「アポロ11号って何をしたの?」
「アポロ11号の乗組員って誰?その後どうなったの?」
宇宙開発史に輝かしい足跡を残した「アポロ11号」は、専門家だけでなく、当時の世界中から熱い視線とエールが送られた一大イベントでした。
人類が地球以外の天体に降り立つことができることを実証したアポロ計画は、アメリカ合衆国の総力をあげた国家プロジェクトですが、その勇敢な挑戦は国籍や人種を超えて多くの人に夢と希望を与えてくれました。しかし、アポロ11号の月面着陸から50年を経過し、その後の宇宙開発を託されたスペースシャトルも退役した今では、時の経過とともにその業績が人びとの記憶から薄れつつあるようにも感じられます。
今回は「アポロ11号」について、解説をしていきたいと思います。
アポロ11号とは
任務の内容 | 有人月面着陸 |
計画・実行者 | NASA(アメリカ航空宇宙局) |
実際の任務時間 | 8日と3時間18分35秒 |
使用された宇宙船 | アポロ司令船・機械船:Apollo CSM-107 月着陸船:Apollo LM-5 ロケット:サターンV SA-506 |
打ち上げ日 | 1969年7月16日13:32:00 |
打ち上げ場所 | ケネディ宇宙センターLC-39A (フロリダ州ブレバード郡メリット島) |
月面着陸日 | 1969年7月20日 |
月面着陸地点 | 静かの海 |
任務時間 | 8日と3時間18分35秒 |
着陸日 | 1969年7月24日16:30:35 |
着陸地点 | 北太平洋(北緯13度19分、西経169度9分) |
簡単解説!アポロ11号って何?
1969年7月16日、3人の宇宙飛行士を乗せ地球を旅立ったアメリカ合衆国の宇宙船が「アポロ11号」です。月の周回軌道に乗ったアポロ11号は、本体(司令船)から月着陸船を分離、2名の宇宙飛行士が月に降り立つことに成功しました。史上初めて人類が月に降り立った映像は、世界中に放送され多くの人を熱狂させています。
アポロ11号のミッションは?
月への有人飛行と月面着陸
アポロ11号の最大のミッションは、「人類を月面に立たせること」でした。その理由は、米ソの宇宙開発競争にあります。「初の人工衛星打ち上げ」「初の有人宇宙飛行」その両方で、アメリカはソ連に敗北していました。1961年にアポロ計画が開始されて以来の悲願は、アポロ11号によって達成されました。
月面での船外活動
もちろん、単に月に人を送り込むだけでなく、月面においても様々な活動を行いました。土壌や岩石採取を行い地球に持ち帰るという重要なミッションもありましたし、月面にアメリカ国旗を掲揚したりニクソン大統領と電話回線を通して会話を行ったりしたことで、アメリカ合衆国の国威発揚がつよくPRされました。
あまり知られてはいませんが、月震(月の地震)を測定する装置や、地球からレーザーを照射して距離を図る装置なども設置されています。以下、主なミッションをまとめてみます。
- 土壌サンプル採取
- 月面パノラマ映像撮影
- アメリカ合衆国の国旗をたてる
- ニクソン大統領と電話
- 月震を観測する受動型地震計実験装置(PSEP)設置
- 月レーザー測距実験用の再帰反射器(LRRR)設置
- 岩石採取(新種の鉱物としてアーマルコライト、トランキリティアイト、パイロクスフェロアイト(英語版)の3種が発見された。)
アポロ11号の着陸地点は?
アポロ11号の月での着陸地点は、「静かの海」でした。この着陸地点は、はじめからピンポイントで決まっていたわけではなく、5つある着陸候補地点(静かの海(地点①、地点②)、中央の入江(地点③)、嵐の大洋(地点④、地点⑤)から選ばれています。なお、着陸地点は、次のような条件を満たす土地から選ばれました。
- 凹凸の少ない、平坦な土地
- 着陸地点への進路において、レーダーや計測器が正しく動作するため、起伏の少ない土地であること
- 燃料消費量を節約できる地点
- 地球への帰還が容易な軌道(自由帰還軌道)から到達しやすいこと
誰が乗ってたの?アポロ11号の乗組員について
アポロ11号には、ニール・アームストロング(船長)、マイケル・コリンズ、バズ・オルドリンの3名の宇宙飛行士が搭乗していました。
ニール・A・アームストロング(1930年~2012年)
誕生日 | 1930年8月5日 |
没日 | 2012年8月25日 |
生地 | アメリカ・オハイオ州 |
没地 | アメリカ・オハイオ州 |
配偶者 | ジャネット・エリザベス・シェアロン(1956年~1994年) キャロル・ヘルド・ナイト(1994年~) |
埋葬場所 | 水葬(大西洋) |
参加ミッション | ジェミニ8号、ジェミニ11号、アポロ11号 |
性格
どんな時でも冷静沈着というタイプの人です。テストパイロット時代には、高度63キロから失速降下し着陸予定地点の上空30キロをマッハ3(時速3200km)で通過しつつ、体制を立て直し無事に着陸しています。
宇宙飛行士になるまでの経緯
1949年に海軍に所属、朝鮮戦争に艦隊の航空部隊パイロットとして従軍しています。その後テストパイロットとなり、ついでNASAの募集に応じて宇宙飛行士となりました。
マイケル・コリンズ(1930年~)
誕生日 | 1930年 |
没日 | ― |
生地 | イタリア・ローマ |
没地 | ― |
配偶者 | パトリシア・M・フィネガン (1957年〜2014年) |
埋葬場所 | ― |
参加ミッション | ジェミニ10号、アポロ11号 |
性格
孤独に耐えうる精神力の持ち主です。アポロ11号では司令船の担当で、月面に降り立つことは出来ませんでした。司令船が月の裏側に位置した時間はすべての通信が立たれ孤独となります。万一着陸船のミッションが失敗に終われば、単独で地球帰還しなければならない状況にいたのです。
宇宙飛行士になるまでの経緯
1952年に米国陸軍士官学校を卒業し、空軍に入隊しています。F-86戦闘機のパイロットになりますが、1962年ジョン・ハーシェル・グレンの宇宙飛行に影響を受け宇宙飛行士となりました。
バズ(エドウィン・E)・オルドリン(1930年~)
誕生日 | 1930年 |
没日 | ― |
生地 | アメリカ・ニュージャージー州 |
没日 | ― |
配偶者 | ジョアン・アーチャー(1954年〜1974年) ビバリー・バン・ジル(1975年〜1978年) ロイス・ドリッグス・キャノン(1988年〜2012年) |
埋葬場所 | ― |
参加ミッション | ジェミニ12号、アポロ11号 |
性格
ユーモアなムードメーカータイプです。メンバーの中では派手好きで外向的とされ、アポロ計画後もクルーのスポークスマン的な存在として注目を集めました。一時的に月面を歩く最初の人類になりかけたオルドリン。彼の明るさの裏には、そうした複雑な思いもありました。
宇宙飛行士になるまでの経緯
陸軍士官学校を卒業した後、空軍少尉として朝鮮戦争に従軍します。次いでネリス空軍基地や空軍士官学校に勤務したのち、マサチューセッツ工科大学で宇宙航法学を学びました(博士号)。ふたたび空軍に戻り西ドイツ駐留の部隊長を務めしました。
乗組員のその後
- ニール・アームストロング:国防高等研究計画局を経て、NASAを退役はシンシナティ大学で航空宇宙工学を教えています。宇宙関係では、アポロ13号とチャレンジャーの事故にも調査員として関わりました。企業や政界からのオファーも断り、名声を利用されることには警戒をしています。
- マイケル・コリンズ:アポロ11号の直後にNASAを退任、1970年に国務省の広報担当次官補を経て、スミソニアン国立航空宇宙博物館の館長からスミソニアン協会の次官になりました。その後航空宇宙コンサルティング会社を立ち上げています。
- バズ・オルドリン:NASAを退役後、英雄扱いされる自身と将来的な目標を喪失した状態とのギャップに苦しみ、うつ病とアルコール依存症を患いました。現在では病状は快復し、宇宙開発を熱心に支持する一人となっています。
アポロ11号の功績
技術開発と月での調査~学問分野に開いた新境地
アポロ11号のように、月まで安全に有人宇宙船を発射し帰還させるためには様々な分野の技術開発が必須でした。サターV型ロケット、司令船と着陸船、それらをコントロールする誘導コンピュータ、宇宙飛行士が安全に活動できるよう体長を維持・管理するための生理学などがそれにあたります。また、アポロ11号が持ち帰った月の岩石の分析や実験機器の活用から天文学、地質学など幅広い分野の学問に飛躍的な影響が及びました。
米ソ宇宙開発がいったん落ち着く~世界平和に向けた兆し
当時ドイツは東西に分断されている。
宇宙開発技術は、軍事技術への転用が可能であることやプロパガンダとして効果的であることから、第二次世界大戦後の東西冷戦において米ソによる熾烈な競争分野となりました。序盤の人工衛星打ち上げ、それに続く有人宇宙船打ち上げは、東側諸国を代表するソ連(ソビエト社会主義共和国連邦)が勝利しています。西側の代表格であるアメリカはソ連の後塵を拝しつつ、月面有人探査で挽回を狙いました。
アポロ11号により、アメリカの逆転が決定した時点で双方の国家的疲弊は大きく、その後は開発競争から開発協力へと舵きりが行われます。冷戦の緩和にひと役買ったのがアポロ11号による月面着陸と見ることができます。
人類に夢と希望を与えた~他の星に移住する可能性
(銀座ソニービル)
もう1つ重要な功績は、人類にとって地球以外の天体に行くことが可能であるということを立証したことです。むろん、月よりも離れた天体に到達するためには、より長い期間を宇宙で過ごさねばなりません。
宇宙での生活が人体に及ぼす影響や小惑星などとの衝突の可能性など高いリスクがあることは確かです。しかし、未来の技術開発によりそれらがクリアできれば、例えば火星に移住することもできるかもしれません。これまでSF小説の中の世界と思われていたことが、実現可能なこととして考えることができるようになった。そうした夢を人類に与えてくれたことも、アポロ11号の功績に数えることができます。
アポロ計画とは
1960年代はじめ、NASAは月面への有人探査計画を着想します。その内容は、3人の宇宙飛行士を乗せて月を周回したのち、月に着陸するというもの。アメリカがソ連の人工衛星「スプートニク」打ち上げ成功に衝撃を受け、NASA(アメリカ航空宇宙局=National Aeronautics and Space Administration)を立ち上げたのが1958年。それからわずか2年後のことでした。
当時はアメリカとソ連による宇宙開発競争が過熱していたものの、ようやく有人宇宙船が地球周回(衛星)軌道に乗ったところであり、画期的な計画とされました。
計画名の由来と名付け親
アポロ計画の名付け親は、当時のNASAのエイブ・シルバーシュタイン博士(1908年〜2001年)です。
なお、アポロはギリシャ神話の中で、ゼウスの息子として生まれます。双子の妹にアルテミスがいます。アポロは、輝くほどに美しかったと言われており、毎朝東の宮殿で目覚めると、金色に輝く太陽の馬車に乗って天を駆けて西の地平に降り立つことから「日の神」とよばれました。
なぜ「ミッション・アポロ」が計画されたのか
第二世界大戦を終え、いわゆる冷戦時代に突入していた当時の世界情勢が背景にあります。東西の両陣営はそれぞれ、NATO(北大西洋条約機構、いわゆる西側諸国)とWT(ワルシャワ条約機構、いわゆる東側諸国)とに分断されていました。それぞれを代表するアメリカとソ連は、軍事技術開発の延長として宇宙開発競争においてしのぎを削っていました。
ソ連がスプートニクで世界初の人工衛星打ち上げに成功し、遅れをとった恰好のアメリカは、マーキュリー計画での有人・地球周回軌道到達を目指し挽回をめざしました。しかし、ソ連はユーリ・ガガーリンによる世界初の有人宇宙飛行を成功させます。アメリカは終始劣勢に立たされていました。
アメリカの逆転を可能とする道は、月への有人飛行に絞られました。ただ、アポロ計画についてはその予算規模からも事業規模からも、いかにアメリカといえど容易に実行できるものではなく、当時のケネディ大統領もはじめは二の足を踏んでいました。しかし、度重なるソ連の躍進に、本格的にアポロ計画に取り組むことを決意します。
失敗?成功?アポロ計画の全体像
- アポロ1号:【有人-失敗】1967年1月。演習中の火災事故により3名の宇宙飛行士(ガス・グリソム、エドワード・ホワイト、ロジャー・チャフィー)が死亡
- アポロ2号:(欠番)
- アポロ3号:(欠番)
- アポロ4号:【無人-成功】司令船の地球周回と大気圏再突入に成功。
- アポロ5号:【無人-成功】月着陸船の地球周回に成功。大気圏再突入後に消息絶つ。
- アポロ7号:【有人-成功】11日間にわたり地球を周回。
- アポロ8号:【有人-成功】初の月周回に成功
- アポロ9号:【有人-成功】10日間にわたり地球を周回。船外活動も実施。
- アポロ10号:【有人-成功】2度目の月周回に成功
- アポロ11号:【有人-成功】初の月面着陸に成功。
- アポロ12号:【有人-成功】2度目の月面着陸に成功。
- アポロ13号:【有人-失敗】機械船の酸素タンクが爆発し、月を周回して地球に帰還。
- アポロ14号:【有人-成功】3度目の月面着陸に成功。初のカラー写真撮影を行う。
- アポロ15号:【有人-成功】4度目の月面着陸に成功。3日間月面滞在し月面車を初めて使用。
- アポロ16号:【有人-成功】5度目の月面着陸に成功。はじめて高地(デカルト高地)に着陸。
- アポロ17号:【有人-成功】6度目の月面着陸に成功。最後の「アポロ」となる。
アポロ11号に関する都市伝説
アポロ11号には、ふたつの陰謀説があります。一つは捏造説(Moon Hoax)、もう一つが遭遇隠蔽説です。
陰謀説
アポロ11号をはじめとするアポロ計画には「本当は月になど、行っていないのではないか--」という捏造説があります。その疑惑の根拠はどのようなものなのでしょうか。以下では、代表的な疑惑の根拠について、反論とともに整理してみたいと思います。
月面の写真に星が写っていないのはなぜか。
(月面の写真には、宇宙空間が写っていますが、その中には空に瞬くはずの星が見えません。そのことを疑問視するものです。)
地球にいる場合、昼間は星が見えません。これは明るすぎる太陽光が星の光に勝ってしまうためです。月面の写真に星が写らないのもこれと同じ現象です。特に写真の場合は、太陽光のあたる宇宙飛行士や月面に焦点が合わせられるため、宇宙空間の微細な星空の光を移すことはできません。
月には大気や風がないのに、国旗がはためいたのはなぜか。
(月の引力は地球の6分の1と言われています。このため月には大気がありません。にも関わらず宇宙飛行士たちが立てたアメリカ国旗ははためいています。これは何故なのか。)
風がなければ旗ははためかない、と思われがちですが、真空状態でも旗ははためきます。また、NASAの用意した旗の構造としても「はためいて見えるように」設計がされていました。
月面の写真で影の方向が別になっているものがあるのはなぜか。
(物体ごとに影にばらつきがあるのは、別方向から照らす光源が複数あるためではないか、という疑問です。)
月面の凹凸や遠近法などにより、影の長さや方向が地球上での感覚と異なって見えたと考えられます。また、光源が複数ある場合、影は物体ごとにまちまちになるのではなく、一つの物体につき複数の影ができるはずですが、そうしたものはありません。
遭遇隠蔽説
遭遇隠蔽説とは、アポロ11号が月面で地球外文明と遭遇しこれを隠蔽しているとする説です。UFO研究家のジョージ・アダムスキー(1891年~1965年)、日本人ではテレビディレクター・タレントの矢追純一、UFO研究科の今野健一らが主張しています。
遭遇隠蔽説の根拠としては、宇宙飛行士のインタビューから引用しているものがありますが、曲解や強引な解釈も多く客観的な立証には至っていません。しいて言えばエドガー・ミッチェル(アポロ14号の月着陸船操縦士、1930年~2016年)がNASAの隠蔽に言及し議論を呼んでいます。
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