誰が乗ってたの?アポロ11号の乗組員について
アポロ11号には、ニール・アームストロング(船長)、マイケル・コリンズ、バズ・オルドリンの3名の宇宙飛行士が搭乗していました。
ニール・A・アームストロング(1930年~2012年)
誕生日 | 1930年8月5日 |
没日 | 2012年8月25日 |
生地 | アメリカ・オハイオ州 |
没地 | アメリカ・オハイオ州 |
配偶者 | ジャネット・エリザベス・シェアロン(1956年~1994年) キャロル・ヘルド・ナイト(1994年~) |
埋葬場所 | 水葬(大西洋) |
参加ミッション | ジェミニ8号、ジェミニ11号、アポロ11号 |
性格
どんな時でも冷静沈着というタイプの人です。テストパイロット時代には、高度63キロから失速降下し着陸予定地点の上空30キロをマッハ3(時速3200km)で通過しつつ、体制を立て直し無事に着陸しています。
宇宙飛行士になるまでの経緯
1949年に海軍に所属、朝鮮戦争に艦隊の航空部隊パイロットとして従軍しています。その後テストパイロットとなり、ついでNASAの募集に応じて宇宙飛行士となりました。
マイケル・コリンズ(1930年~)
誕生日 | 1930年 |
没日 | ― |
生地 | イタリア・ローマ |
没地 | ― |
配偶者 | パトリシア・M・フィネガン (1957年〜2014年) |
埋葬場所 | ― |
参加ミッション | ジェミニ10号、アポロ11号 |
性格
孤独に耐えうる精神力の持ち主です。アポロ11号では司令船の担当で、月面に降り立つことは出来ませんでした。司令船が月の裏側に位置した時間はすべての通信が立たれ孤独となります。万一着陸船のミッションが失敗に終われば、単独で地球帰還しなければならない状況にいたのです。
宇宙飛行士になるまでの経緯
1952年に米国陸軍士官学校を卒業し、空軍に入隊しています。F-86戦闘機のパイロットになりますが、1962年ジョン・ハーシェル・グレンの宇宙飛行に影響を受け宇宙飛行士となりました。
バズ(エドウィン・E)・オルドリン(1930年~)
誕生日 | 1930年 |
没日 | ― |
生地 | アメリカ・ニュージャージー州 |
没日 | ― |
配偶者 | ジョアン・アーチャー(1954年〜1974年) ビバリー・バン・ジル(1975年〜1978年) ロイス・ドリッグス・キャノン(1988年〜2012年) |
埋葬場所 | ― |
参加ミッション | ジェミニ12号、アポロ11号 |
性格
ユーモアなムードメーカータイプです。メンバーの中では派手好きで外向的とされ、アポロ計画後もクルーのスポークスマン的な存在として注目を集めました。一時的に月面を歩く最初の人類になりかけたオルドリン。彼の明るさの裏には、そうした複雑な思いもありました。
宇宙飛行士になるまでの経緯
陸軍士官学校を卒業した後、空軍少尉として朝鮮戦争に従軍します。次いでネリス空軍基地や空軍士官学校に勤務したのち、マサチューセッツ工科大学で宇宙航法学を学びました(博士号)。ふたたび空軍に戻り西ドイツ駐留の部隊長を務めしました。
乗組員のその後
- ニール・アームストロング:国防高等研究計画局を経て、NASAを退役はシンシナティ大学で航空宇宙工学を教えています。宇宙関係では、アポロ13号とチャレンジャーの事故にも調査員として関わりました。企業や政界からのオファーも断り、名声を利用されることには警戒をしています。
- マイケル・コリンズ:アポロ11号の直後にNASAを退任、1970年に国務省の広報担当次官補を経て、スミソニアン国立航空宇宙博物館の館長からスミソニアン協会の次官になりました。その後航空宇宙コンサルティング会社を立ち上げています。
- バズ・オルドリン:NASAを退役後、英雄扱いされる自身と将来的な目標を喪失した状態とのギャップに苦しみ、うつ病とアルコール依存症を患いました。現在では病状は快復し、宇宙開発を熱心に支持する一人となっています。
アポロ11号の功績
技術開発と月での調査~学問分野に開いた新境地
アポロ11号のように、月まで安全に有人宇宙船を発射し帰還させるためには様々な分野の技術開発が必須でした。サターV型ロケット、司令船と着陸船、それらをコントロールする誘導コンピュータ、宇宙飛行士が安全に活動できるよう体長を維持・管理するための生理学などがそれにあたります。また、アポロ11号が持ち帰った月の岩石の分析や実験機器の活用から天文学、地質学など幅広い分野の学問に飛躍的な影響が及びました。
米ソ宇宙開発がいったん落ち着く~世界平和に向けた兆し
宇宙開発技術は、軍事技術への転用が可能であることやプロパガンダとして効果的であることから、第二次世界大戦後の東西冷戦において米ソによる熾烈な競争分野となりました。序盤の人工衛星打ち上げ、それに続く有人宇宙船打ち上げは、東側諸国を代表するソ連(ソビエト社会主義共和国連邦)が勝利しています。西側の代表格であるアメリカはソ連の後塵を拝しつつ、月面有人探査で挽回を狙いました。
アポロ11号により、アメリカの逆転が決定した時点で双方の国家的疲弊は大きく、その後は開発競争から開発協力へと舵きりが行われます。冷戦の緩和にひと役買ったのがアポロ11号による月面着陸と見ることができます。
人類に夢と希望を与えた~他の星に移住する可能性
もう1つ重要な功績は、人類にとって地球以外の天体に行くことが可能であるということを立証したことです。むろん、月よりも離れた天体に到達するためには、より長い期間を宇宙で過ごさねばなりません。
宇宙での生活が人体に及ぼす影響や小惑星などとの衝突の可能性など高いリスクがあることは確かです。しかし、未来の技術開発によりそれらがクリアできれば、例えば火星に移住することもできるかもしれません。これまでSF小説の中の世界と思われていたことが、実現可能なこととして考えることができるようになった。そうした夢を人類に与えてくれたことも、アポロ11号の功績に数えることができます。