満州事変とは何かわかりやすく解説!真実やきっかけも簡単に紹介

「満州事変ってどんな事件?」
「満州事変を引き起こした関東軍ってどんな組織?」
「満州事変の目的や中心人物は?」

この記事をご覧の皆さんはそのような疑問を持っているかもしれません。満州事変は1931年9月18日に奉天郊外の柳条湖で起きた事件を発端として、関東軍が満州を武力制圧した事件です。

かねてから、関東軍は地下資源豊富な満州から張学良を追い出し、日本の支配下に置こうと画策していました。欧米諸国との対立を恐れた若槻内閣は不拡大方針を発表しますが、関東軍はこれを無視してしまいます。

満州事変後、満州からの撤退を求める国際世論に反発した日本政府は国際連盟を脱退。孤立化を深めてしまいました。また、満州事変はその後の軍の青年将校たちの暴走に拍車をかける結果となります。

日本と中国の歴史に大きな影響を及ぼした満州事変。それがいったいどのような事件だったのか、じっくりと掘り下げてみましょう。

この記事を書いた人

一橋大卒 歴史学専攻

京藤 一葉

Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。

満州事変とは

満州事変の概要

満州事変で瀋陽に入る日本軍
出典:満州事変 – Wikipedia(ja)

満州事変とは、遼東半島の一部である関東州に派遣されていた関東軍(日本陸軍の一部)が、柳条湖事件をきっかけに満州全土を武力制圧した事件です。関東軍は現在の中国東北地方にあたる満州を日本の支配下におこうとしていました。

その目的を達成するため、関東軍は満州軍閥の張作霖を支援します。ところが、張作霖は蒋介石率いる北伐軍に大敗。主力部隊を失います。そこで関東軍は張作霖を爆殺してしまいました。しかし、満州は張作霖の子の張学良に引き継がれたため、満州を日本の支配下に置こうとする関東軍の意図は失敗に終わります。

それでも関東軍は満州支配の野望をあきらめませんでした。関東軍参謀の石原莞爾は上司の板垣征四郎と謀り、満州を武力制圧する計画を立案します。この計画は本国の陸軍上層部に報告することなく、関東軍内部の計画として企画・立案されました。

満州事変を報じた青森県弘前市の「弘前新聞」
出典:ADEAC(アデアック):デジタルアーカイブシステム

その理由は、本国の上層部に知られると計画を止められる恐れがあるからです。そして、1931年9月18日、関東軍は奉天郊外の柳条湖で南満州鉄道の線路を爆破。これを張学良の中国軍の仕業として一方的に攻撃しました。

張学良は配下の軍団に反撃させません。それにより、関東軍は満州を短期間で制圧しました。事件後、関東軍は清朝最後の皇帝溥儀を執政とする満州国の建国を宣言。のちに日本政府が満州国を承認したことから、日本は国際的に孤立します。

満州事変を引き起こした関東軍

関東軍とは?

旅順に残る関東軍の旧司令部
出典:関東軍 – Wikipedia

関東軍とは、日本陸軍の一部で、ポーツマス条約で獲得した南満州鉄道(満鉄)などの日本権益を守るため中国に設置されます。もともとは関東州を統治する「関東都督府」の守備隊で満鉄沿線の警備や遼東半島南部の「関東州(旅順や大連を含む)」の守備を任務としていました。

1919年、関東都督府が関東庁に再編されると、守備隊は関東庁と分離され関東軍として独立します。設立当初は6個大隊と本国から派遣される1師団という小規模軍でした。満州事変の時、関東軍の兵力は1万人程度でした。しかし、どんどん規模が拡大。終戦時には80万人を超える大部隊となります。

張作霖爆殺事件をおこした

関東軍は、1928年に張作霖爆殺事件を起こしました。張作霖とは、中国東北地方(旧満州)を支配していた軍閥です。張作霖は内戦で混乱する北京に入城し支配者となります。このころ、日本は張作霖を支援していました。しかし、張作霖は蒋介石との戦いに敗北。敗れた張作霖は北京を放棄。本拠地の満州に撤退します。

張作霖爆殺事件の現場
出典:張作霖爆殺事件 – Wikipedia

関東軍からすれば、蒋介石との戦いに敗れた張作霖と手を結び続ける必要はありません。そこで、関東軍参謀の河本大作大佐は、張作霖が乗った列車を爆破し張作霖を殺害しました。張作霖の死後、彼の勢力は息子の張学良に引き継がれます。

ここで、関東軍にとって思わぬことがおきました。張学良は父を殺した関東軍の言いなりになることを良しとせず、蒋介石の支配下にはいったのです。これにより、関東軍は満州を支配するという目的を達成できなくなりました。

柳条湖事件は関東軍の自作自演?

事件直後の爆破現場(柳条湖付近)
出典:満州事変 – Wikipedia(ja)

柳条湖事件とは、奉天郊外の柳条湖付近で満鉄の線路が何者かによって破壊された事件です。鉄道警備を担っていた関東軍は鉄道爆破を張学良軍の仕業と決めつけます。第二次世界大戦後、柳条湖事件は関東軍の自作自演であることが発覚します。

事件後、満鉄職員が爆破された箇所の修理を行うため現場に立ち入ろうとしますが、関東軍はこれを拒否しました。また、爆破の規模も小規模で、事件直後に急行列車が支障なく通過できていることからも、鉄道営業に影響を与えないよう、コントロールされた爆破であることがうかがえます。

この柳条湖事件をきっかけに、関東軍は満州各地を軍事占領。いわゆる「満州事変」に発展しました。こうして、関東軍は積年の望みである満州支配のきっかけをつかみます。

1 2 3 4

コメントを残す