「花魁言葉ってどんな言葉?」
「花魁言葉が語源の言葉が多いって本当?」
花魁言葉とは、花魁を含めた遊郭の遊女が使用していた言葉です。そのため別称で「廓詞(くるわことば)」や「廓言葉(かくことば)」とも呼ばれています。
テレビや漫画で見る機会が増えた花魁言葉ですが、なぜ遊郭では独特な言い回しを使用したのか?など詳しく知らない人も多いのではないでしょうか。花魁言葉が使用されるようになったのには、遊郭の背景が関わっていたり奥が深い理由があります。
この記事ではそんな「花魁言葉(廓詞)」の起源や歴史、代表的な用語まで幅広く紹介します。
花魁とは何をする人?仕事内容や避妊方法、実在した人物を簡単に紹介
この記事を書いた人
フリーランスライター
フリーランスライター、高田里美(たかださとみ)。大学は日本語・日本文学科を専攻。同時にドイツ史に興味を持ち、語学学校に通いながら研究に励む。ドイツ史研究歴は約20年で、過去に読んだヨーロッパ史の専門書は100冊以上。日本語教師、会社員を経て結婚し、現在は歴史研究を続けながらWebライターとして活躍中。
花魁言葉(廓言葉)とは?
花魁言葉とは、花魁が話した独特な言葉を表します。広義では花魁を含めた遊郭の遊女が使う言葉を表し、「郭詞」とも呼ばれています。また「ありんす詞」「里詞」とも呼ばれており、理由は遊女の言い回しの一つに「ありんす(あります)」という言葉があり、遊郭のことを「ありんす国」と呼ぶなど遊女を表す代名詞的な言葉のために付けられました。
花魁言葉はなぜ生まれた?
花魁言葉が生まれた理由は、遊女たちの素性を隠すのが目的でした。遊郭に身を投じる遊女は花魁を含めて、多くは貧しい地方の農村から売られてきた女性たちです。そのため地方出身者の訛りや方言を隠すため使われ、遊女たちは廓詞を徹底的に身につけることにより、上品で艶っぽく言えるようにしたのでした。
その中でも特に花魁は、理想の女性として高嶺の花的な存在を演出しなければならず、自分の出身地を隠す必要がありました。そのため廓詞を巧みに使い男性に幻滅されないようにし、艶やかな詞で虜にしていったのです。
花魁言葉の歴史
花魁言葉も時代によって少しずつ変化していき、江戸後期の方が吉原遊郭独特の言葉というニュアンスが強く感じられるようになっていきます。大きく時代は、
- 江戸前期(明和・安永など)
- 江戸中期(天明・寛政など)
- 江戸末期(文政・天保など)
の3つにわけられ、特徴は江戸前期の言葉よりも江戸中期、後期と下っていくにつれて響きが洗練されていきます。また京の廓詞が入ってきたりと流行もあったようです。
例えば江戸初期の「いらっしゃいませ」を意味する「ゆきなんせ」「きなんせ」という言葉は、江戸中期には「きなんし」「おいでなんし」となり、中期から後期にかけては「おいでなんしぇ」「きなんしぇ」となり「おざんす」となりました。「ん」の音便を使うのが吉原遊郭で使われる言葉の特徴になっていきます。これは京言葉の影響であるだろうと考えられているのです。