マタ・ハリとはどんな人?生涯・年表まとめ【スパイの逸話や伝説も紹介】

「マタ・ハリ」という芸名の意味と理由

東南アジア系の妖艶さを感じさせるマタ・ハリの衣装。その芸名もやはり東南アジアの言葉だったようで…

オランダに生まれ、マルガレータ・ヘールトロイダ・ツェレという現在の価値観からすると相当優美な名前を持ちながら、「マタ・ハリ」という東洋系の芸名を名乗ってスターダムを駆け上った彼女。

彼女が名乗った「マタ・ハリ」という芸名は、マレー語における「太陽」「陽の目」という意味を持告言葉であり、その芸名は彼女のダンサーとしての価値を高めるための、いわゆる”売り出し戦略”だったと言われています。

妖艶かつエロティック、それでもどこか気品のあるマタ・ハリの衣装は「陽の目」の意味に相応しい。

記録から見るに、彼女のダンサーとしての活動は、主にジャワ舞踊などの「オリエンタル・スタイル」の踊りが多く、観客たちはマタ・ハリのエキゾチックな容姿と、徐々に晒されていく裸の肢体に熱狂していたのだとか。

また、彼女を表すキャッチコピーも「インドネシア・ジャワ島からやって来た王女」や「インド寺院の踊り巫女」というオリエンタルなものが多飼ったことが記録されています。ともかく、彼女はそういったアジア系の踊りによって、一役ヨーロッパのスターダムに輝くこととなったのです。

処刑にも残る”美貌”のエピソード

オランダに残るマタ・ハリの銅像。単なる悪女としてだけでない彼女の評価が伝わる。

スパイとしての容疑で逮捕され、銃殺刑に処されてこの世を去ったマタ・ハリという女性。様々な陰謀に翻弄された彼女ですが、その美貌を示すエピソードは、その最期の瞬間に至るまで残されています。

中でもとりわけ有名なのは、「処刑隊がマタ・ハリの美貌に惑わされないように、目隠しをして処刑を執行した」というエピソードでしょう。

もちろんトンデモエピソードであり、実際にそのような形式で処刑が行われたわけではない(そもそも目隠し状態で正確に処刑執行できるわけがない)エピソードですが、少なくともそんなとんでもない話が噂されるほどに、マタ・ハリという人物の美貌は万人に愛されるものだったのでしょう。

とはいえ、学生時代のセクハラや愛のない夫婦生活、そして女スパイとしての最期など、マタ・ハリの人生がその美貌によって狂わされたのもまた事実。どうにも複雑な気分になる話ですが、最期まで自身の美貌に翻弄されながら、マタ・ハリはこの世を去ることになるのでした。

現代に描かれるマタ・ハリの姿

『007カジノロワイヤル』に登場するマタ・ボンドは、マタ・ハリとジェームズボンドの娘という設定。

「各国を巡り、最期は悲劇的に処刑された女スパイ」というマタ・ハリのキャラクター性は、現代においても様々な創作の題材となっています。

史実を描いたミュージカルや映画などが多数発表されているのはもとより、スパイ映画の金字塔として親しまれている『007シリーズ』のパロディ作品、『007カジノロワイヤル』では、ジェームズ・ボンドと恋愛して娘を生んだという設定が付けられるなど、「美貌の女スパイ」としてのイメージをほしいままにしています。

また、現代の若者の間ではスマートフォン向けゲーム『Fate/Grand Order』に登場するキャラクターとしてのイメージが最も馴染み深いのではないでしょうか。

『Fate/Grand Order』に登場するマタ・ハリ

スパイらしからぬ”穏やかで心優しい、面倒見のいいお姉さん”として描かれる本作の彼女ですが、キャラクターを使いこむことで手に入る”絆礼装”のテキストなどからは、『Fate』らしさと史実らしさが上手く混ざったどこか仄暗い解釈が読み取れるなど、非常に奥深いキャラクター性を発揮する、使えば使うほど愛着の湧くキャラクターです。

このように、様々な媒体で「女スパイの代名詞」として描かれるマタ・ハリという女性。事実はさておき、そのように現代でも親しまれる辺りに、彼女の特異性が現れているとも言えそうです。

マタ・ハリの功績

功績1「ヨーロッパ全土を駆け巡ったその名声」

ヨーロッパ各地を巡り、その妖艶な踊りで観客を虜にしたことが、マタ・ハリという女性の最大の功績。

スパイとしてはさほどの活躍がないとされるマタ・ハリですが、彼女のダンサーとしての名声と実力は確かなものがあったと言われています。

妖艶なオリエンタル・スタイルの舞踊を披露しながら、衣服を一枚ずつ脱いでいく彼女のストリップダンスは、そういった性的な意味での魅力もさることながら、少なくとも性的魅力だけの踊りではなかったようです。

栄光の階段を着々と昇っていたマタ・ハリだが、第一次世界大戦という時勢によって破滅することとなった。

事実、当初は小さなショーパブやサロンでの仕事がほとんどだったマタ・ハリですが、彼女の名声はそう言った場所から徐々に広まっていき、最終的に彼女はイタリアオペラの最高峰と目されるスカラ座での公演を大成功に終わらせるという、一ダンサーとしては最高峰の功績を残しています。

もっともそのような名声が、結果的に彼女の首を絞める結果になったことは事実です。しかし「もしも第一次世界大戦が起こらなければ」と考えると、マタ・ハリのダンサーとしての名声がどこまで上り詰めたのか、想像してみるのも興味深いかと思います。

功績2「最期まで毅然と刑に臨んだ姿」

最期まで毅然とした態度で処刑に臨んだというマタ・ハリ

前のトピックでも軽く語らせていただいたように、処刑の直前に至るまで、その美貌を示すエピソードが残っているマタ・ハリという女性。しかし彼女の処刑時の記録には、彼女自身の心の強さを示すエピソードも残っています。

プッチーニのオペラ『トスカ』になぞらえた創作エピソードも数多く残るマタ・ハリの処刑

処刑当日、落ち着いた態度で処刑上に現れたマタ・ハリは、気つけとしてのラム酒のいっぱいを受け取りましたが、目隠しと木への拘束は拒否。つまり逃げようと思えば逃げられる状態にありながらも、彼女は毅然と正面から銃口を見つめ、そのままこの世を去ったというものです。

また、処刑の直前に銃を構えた兵士たちにキスを投げたというエピソードも残されており、マタ・ハリという人物の心根の強さが示されているといえるでしょう。

もっとも、これらのエピソードはプッチーニのオペラである『トスカ』に題材を得た創作であるとされることも多く、現在でも彼女の処刑については多くの謎が残っています。とはいえ、そのようなエピソードが囁かれる辺りにも、マタ・ハリという人物の特質が現れているのではないでしょうか。

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