有島武郎は雑誌「白樺」を通じて、数々の名作小説を世に送り出した、日本近代文学の第一人者として知られています。代表作としては「カインの末裔」や「或る女」などが挙げられます。小説の素晴らしさもさることながら、愛人女性と情死を遂げたことでも有名ではないでしょうか。
30歳を過ぎてから執筆活動を開始し、次々と作品を発表していきましたが「或る女」、「惜しみなく愛は奪う」を発表した直後から、理想の愛と現実の愛の狭間で葛藤するようになり、苦悩を抱えてしまうのでした。そして、精神的に追い詰められた結果、縊死という選択をしてしまったのではないでしょうか。
有島武郎は文学に興味を持っていながらも農学校へ進学、初恋が外国人、キリスト教に入信など、意外なエピソードが数多く残っています。それに加えて、突然の情死によりこの世を去ってしまうなど気になる話題には事欠きません。
今回は有島武郎の異色の人生に興味を持った筆者が、彼の文献を読み漁った結果得た知識を元に、有島武郎の生涯、代表作、意外なエピソードに至るまでを紹介していきたいと思います。
この記事を書いた人
一橋大卒 歴史学専攻
Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。
有島武郎とはどんな人物か
名前 | 有島武郎 |
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誕生日 | 1878年3月4日 |
没日 | 1923年6月9日 |
生地 | 東京府東京市小石川区水道町 |
没地 | 長野県北佐久郡軽井沢町 浄月庵 |
配偶者 | 神尾安子 |
埋葬場所 | 多磨霊園 |
有島武郎の生涯をハイライト
有島武郎の生涯をダイジェストすると以下のようになります。
- 1878年3月4日、東京府東京市小石川区水道町に誕生
- 幼少期から英語と武士道のスパルタ教育を受ける
- 学習院中等科を卒業後、新渡戸稲造が勤める札幌農学校へ進学
- 親友とともにキリスト教へ入信
- 1年間の軍隊生活を経たのちにハバフォード大学、ハーバード大学へ留学
- 帰国後、東北帝国大学農科大学で英語講師として勤める
- 31歳の時に神尾安子と結婚
- 雑誌「白樺」の創刊とともに文筆活動へ
- 「カインの末裔」、「或る女」などのヒット作を生み出す
- 1923年6月9日、愛人・波多野秋子と軽井沢にて情死
代表作品「カインの末裔」「或る女」などを紹介
有島武郎は精力的に執筆活動を行っていたので、小説家としての活動期間は短い一方で多くの作品を世に送り出しました。代表作品として挙げられるのは以下の小説・評論です。
- カインの末裔
- 或る女
- 惜しみなく愛は奪ふ
「カインの末裔」はキリスト教の旧約聖書の一つのテーマとなっている人類の起源や、人の罪深さ、欲深さに迫っている小説で、カインとは旧約聖書に登場する人類の祖先の名前となっています。人類は全員カインの末裔であり、生まれながらにして罪深い心を持っているので、信仰によって還元していくことが大切だということを説いています。
「或る女」は白樺刊行当時から構想・執筆が開始された小説で、完成までに約8年がかかっています。時代に先んじて目覚めた、勝気な女性が最終的には破滅へと向かってしまうという内容を、豊富な知見や視野を駆使して描いています。この作品は刊行当時よりも、戦後に本格的純文学として評価されることとなり、フェミニズム批評の対象となりました。
「惜しみなく愛は奪ふ」は有島武郎が「愛」に関して思索したことが綴られた評論で、結論として「人を愛するということは、相手の全てを奪って自分のものにしてしまうこと」との見解が示されました。この結論と自分の実際の愛とを比較して葛藤するようになり、有島武郎は精神的に追い詰められていくことになるのです。
華麗なる家系図、多才な親族や子孫たち
有島武郎は華々しい家系に生まれており、名前が知られている親族や子孫がたくさんいます。
- 祖父・有島宇部衛:郷士(農村に土着した武士)
- 父親・有島武:下級武士出身で大蔵官僚のエリート
- 弟・有島生馬:画家
- 弟・里見弴(本名:山内英夫):小説家
- 弟・有島行郎:日本油脂取締役
- 息子・有島行光:俳優(芸名:森雅之)
- 孫・中島葵:女優(日活ロマンポルノで活躍)
- 曾孫・有島コレスケ:ミュージシャン
- 曾孫・有島敏行:翻訳家
- 曾孫・有島行三:男爵
小説家の有島武郎は多才な親族に囲まれて人生を歩み、亡くなった後の子孫もその血を受け継ぎ、多方面で活躍しました。特に世間に知られている人物としてあげられるのが、有島生馬、里見弴、森雅之、中島葵です。
有島生馬は武郎の実の弟で、画家兼小説家として活動を展開しました。島崎藤村の装丁のデザインを担当したり、海外の有名な画家を「白樺」で紹介したりと多方面で才能を発揮したのです。森雅之は武郎の長男で、昭和の演技派俳優として活躍しました。黒澤明監督の「羅生門」「白痴」などにも出演し、黒澤作品には欠かせないと評されるほとの名優だったのです。
親友森本厚吉、若き日の恋人チルダのことが書かれていませんね。
> 藤田正一さん
コメントありがとうございます!
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今後とも宜しくお願い致します。