アポロ11号の功績や計画、乗組員を分かりやすく解説!月面着陸の真相は?

アポロ11号の年表

月面に立てられたアメリカ合衆国の国旗

1969年1月
発射準備、進む

1969年1月8日、月着陸船の上昇段がケネディ宇宙センターに到着したのを皮切りに、1月18日にサターンVロケット(第三弾)が、1月23日には司令船・機械船が到着しました。2月末にはサターンV飛行制御装置など主要なパーツが揃い始めます。

1月29日に司令船と機械船の連結を行い、4月14日にロケット組立棟へと移されます。5月20日にはサターンVロケットが組み上がり、発射台へと向かっています。

1969年7月15日
アポロ11号、発射

1969年7月15日、午前4時過ぎに起床した搭乗員は、身支度を整えると伝統的朝食「ステーキと卵料理」を食べました。その後、宇宙服への着替え、純酸素の呼吸を開始しています。

同日、6時30分に発射台に向かった搭乗員は、地上クルーの助けを借り、アームストロング、コリンズ、オルドリンの順に搭乗しました。9時32分、ケネディ宇宙センターから、アポロ11号を登載したサターンVロケットが発射されます。推計100万人の観衆がこの打ち上げを見守りました。

アポロ11号は無事に地球周回軌道に乗ると、地球を1週と半回ったのち、月への軌道へと移行します。使用済みとなった第三弾ロケットを切り離し、第三弾ロケットに付属していた月着陸船と司令船・機械船をドッキングさせました。

1969年7月19日
アポロ11号、月周回軌道へ到達

1969年7月19日17時過ぎ、アポロ11号は月の裏側を通過して月周回軌道に乗ることに成功しました。その後月を30周する間、着陸地点の選定が行われます。無人探査機(レインジャー8号、サーベイヤー5号)の先行調査などにより、「静かの海」が最有力候補となっていました。

1969年7月20日
アポロ11号、人類初の月面着陸に成功
月着陸船「イーグル」で月面をめざす(画像はイメージ)。

1969年7月20日13時頃、アームストロング・オルドリンの2名が月着陸船に乗り込みます。17時40分すぎ「イーグル」は司令船「コロンビア」から切り離され、降下を開始します。

降下中もコンピュータのアラート(実行オーバーフローと言われる)や、想定よりも速度が出ていたこと(このため着陸地点への操作に慎重を要した)など細かなトラブルがありました。

同日20時17分、「イーグル」は月面着陸に成功しました。


「人間にとって小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍」
月面での活動は世界中に中継され、大きな関心をよんだ。

着陸から6時間半が経過した1969年7月21日2時56分、アームストロングは「イーグル」着陸地点に降り立ち「これは人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍だ」という名セリフを宣言しました。

同日5時すぎ、予定していたミッションを終えたアームストロングとオルドリンは「イーグル」に戻り睡眠をとります。そして17時54分、月を離陸。コリンズの待つ司令船へと戻りました。

21時24分、司令船「コロンビア」と着陸船「イーグル」がランデブー。21時35分にはドッキングに成功します。その後、イーグルの上昇段は月周回軌道に投棄されました。

1969年7月22日
アポロ11号、月を離れ地球を目指す

4時56分、アポロ11号は機械船のエンジンを噴射し月周回軌道を離れ、地球を目指しました。

1969年7月24日
アポロ11号、生還
航空母艦ホーネット(現在は博物館として展示)

1969年7月24日5時44分、アポロ司令船「コロンビア」はパラシュートを開き降下しているところを補足されます。この時、アポロ回収の任務にあたったのは航空母艦ホーネットでした。そのホーネットから24キロの位置(北緯13度19分、西経169度9分)に着水した「コロンビア」。

このあと搭乗員は、防疫措置を施されホーネットに搭載された移動式隔離施設(MQF=Mobile Quarantine Facility)に入ります。


1969年7月28日
3名の宇宙飛行士、ジョンソン宇宙センターに入る
現在のジョンソン宇宙センター(テキサス州ヒューストン)

3名の搭乗員は、ホーネットで真珠湾に到達するとMQFごと月試料受入研究所(現ジョンソン宇宙センター内)に移動しました。人類初の有人月面探査・アポロ11号の旅は、こうして完了しています。

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