葛飾北斎の有名な作品を時代別に一覧で紹介【特徴も分かりやすく解説】

葛飾北斎は、世界で最も有名な日本の芸術家の一人です。作品の構図やデザイン、色使いは今見ても斬新で目を奪われます。オランダの印象派の画家ゴッホが北斎の作品に夢中だったことはよく知られていますが、鎖国下の日本で生まれた芸術が国境を超えて世界の人を魅了したのです。

葛飾北斎(1760〜1849)

この記事では、葛飾北斎のよく知られた作品を写真やエピソードとともに紹介します。北斎は生涯で何度も名前を変えているので、その名前を名乗っていた時期ごとに作品を分けてまとめました。これも北斎の作品だったの?と驚くものに出会えるかもしれません。

この記事を書いた人

一橋大卒 歴史学専攻

京藤 一葉

Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。

葛飾北斎の有名な作品:春朗期編

葛飾北斎は1778年、19歳で勝川春章に入門します。師の名前から「春」を、師の別号である旭朗井(きょくろうせい)から「朗」の文字をもらい、「勝川春朗」という名前で画壇デビューしました。

正宗娘おれん 瀬川菊之丞

「 正宗娘おれん 瀬川菊之丞」1779年8月ごろ

勝川春朗としてのデビュー作のうちの一枚です。1779年8月に市村座で上演された「新薄雪物語」の、三代目瀬川菊之丞が演じた正宗娘おれんを描いた、多色刷りの浮世絵版画である錦絵です。色数が多く、入念な彫が確認できます。師の勝川春章の作風に倣っている様子がうかがえます。

かしく 岩井半四郎

「かしく 岩井半四郎」1779年8月ごろ

1779年8月に、中村座で上演された歌舞伎「敵討仇名かしく」を題材に、四代目岩井半四郎が演じるかしくを描いた錦絵です。「正宗娘おれん 瀬川菊之丞」と共に、春朗のデビュー作です。

新板浮絵両国橋夕涼花火見物之図

「新板浮絵両国橋夕涼花火見物之図」1781〜1789年ごろ

「新板浮絵両国橋夕涼花火見物之図」は春朗時代に発表された11種の浮絵の一つです。浮絵とは西洋の線遠近法を取り入れて作品に奥行きを出す様式です。これによって、手前の両国広小路に賑わう人々と、遠くに見える川開きの花火との見事な空間表現が生まれました。浮絵を得意としていた歌川豊春(1735〜1814)の影響を受けていると考えられています。

智恵次第箱根結

「智恵次第箱根結」1793年春道草樹作

春朗期は風刺や滑稽味の効いた、大人向きの絵入り小説である黄表紙の挿絵も手がけています。デビュー作は1780年の「白井権八幡随長兵衛 驪比異塚」と言われています。

婦女風俗図

「婦女風俗図」1792〜1793年

版画ではなく自筆で描いた、春朗期の肉筆画として残っている数少ない作品の一つです。女性たちは、次の宗理期にも共通するポーズをとっています。

鍾馗図

「鍾馗図」1793〜1794年ごろ

「鍾馗図」も春朗期の肉筆画で、春朗の落款が確認できる唯一の本画です。鍾馗様とは中国に伝わる神様で、疫病除けや魔除けとして端午の節句に飾ることが多いもので、特に本作のような朱書きの鍾馗図は疱瘡除けのご利益があると信じられていました。

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