖人伝の中で、その時のロヨラの心に特に響いた「アンティオキアのイグナティオス」から名前をもらうことに決め、これ以後、「イグナティウス・ロヨラ」もしくは「イグナチオ・デ・ロヨラ」と名乗るようになったのです。
元々は勇猛果敢な騎士として活躍し、療養中も「騎士道物語」を読みたがっていたロヨラでしたが、運命の導きにより、偶然聖人たちの生き方に触れる機会を獲得、その内容に影響されて、自己犠牲的な生き方を目指すようになるという劇的な回心を果たすのでした。
フランシスコ=ザビエルとの関係性
フランシスコ=ザビエルは1506年にナバラ王国(現在のスペイン)で誕生し、1525年に学問を修めにパリへと旅立ち、1530年にロヨラと出会った際には哲学学士号と博士号を取得したての学生でした。24歳という若さで大学教員となったザビエルは当初、ロヨラに対して懐疑的かつ防衛的な態度を取っていたのです。
しかし、ロヨラはザビエルを同志にするために辛抱強く待ち続け、1533年に霊操を授けるとともにザビエルを回心させることに成功し、同志として迎え入れることになるのでした。のちに2人はモンマルトルの丘でイエズス会の発端となる誓願を立て、イエズス会の主要人物としてともに活躍することになるのです。
ザビエルはイエズス会が発足してから会員を増やすことに精を出していましたが、1546年にマラッカにて3人の日本人に出会うと、彼らの生き方やキリスト教に対する理解に感銘を受け、日本で宣教活動を行うことを決心するのでした。そして、1549年に鹿児島に上陸することになるのです。