アントニオガウディは、19世紀末から20世紀初頭にかけてスペインのバルセロナで活躍した建築家です。カタルーニャ地方出身であったガウディは、カタルーニャ・モダニズムという芸術の復興期にあったバルセロナにおいて、唯一無二の名建築をいくつも世に生み出しました。
彼の建築スタイルの特徴は、自然や動植物をモチーフとした自由で独創的な造形と、色鮮やかで芸術的な装飾にあります。そんなユニークで幻想的な世界観を持つガウディの建築は、一度見たら忘れられないインパクトを放ちます。
また、自然力学に則ったシンプルで合理的な構造は、その後の多くの建築家たちに影響を与えてきました。ガウディの残した作品は時代を超えて世界中の人々に愛され、1984年にはその作品群がユネスコ世界文化遺産に登録されています。
また、ガウディの功績を語る上で避けては通れないのが、「サグラダ・ファミリア大聖堂」の建築です。彼は31歳で専任建築士に任命されてから73歳で亡くなる日まで、人生をかけてこの大作に取り組みました。
着工当初、ガウディが描いた構想を実現するのにはなんと300年の月日がかかると想定されたそうです。自分の生きている内に完成させるのが不可能な建築だと分かっていながら、ガウディは建設をスタートさせたのでした。
そして、ガウディの死から100年以上経った現在でも、その意思を継ぎサグラダ・ファミリアの建設は続けられています。
今回は、アントニオガウディの功績や生涯、性格、家族や、独身を貫いた彼の恋模様についても詳しく解説していきます。この記事を読み終えたとき、偉大な建築家アントニオガウディを、きっと一人の人間としても身近に感じられるようになりますよ。
この記事を書いた人
一橋大卒 歴史学専攻
Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。
アントニオガウディとはどんな人物か
名前 | アントニオ・ガウディ |
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誕生日 | 1852年6月25日 |
没日 | 1926年6月10日 |
生地 | スペイン カタルーニャ地方 タラゴナ |
没地 | スペイン カタルーニャ地方 バルセロナ |
配偶者 | なし |
埋葬場所 | サグラダ・ファミリア |
アントニオガウディの生涯をハイライト
まず、アントニオガウディの生涯について、簡単にご説明します。
1852年6月25日、アントニオガウディはスペインのカタルーニャ地方タラゴナで誕生します。リウマチに苦しみ、ほかの子どものように自由に走り回ることができなかったガウディは、銅板加工の職人だった祖父や両親の仕事をじっと眺めて過ごすのが好きでした。
そんなガウディが建築家に憧れを抱くようになったのは、高校時代に出会った親友たちとの交流がきっかけでした。漠然と「何か立体的なものを作る仕事がしたい」と考えていたガウディは、友人たちに建築家を目指すことを勧められます。
友人の言葉に背中を押されたガウディは、本格的に建築家を目指すためバルセロナに移住します。建築専門学校で学び、苦学の末建築家の資格を取得したガウディは、早速個人での仕事を受注し始めます。
小さい仕事をコツコツとこなしていましたが、とある仕事がきっかけで後に最大のパトロンとなる大富豪エウセビ・グエルと出会います。
その後ガウディは、前任の跡を引き継いでサグラダ・ファミリア大聖堂の専任設計者を任されます。それに加え、グエルの依頼で「グエル別邸」や「グエル邸」などの建設も並行して行い、ガウディは多忙な日々を送ります。
精神的に追い込まれながらも、依頼主に喜ばれる完璧な作品を作り上げることに情熱を注いだガウディ。こうして、一流の建築家としてガウディの名はバルセロナ中の富豪たちに知られることになり、彼はその後も多くの歴史的建造物を生み出していきました。
晩年のガウディは敬虔なカトリック信者に変貌し、仕事をサグラダ・ファミリアの建設一本に絞って作業に没頭するようになります。
ある日の夕方、ガウディはミサに出かけた道中で路面電車にはねられる事故に遭います。怪我を負ったガウディでしたが、そのとき放浪者のような身なりをしていたため、人々は彼がガウディだということに気がつかず十分な治療を受けることができませんでした。
ガウディは事故の3日後、73歳で息を引き取ります。ガウディの死をバルセロナ中の人々が悲しみ、盛大な葬式が執り行われました。ガウディは、サグラダ・ファミリアの地下聖堂に埋葬されました。
アントニオガウディの家族
では、ガウディはどのような家族のもとで育ったのでしょうか。
ガウディの生まれた家は地元に代々続く銅細工職人の家系で、銅細工師だった父と母、兄と姉が一人ずつの計5人家族でした。夫婦には、幼くして亡くなった長男と次女がいました。身体の弱かったガウディは、両親の愛情をいっぱいに受けて幸せに育ちます。
しかし、ガウディが成長しバルセロナに移り住んだ後、医学部を目指していた兄が病気で亡くなり、そして後を追うように母親が他界します。ガウディは、故郷レウスにいた父親とバルセロナに住んでいた姉ロサとその娘とともにバルセロナで暮らし始めますが、程なくして姉のロサも亡くなってしまいます。
最愛の家族を次々に失ったガウディは、神の存在を否定するほどに落ち込みましたが、建築家になる夢を実現するため懸命に努力を続けました。彼らの分まで人生を精いっぱい生き抜こうという思いがあったからこそ、建築の世界で偉業を成し遂げることができたのかもしれません。
アントニオガウディの性格
ガウディは、とても繊細で内気な性格でした。小さい頃リウマチを患い、友達と遊ぶことができなかった彼は、いつも自然の中で動物や植物を観察して過ごしていました。よって人との交流に慣れておらず口下手だったため、ガウディは恋愛も苦手で生涯独身を貫いています。
一方で、建築家となったガウディは自分の仕事に携わる職人たち一人ひとりに真摯に向き合い、大切にしたというエピソードもあります。建設の現場でも、問題のある職人に対しすぐクビにしたり怒鳴ったりするのではなく、時間をかけて正しい方法を丁寧に教えたと言います。
晩年は不幸が続いたことで人を避けるようになってしまったガウディですが、上っ面ではない本当の繋がりを大切にする、人に対してとても誠実で心優しい人物だったのでしょう。
アントニオガウディの女性事情
生涯を通して独身だったガウディでしたが、人生で3度の恋を経験していました。
1人目は、ガウディが20代後半の頃にマタロという町で出会った教師のペピータ・モレウという女性です。知り合った当時ペピータは、夫との離婚手続きの最中でした。そんな彼女にガウディはぞっこんだったようで、離婚が成立するまでの5年間、ペピータの実家に毎週のようにご飯を食べに行っていたというエピソードが残っています。
しかし、離婚が成立してすぐにプロポーズしたものの、なんとそのときペピータには別の婚約者が。婚約指輪を見せられたガウディのショックは、いかほどのものだったのでしょうか。
2人目は、教会で出会った女性です。ガウディが一目ぼれをして告白するも、その女性は尼になることを決めていたため恋は成就しませんでした。
3人目は、知人のパーティーで出会ったフランス人の女性でした。芸術話で意気投合したことで、ガウディは彼女こそ運命の女性だと確信します。しかし、不幸にも彼女にも婚約者がおり、これがガウディにとって3度目の失恋となってしまいます。
ガウディにとって失恋の痛手は大きく、これが彼が建築に没頭するようになった原因のひとつだったとも言われています。
アントニオガウディの功績
功績1「カタルーニャ・モダニズム時代の建築界を牽引」
ガウディは、カタルーニャ・モダニズム時代のバルセロナの建築界を牽引し、後世に残る名建築をいくつも生み出しました。
カタルーニャ・モダニズムとは、19世紀末から20世紀初頭にかけてバルセロナを中心に発展した、新しい芸術様式のことを指します。それは、フランスで興っていた「アール・ヌーヴォー」とイスラム文化を融合させた、カタルーニャ独自の芸術思潮でした。
カタルーニャ生まれのガウディは、この独自の芸術様式を象徴するような曲線や華やかな装飾が施された建築を数多く残し、カタルーニャ・モダニズムを代表する巨匠のひとりとして語り継がれています。
功績2「未完の傑作サグラダ・ファミリアを生涯をかけて建設」
ガウディの偉業の中でで最も有名だと言えるのが、バルセロナのサグラダ・ファミリア大聖堂の建築でしょう。ガウディはこの教会の設計において斬新で革新的なアイデアを次々と盛り込み、その完成にはなんと300年もの年月がかかると想定されました。
資金不足や、ガウディの親族や友人の死によって工事は何度も中断しましたが、ガウディはその度に建築計画や設計を見直し、徹底的にその完成度を追究したと言います。
ガウディが31歳で引き受けたサグラダ・ファミリアの建設はいつしか彼の人生そのものとなり、晩年は教会内に住みついて建築に没頭しました。
しかし、ガウディは1926年に路面電車にはねられて73歳で命を落とします。サグラダ・ファミリアはガウディの意思を継ぎ、残された数少ない資料をもとに、現在もなお建築家たちによって建設が続けられています。
功績3「手がけた建築の作品群が世界文化遺産に」
ガウディの手がけた建築の一部が「アントニ・ガウディの作品群」として1984年にユネスコ世界文化遺産に登録され、その後2005年に追加で作品が登録されました。
個性的でファンタジックな雰囲気を持ちながらも周囲の自然や街並みに溶け込み、地元民に愛されているガウディの建築。その唯一無二の造形美と合理的な構造設計から、人類が後世に残していくべき作品として高く評価されています。
なお、現在世界遺産に登録されているのは、以下の7つの作品です。
- サグラダ・ファミリアの「生誕のファサードと地下礼拝堂」
- グエル公園
- グエル邸
- カサ・ミラ
- カサ・ビセンス
- カサ・バトリョ
- コロニア・グエル教会
これらの作品群はバルセロナの街で圧倒的な存在感を放ち、現在でもバルセロナ観光の必見ポイントとして、世界中から多くの人々が見物に訪れています。