マタ・ハリにまつわる都市伝説・武勇伝
都市伝説・武勇伝1「謎に満ちたマタ・ハリのスパイ活動」
マタ・ハリのスパイ活動はあまりにも証拠が少なく、前のトピックでも語った通り「本当はスパイではなかったのでは?」という説すらささやかれるほどです。
スパイというとイメージとして、尾行や盗聴、あるいは尋問や拷問と言ったイメージがありますが、マタ・ハリがそれらに関与した痕跡は一切見受けられず、記録によれば彼女のスパイ活動はすべてベッドの上で――つまり、ハニートラップとして行われていたといいます。
政治家や軍官僚を相手にする高級娼婦でもあったマタ・ハリにとって、それらは確かにお手の物ではあったのかもしれません。しかし当たり前ではありますが、マタ・ハリがハニートラップによって情報を聞き出したという記録は存在しておらず、この事実もまた「マタ・ハリはスパイではなかったのでは?」という説の根拠に繋がっています。
そもそもマタ・ハリが本当にスパイ活動を行っていたとして、高級娼婦でありヨーロッパ各地を巡るダンサーでもある彼女に国家機密をホイホイ話すのは、ちょっと男の方に問題があるとしか…。
ともかく、そのような理由も手伝って、マタ・ハリが公的にスパイとして活動していた記録は非常に少なく、その痕跡もフランスに都合よく捻じ曲げられたものがほとんどとなっています。
都市伝説・武勇伝2「あらゆる男を惑わせた”ファム・ファタール”」
マタ・ハリという人物の生涯を辿ってみるに、彼女の人生は「男を翻弄し、また翻弄された人生」というようにも読み取れます。そのような人生から、彼女は時折「ファム・ファタール(魔性の女)」として評価されることもあるほどです。
その容貌の美しさについては個人の価値判断がありますので差し控えさせていただきますが、エピソードだけを見ても、
- 学長からのセクハラに悩まされた少女期。
- 夫との愛のない結婚に振り回された20代。
- 多くの男性を虜にし、それ故にスパイとして疑われることになった。
と、短い人生のほとんどが異性や性が絡む事柄によって成り立っていて、しかもそれらによって人生そのものを翻弄されていることがわかります。
多くの男性から、多分に性的ではありますが好意を受け、そしてそれ故に破滅の道を辿ることになったマタ・ハリという女性の生涯。決して第三者視点で楽しんでいいものではありませんが、その人生が彼女自身の”美しさ”によって捻じ曲げられてしまったことは、恐らくほぼ確実であるように思われます。
都市伝説・武勇伝3「実はマタ・ハリは処刑される予定ではなかった?」
「処刑の時、マタ・ハリが木に縛られることを拒否した」というエピソードから派生した風説ですが、実はマタ・ハリは処刑される予定ではなかったという説も、当時はまことしやかにささやかれていました。
この風説の筋書きはこうです。マタ・ハリを助けようと、彼女に本気で惚れてしまったピエール・ド・モリサックという青年が一計を案じ、銃殺隊に賄賂を渡して中に空砲が込められるように細工をしました。しかし銃殺隊のミスで銃には弾丸が詰め込まれてしまい、あえなくモリサックの目論見は失敗。マタ・ハリはあえなく処刑されてしまったのです。
また、死刑が決まったマタ・ハリに対し、支援者が「妊娠していると主張すれば処刑を免れることができる」と勧めたという噂話も残されています。この噂においてマタ・ハリは、妊娠を主張することを拒否し、自ら処刑されたということになっています。
ともかく、スパイ活動の実態はおろかその処刑についてすら多くの謎が残るマタ・ハリ。歴史的にはかなり近代の人物ではありますが、だからこそ不自然なまでに少ない記録は、多くの噂話を呼ぶことに繋がっているのでしょう。
マタ・ハリの生涯年表
1876年 – 0歳「レーワルデンの名士の家に生まれる」
不自由のない少女時代を送る
1876年8月7日、後にマタ・ハリという芸名で一世を風靡することになる少女、マルガレータがオランダのレーワルデンに誕生しました。
4人兄弟の長女として生まれた彼女でしたが、当時のマルガレータの家は投資事業の成功や、経営していた帽子店の売り上げの好調によって非常に裕福であったと伝わっています。また、4人兄弟の中でも唯一の女子だったことで、父からは溺愛のような愛情を受けていたことも記録されており、彼女は何不自由のない暮らしと高水準な教育を受ける少女時代を過ごしました。
1889年 – 13歳「父の破産と一家離散」
急転直下の一家離散
何不自由のない暮らしを送ってきたマルガレータでしたが、この年に状況は一変します。父が石油事業への投資を失敗し、借金を背負ってしまったのです。
これにより帽子店の経営も傾いていき、借金は返せる見込みもつかないほどに膨れ上がっていく始末。これによって1889年に父が破産してしまったことで、両親は離婚。兄弟たちはそれぞれ別の親類や後見人に引き取られ、幸せだった一家は李さんの憂き目にあうこととなってしまったのです。
追い打ちをかける母の死
一家の離散から2年後の1991年、マルガレータの実母であるアンテェ・ファン・デル・ムーレンも還らぬ人となってしまいました。
その死因は分かっていませんが、一家の離散や破産などの心労が彼女を蝕んでいたことは、状況的に確実だと言えそうです。こうしてマルガレータは15歳という若さで家族と引き離され、ほとんど一人で生きていくことを余儀なくされてしまいました。
1890年頃 – 14歳~18歳頃「幼稚園教諭を目指すが…」
夢の足を引っ張る美貌
家族と引き離されたマルガレータは、後見人であるヘール・ヴィッサー(Heer Visser)を頼ってライデンに移住。そこで経済的に自立するため、彼女は幼稚園教諭になるために学校に通い始めました。
腐ることなく真面目に勉強に励む彼女でしたが、彼女が持ち合わせていた美貌が、その夢の足を引っ張ることになります。学校の学長が、露骨に彼女にセクハラを仕掛けてくるようになったのです。
それでも真面目に勉強を続け、自立を目指したマルガレータでしたが、その事実に嫌悪感を示した後見人によって、なんと彼女は学校を辞めさせられてしまうのです。これによってライデンでの自立の手段を失ったマルガレータは、学校を退学後すぐに、叔父を頼ってデン・ハーグへ移住することになりました。