万葉集とは何かわかりやすく解説!作者や代表和歌・歌人も紹介

万葉集は、7世紀前半から8世紀後半にあたる759年から780年の間(奈良時代末期)に成立した日本最古の和歌集です。約130年の間に貴族や官人、農民や大道芸人など、多様な身分の人々が詠んだ和歌が約4,500首以上も収められています。

しかし「万葉集」という言葉に聞き馴染みはあっても、肝心の中身は詳しく知らないという人も多いのではないでしょうか?また収められてい和歌が膨大なため、どの和歌をどの歌人が書いたのか曖昧な方もいるはず。

そこで今回は、万葉集をわかりやすく解説します。万葉集の由来や編者・作者はもちろん、収められている和歌の種類や代表作品の歌人まで、万葉集の全貌を大公開。

この記事を読めば、万葉集の中身を詳細に理解できるでしょう。

この記事を書いた人

一橋大卒 歴史学専攻

京藤 一葉

Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。

万葉集とは?

万葉集
出典:足利経済新聞

万葉集は、奈良時代末期に成立した日本最古の和歌集です。全20巻4,500集という膨大な数の和歌を収録している万葉集の中には、天皇や貴族はもちろん、下級官人、農民が詠んだ和歌も含まれています。作者不詳の和歌も2,100以上おさめられており、当時の人々の心情や生活が垣間見られる貴重な史料です。

7世紀から8世紀中頃の約130年間に詠まれた和歌が収録されており、759年から780年の間に編さん、成立されたと言われ、これには大伴家持が大きくかかわっていると言われています。しかし、万葉集は何のために、どのように編さんされたのかはっきりとは分かっていません。

万葉集の和歌は各巻によって、年代順や部類別、国別によって配列されています。和歌の内容としては、恋愛にまつわる「相聞歌」、宴や旅行に関する歌「雑歌」、死者を悼む「挽歌」が中心。その他にも、防人歌(さきもりのうた)や、東歌(あずまうた)など、多種多様な和歌がおさめられているのが特徴です。

万葉集の原本は残念ながら存在していません。しかし、一部現存している最古の写本は桂本万葉集、完全に残っているのは西本願寺本万葉集であり、これらをもとに現在も研究が続いています。

成立したのは奈良時代

奈良時代の都・平城京
出典:奈良まちあるき風景紀行

万葉集が成立したのは奈良時代後半。759年(天平宝字3年)から780年(宝亀11年)にかけて成立したと言われています。

万葉集に収録されている和歌の中で最も古いものは、629年に舒明天皇によって詠まれたもの、最も時期の新しいものは759年に大伴家持によって詠まれた和歌です。この130年間に詠まれた和歌が、奈良時代の約21年にかけて編さんされました。

編者・作者は大伴家持

大伴家持
出典:wikipedia

万葉集の編者・作者は諸説あり、大伴家持が編さんに大きくかかわっていた説が現在最も有力です。しかし天皇によって選ばれる勅選や、橘諸兄による編さんとも言われており、実のところいまだはっきりとは分かっていません。

万葉集は20巻もあるのでそれを一人で編さんするのではなく、巻によって編者を変え、最終的に家持の手によってまとめられたと考えられています。

書名の由来

万葉集の和歌は全て漢字で書かれている
出典:マーノ

万葉集の書名の由来にも多くの説があります。主流は「葉」を「世」の意味とし「万世にまで末永く伝えられるべき歌集」と捉える説です。

他にも「多くの言の葉=歌を集めたもの」と解釈する説や、「葉」を「木の葉」と解釈し「木の葉をもって歌にたとえた」とする説などがあります。

万葉集の成り立ち

さまざまな万葉和歌
出典:令和和歌所

万葉集に収録されている和歌は、130年以上にわたる長い時間を経ているので、その歌風も変化しています。一般的にその特徴は時代に合わせて4期に分けられているので詳しく解説します。

第1期(620~670年頃)

飛鳥時代の雅な官廷の様子
出典:へぇ~、そうだったの ニッポン!

第1期は629年から672年までの時代を指します。大化の改新や壬申の乱も起こった古代日本史のなかでも激動の時代であり、中央集権国家の礎が固められた日本の成立にかかわる重要な時期でした。

第1期は「初期万葉」と呼ばれ、官廷儀礼や民間習俗と深くかかわった和歌が多いのが特徴です。また呪術的な性格も強い和歌が多く、自然信仰や宗教観なども垣間見られる和歌が目立ちます。

口頭でしか伝えられなかったことを文字に残せるようになった時代であったのも、大きな特徴でしょう。口誦性や古代民謡にもつながる和歌が多数存在しています。

第2期(670~710年頃)

飛鳥時代の象徴・法隆寺
出典:wikipedia

第2期は、壬申の乱から平城京遷都までの約40年間。律令政治も整備され、天皇を中心にした国家が形成され始め、国の安定と繁栄がもたらされた時代です。

この時期の万葉集の和歌は、個人の心情を詠んだものが多く、万葉歌風が確立した時期だと言われています。官廷儀礼や民間習俗などの集団性の強い和歌よりも、個人の心の内面を力強く表した和歌が多いのが特徴です。

第3期(720~730年頃)

奈良時代の都・平城京
出典:歴史の場所&地図

第3期は710年の平城京遷都の少し後から733年の間、約10年間になります。

新しい都・平城京が唐の長安を模して造営されたことからも分かるように、中国文化がいっきに日本に流れ込んできた時代。貴族や役人の間で、漢文や漢詩文が多く使われるようになりました。

中国文化の影響により今までになかった発想や表現技法が使用されるようになり、雅やかな和歌が詠まれることが多くなったのも特徴です。国が変化していく有様も垣間見られる客観性があります。

一方、九州地方では大宰府の役人を中心にした詠み人たち(のちに筑紫歌壇と呼ばれます)が現れ、煩悶や個人の思想を詠った和歌も目立つようになりました。一人ひとりの個性が目立つ和歌が多数誕生したのが第3期です。

第4期(730~759年頃)

天平文化の象徴・東大寺毘盧遮那仏
出典:奈良市観光協会

第4期は730年から759年頃、天平文化の最盛期と言われている時代です。東大寺の毘盧遮那仏の開眼供養が行われた時期であり、一方で、内乱が多発したり天然痘が流行したりと国家が不安定な時期でした。

この時期は、雅やかで素朴な力強さを放った和歌は少なくなり、観念的な和歌が増えたと言われています。繊細かつ優美であるにもかかわらず悲しみや悔しさを詠った感傷的な和歌も多く目立ちました。国の情勢が読み取れます。

また、女性歌人の和歌が多く誕生した時期でもあります。ここから平安時代の王朝和歌へと繋がっていくこととなりました。

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