「三億円事件の真相が知りたい!」
「犯人は誰だったのか?」
「三億円事件は世の中にどんな影響を与えたのか?」
日本犯罪史上もっとも有名な事件のひとつ「三億円事件」。被害額が当時の貨幣価値にして約20億円にも上った現金強奪事件に世間は騒然となりました。小説や漫画、映画など様々な作品のモチーフとなり、事件発生から50年以上経った現在でもよく知られています。
さらに三億円事件は現金の運搬に大きな影響を与え、現金輸送の危険性を広めたことで銀行振り込みの普及に大きな貢献を果たしました。
この記事では三億円事件が起こった経緯と犯人像、事件が与えた影響やモチーフに使用された作品を紹介します。
この記事を書いた人
一橋大卒 歴史学専攻
Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。
三億円事件とはなんだったのか?
事件の概要
1968年12月10日に東京都府中市の路上で3億円が奪われた窃盗事件です。のちに発生した「有楽町三億円事件」「練馬三億円事件」と区別するため「府中三億円事件」とも呼ばれています。現金輸送車に積まれていた3億円は、東京芝浦電気(現・東芝)の府中工場に勤める従業員たちのボーナスでした。
犯人は白バイに乗る警察官に変装し現金輸送車を停止させると、車にダイナマイトが仕掛けられていると銀行員たちを騙しました。彼らに避難するよう指示し、その隙に現金輸送車に乗り込み走り去ってしまいます。
犯行時間わずか3分という鮮やかな犯行でしたが、犯行現場に残された遺留品は120点もあり犯人はすぐ捕まるだろうと思われていました。しかし、そのどれもが犯人につながる証拠とはならず、結局警察は犯人を特定することが出来ませんでした。
1975年に公訴時効、1988年に民事時効が成立し未解決事件となりました。
時代背景
三億円事件が起こった1968年は東京オリンピックから4年が経ち、日本は目覚ましい好景気に沸き立っていました。この年、日本のGNP(国民総生産)は西ドイツを抜いて、アメリカに次ぐ世界第2位に浮上しています。
1968年3月にはテレビアニメ「巨人の星」が放送を開始し、7月には集英社から「少年ジャンプ」の創刊号が発売されました。また作家の川端康成がこの年の10月に、日本人として初めてのノーベル文学賞を受賞しています。
アメリカでは6月5日にケネディ大統領の弟であるロバート・ケネディ上院議員が、兄と同じく銃撃され暗殺されました。
当時の貨幣価値
1968年当時、大卒の初任給が約3万600円であり2020年の約20万9014円と比べると、貨幣価値は約6倍になっている計算になります。また1968年は宝くじの1等が初めて1000万円になった年でもありました。
現金強奪事件での被害最高額は1965年9月に青森銀行弘前支店前で起こったひったくりで3100万円の被害でしたが、三億円事件が塗り替え当時の最高金額となりました。現在の貨幣価値で換算すると約20億円にも上る被害額です。
その後、2011年東京都立川市で起こった立川6億円強奪事件がその記録を抜きましたが、貨幣価値から見た被害額では未だ三億円事件に勝る事件は起こっていません。