1915年 – 39歳「ドイツ軍からスパイの誘いを受ける」
第一次世界大戦
1914年、オーストリアの皇太子フランツ・フェルディナントがサラエボで暗殺されたことをきっかけとして、第一次世界大戦が勃発します。
これにより、マタ・ハリが生業としていたショービジネスは大打撃を受けることになり、名声を博していたマタ・ハリの収入も、一気に減少してしまうことになりました。
しかし、そんな彼女に目を付けたのはドイツ軍。ドイツの領事からの連絡を受けてしまったことが、マタ・ハリの人生の破滅の引き金となってしまうのです。
「マタ・ハリ」であり「H21」であり
マタ・ハリに連絡を取ってきたドイツ領事は、彼女の人脈を高く評価する形で、彼女に「ドイツ軍のスパイになり、フランス側の情報を探ってほしい」と依頼を持ちかけました。
もちろん非常に危険な話でしたがマタ・ハリ自身の派手好きな性格が災いし、「報酬は弾む」という領事の言葉に、彼女は頷いてしまったのです。これによってスパイ「H21」のコードネームを与えられた彼女はパリへ向かい、スパイ活動を開始したとされています。
もっとも、当時のマタ・ハリはドイツにとって有益な情報をもたらすようなことはなく、ドイツからしてみれば彼女は「使える情報を上げてきたらラッキー」程度の存在だったようです。
ただ、ここで「ドイツ軍のスパイであるマタ・ハリ」が生まれてしまったことが、彼女の人生を破滅へと進めていく引き金となってしまいました。
1916年 – 40歳「フランス軍からのスパイの誘い」
二重スパイとして暗躍
ドイツ軍のスパイとして活動していたマタ・ハリですが、同時に国際的な人脈を持つマタ・ハリには、常にスパイとしての疑惑が付きまとっていました。
そしてそんな中フランス軍のジョルジュ・ラドゥー陸軍大尉は、マタ・ハリのスパイ容疑を検めようと、彼女に「フランス軍のスパイとして、ドイツの情報を集めてほしい」と、多額の報酬と共に依頼を持ち掛けたのです。
この取引にも乗ったマタ・ハリは、フランス側にはドイツの情報を、ドイツ側にはフランスの情報を流す”二重スパイ”として暗躍することになりました。
「H21」の致命的なミス
フランスにはドイツの、ドイツにはフランスの情報を渡す二重スパイとして暗躍することになったマタ・ハリ。
しかし、双方が暗号で行っていたはずのやり取りが筒抜けになっている事や、そして筒抜けになった暗号の中には「H21」という名前があることなど、彼女の――「H21」の二重スパイの証拠は、次第に明らかになってしまいました。
こうして「H21」の調査に乗り出したフランスは、入国リストを徹底的に調査することで「マタ・ハリ=H21」であると断定。別の任務でパリにやってくるマタ・ハリの逮捕を決定することになります。
1917年 – 41歳「逮捕、そして処刑」
わずか40分の裁判
1917年2月13日、フランスで逮捕されたマタ・ハリは、7月に軍事法廷で裁判に掛けられることになりました。
彼女の名声や二重スパイという行為の罪の重さに被せるように、彼女に関わりの薄いものも含めて8つのスパイ行為の罪状を着せられたマタ・ハリは、「セックスによって男から情報を引き出し、それを敵国に高く売りつける女など、人として扱うにも値しない」と厳しい言葉で責め立てられたそうです。
マタ・ハリはそのような言葉に対して、「自分がフランスにもたらした情報もある」と反論をしましたが、それは退けられてしまい、裁判はわずか40分で結審。彼女には「連合国軍兵士5万人の死に相当する」という言葉と共に、銃殺刑が宣告されることとなりました。
もっとも、この時の彼女に着せられたスパイ容疑は、ほとんどがフランス軍や政府の不手際を被せるための濡れ衣だったと言われており、そのこともまた「マタ・ハリは本当にスパイだったのか?」という問題を一層難しくするファクターになっています。
銃殺刑の執行
裁判が結審して3か月余りが経過した10月15日、とうとうマタ・ハリの死刑が執行される日がやってきました。
サンラザール刑務所の刑場に異装されたマタ・ハリは、気つけのラム酒をいっぱい受け取りましたが、木に縛り付けられることと目隠しをされることは拒否。居並ぶ銃殺隊を真正面に見据えて、彼女はそのまま41年の生涯を閉じることとなったのです。
その遺体はヴァンセンヌの墓地に仮埋葬されましたが、彼女の遺体を引き取る親族はついに現れることはなく、その遺体は最終的にはパリの病院に引き取られ、解剖教室用の検体として利用されることになったのだといいます。
多くの男性や時勢に翻弄され、罪状すら不明瞭なまま銃弾に消えたマタ・ハリという女性。彼女が本当はどのような人物だったのかは、いまだに解明が待たれる事柄となっています。
マタ・ハリの関連作品
おすすめ書籍・本・漫画
マタ・ハリ伝: 100年目の真実
マタ・ハリの生涯を追った評伝です。そもそもマタ・ハリ一人を追った本というもの自体が非常に少ないのですが、本書はそれらの中でも情報が多いうえに読みやすいため、マタ・ハリについて本で知るのであれば、まずはこの本を読むことをお勧めします。
ただ、少しばかり筆者の願望に近い部分も見受けられるため、この本の内容だけをうのみにするのではなく、当時の社会情勢も知ってから深く読み進めると良いかもしれません。
おすすめの映画
マタ・ハリ
マタ・ハリという人物を広く大衆に知らしめた映画です。主演のグレタ・ガルボ氏の演技力がとにかく圧巻であり、妖艶でありながらどこか少女的なマタ・ハリという人物を見事に演じられています。
1931年の作品であることから、現在見ると少し古臭い所も見受けられますが、それでも完成度としては相当高い作品。スパイ映画ではなくマタ・ハリという女性の生涯を描いた伝記的な作品としては、おそらく最高峰の作品であると思います。
魔性の女スパイ
こちらもマタ・ハリという女性を主人公とした伝記的な映画作品です。シルヴィア・クリステル氏が卓越した女スパイとしてのマタ・ハリを演じ、非常に妖艶でエロティックな演技を見せてくれます。
ストーリーそのものはよくある「女性の破滅劇」と言った印象ですが、とにかく主演であるシルヴィア氏の妖艶さには、男女を問わず息を呑むこと間違いなし。いわゆる”峰不二子”的なキャラクターが好きな方であれば、見て損はない一作だと思います。
関連外部リンク
マタ・ハリについてのまとめ
ダンサーとしての成功を収めつつも、最期にはその人脈や名声を政治的に利用され、スパイとしてこの世を去ることになったマタ・ハリという女性。
一概に「悲劇の人」とも「多くの人を危機に晒したスパイ」とも言い切れない彼女ですが、彼女の人生が多くの波乱に満ちた、他人の欲望や時勢、国家を巻き込む陰謀に振り回されたものだったことは間違いないと言えそうです。
とはいえ、マタ・ハリという女性の生涯の中でも、スパイという部分についてはほとんどが謎に包まれているのもまた事実。今後マタ・ハリに関する新たな事実が発見されることもあり得ない事ではないと思いますので、そのような発見が成され彼女に関する事実が明らかになることを筆者も心待ちにしたいと思います。
それでは、この記事をお読みいただきまして誠にありがとうございました。この記事が皆さまにとって、少しでも学びになっていましたら光栄に思います。