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産業革命とは?影響や年表をわかりやすく解説【第1〜4次まで】

第二次産業革命

さて、イギリスを中心に始まった産業革命は徐々にイギリス以外の国へと拡大していきます。そして、世界的に産業が向上し始めました。第二次産業革命の始まりです。

第二次産業革命をわかりやすく解説すると…

ドイツのフェルクリンゲン製鉄所

第二次産業革命とは、19世紀後半から20世紀にかけて重工業を中心とする石油を動力源として使用した世界的な工業化が起きた時期のことです。

第二次産業革命では、第一次産業革命で中心的存在だったイギリスではなく、ドイツ、アメリカ、フランスでの技術革新による工業化が進みました。そして、イギリスになり代わりドイツが世界のトップへと躍り出たのです。

第二次産業革命では、第一次産業革命を上回るほど機械化が拡大しました。それによって、大量生産が確立し、消費社会の仕組みが出来上がります。また、産業技術においても、第一次産業革命と比べて新たな分野が登場しました。

石油を資源とした化学工業や鉄鋼などの重工業です。第二次産業革命において、ドイツがトップに立ったのは重化学工業分野への技術革新がいち早く起きていたことが挙げられます。こうして、工業のエネルギー源が石炭から石油や電力に移りました。

石油エネルギーを得るのはとても大変

しかし、石油エネルギーには石炭よりも多くの資本が必要となります。その結果、世界各国が自国の勢力拡大のために他国を侵略して国家拡大を狙う帝国主義思想が強くなりました。

この帝国主義思想は第一次産業革命の影響による資本主義と合わさって、不況時代が発生するようにもなります。また、帝国主義を推し進めたことによって世界大戦への勃発にも繋がりました。

重化学工業が盛んになり、世界の工業化と帝国主義化が進んだ時代が第二次産業革命です。

技術革新の世界的拡大

第一次産業革命に起きた技術革新が、第二次産業革命では世界中に広がっていきます。ドイツやアメリカ、フランスなどで工業化が進み、「世界の工場」と呼ばれたイギリスは瞬く間に追い越されていったのです。

ドイツ

イギリスを追い抜いていったドイツ

第二次産業革命が始まるまで、ドイツは他の国と比べて工業的に遅れていました。しかし、19世紀半ば頃から工業化が進み、製鉄などを中心とした重工業に力を入れ始めたのです。

綿織物の生産といった軽工業では、イギリスに太刀打ちできないと分かっていたのですね。鉄鋼や造船、機械などを中心とした工業化に熱心に取り組み、石油や電力とした新たなエネルギー源を生み出したのです。

また、第一次産業革命で綿織物の生産が向上し、大量生産が可能になりました。これを利用して、ドイツは衣類の売り上げを左右する着色料の開発を始めたのです。

いくら大量生産が可能になったと言っても、売れなければ意味がありません。売れ行きを決めるのは消費者が求めやすい価格とファッション性です。この両方を可能にしたのが、ドイツの化学的な着色技術でした。

ファッションの重要性は産業界でも同じ!

ドイツは重工業だけでなく重化学工業にも手を入れていました。それ以前は植物や虫を使った着色技術でしたが、化学的な着色技術が生まれたことによって、より色彩豊かな衣類を生産できるようになったのです。

その結果、大量生産と消費社会がより確立したものとなりました。また、ドイツはイギリスと異なり、鉄道や道路の建設を国家事業として行なったのです。私企業ではないため、直接的にドイツ国家の利益となりました。

こうしてドイツは重工業と重化学工業の基盤を築き、消費社会に上手く適応していったのです。

アメリカ

イギリス植民地から大国へと進化するアメリカ

第二次産業革命の発展国として、忘れてはならない国がアメリカです。アメリカはイギリスの植民地でしたが、独立戦争を経て1783年のパリ条約でイギリスが独立を果たしました。

イギリスの植民地であった頃に所有した綿花などの大農園のおかげで、早くに綿織物の生産における工業化が始まります。オリバー・エバンスが穀物の貯蔵施設である穀物揚重機や高圧蒸気機関を発明しました。

それに加えて、機械の製造や修繕を行うことにも取り組み始めます。アメリカの発明家フルトンが蒸気船を発明し、アメリカは急速に発展していきます。そして、第二次独立戦争後は産業的にも自立し始め、木綿紡績工業などを興しました。

移民たちのワゴン

しかしながら、アメリカもドイツと同じく、重工業に力を注ぎました。広い土地と大量の資源を存分に使用して、多くの工場が建てられ、工業化が加速します。それに加えてヨーロッパやアジア各地から移民が大勢やって来たため、労働力にも困りませんでした。

アメリカは広大な土地と資源、移民の力によって、支配国であったイギリスを追い抜きます。そして、第二次産業革命ではドイツに並んで世界有数の産業国として名乗りをあげたのです。

フランス

ナポレオン3世が産業革命において活躍したフランス

イギリスに近隣国であるフランスも第二次産業革命において、工業化の道に入りました。1860年、ナポレオン3世が西ヨーロッパでの自由貿易を確立するために英仏通商条約を締結したことでフランスの産業界は一気に活気付きます。

技術革新が起きて、フランス国内には鉄道や通信網が整備されました。賃金労働制や金融機関が確立し、産業国となったフランスはイギリスと同じように万国博覧会まで開催することになります。

ドイツが世界のトップへ

アメリカ、フランスと数々の国がイギリスを追い抜いていきましたが、第二次産業革命で世界のトップになったのはドイツでした。それは、ドイツが他の国と比べてあらゆる分野において有利なスタートを切っていたからです。

工業生産力としてはアメリカも負けてはいませんでしたが、ドイツは優秀な技術者が多数おり、それによって最新の技術が発明されていきました。それだけではなく、イギリスに近かったためにイギリスの工場制度を真似することができ、時間や労力を無駄に消費せずに済んだのです。

資金を確保できる仕組みが成り立っていた

カルテルという名の企業連合が出来ていたことも重要でした。企業連合とは、企業が価格や生産などを協定することです。ドイツは早くからこの企業連合が出来上がっており、その仕組みを効率的に集合させることが出来たのです。

それによって、1年以内に現金または費用化できる流動資産を産業に利用し、資本の確保につながったのです。また、フランスから戦争での賠償金を手に入れていたおかげで鉄道事業などの基盤にもしっかりと投資できました。

化学発展への投資も行い、圧縮着火機関の一種であるディーゼル機関の発明にも貢献したのです。このディーゼル機関によってドイツの産業は飛躍的に発展しました。

こうしてドイツは、第二次産業革命においてヨーロッパひいては世界の頂点に立つことになります。

第二次産業革命の2大要素

1:重工業や重化学工業の発展

自動車の生産

第二次産業革命の重要な要素として挙げられるのが、重工業や重化学工業の発展です。第一次産業革命では織物業などの軽工業が発展しましたが、第二次産業革命では鉄鋼などの重工業や重化学工業が要となります。

第一次産業革命までは、軽工業をはじめとする多くの産業が石炭と蒸気機関を動力源としていました。しかし、第二次産業革命ではドイツが重工業や重化学工業を中心とした工業化を推し進め、新たな動力源として石油と電力が登場します。これらの動力源によって工業の機械化が更に進み、大量生産は確固たるものとなったのです。

ガソリン式トラクター

また、石油エネルギーは燃料が軽く、その燃焼ガスを使用して動く原動機などの内燃機関の開発に繋がりました。内燃機関によるガソリン自動車の大量生産やトラクターによる新たな農業方法に役立ったのです。

交通機関や通信機関にも重工業や重化学工業の発展は見られました。馬車が走っていた道は自動車が走るようになり、郵便しかなかった通信手段には電話やラジオが登場したのです。

こうした重工業や重化学工業の発展によって、あらゆる分野での機械化が進み、工場の稼働率は大きく上がりました。重工業や重化学工業の発展があったからこそ、新たな技術革新が起こり、第二次産業革命が起きたといえるでしょう。

2:新たな工業製品

第二次産業革命では、新たな工業製品も重要な役割を担いました。それは、進歩した産業技術によって生み出された化学合成物質や非鉄金属などです。第二次産業革命では重工業や重化学工業の発展と同時に、科学技術も向上しました。

その結果、新たな工業製品としてアルミニウムやゴム、染料や繊維など、それまでに無かった製品が数多く生産されるようになったのです。また、衣類や食品を製造する機械も発明されました。

工場生産品として増加したアルミニウム

社会生活に必要な多くの製品が機械化された工場で製造されるようになり、新たな工業製品はすぐに活用されます。染料や繊維は衣類製品に、アルミニウムなど非鉄金属は他の工業製品に使われました。

こうして、新たな工業製品はそれまでの生産品をより便利にすることに成功したのです。また新たな製品を開発しようと、技術向上の教育も活発化しました。

ドイツでは高等教育機関において、科学技術の開発に何よりも熱心に取り組んだのです。新たな工業製品は新たな技術者を生むことにも繋がりました。

第二次産業革命の影響

第二次産業革命は一国だけではなく、世界的に影響を及ぼしました。それに加えて、第一次産業革命よりも更に高度な産業技術が発達したために産業国ではない国まで巻き込んでいったのです。それは、20世紀に勃発した世界大戦にも繋がりました。詳しく見ていきましょう。

帝国主義への波及

中国を取り分けようとしている列強国

第二次産業革命の影響としてまず挙げられるのは、帝国主義への波及です。

第二次産業革命ではドイツやアメリカ、フランスなど世界各国で工業化が進み、産業はより高度なものとなっていきました。革命の中心となった重工業や重化学工業が新たな動力源である石油エネルギーを生み出したことで大きな資本が必要になったのです。

その結果、新しい工業生産の原料や市場、労働力を得るために植民地の獲得競争が加速します。植民地を獲得すれば、自国にはない天然資源を得るだけでなく安い労働力やその土地原産の珍しい物品も手に入るからです。

こうして、国家が自国の領土拡大や利益のために政治や軍事によって他国を支配する帝国主義が波及していきました。第二次産業革命の時期とされる19世紀後半から20世紀に植民地を所有していたのは、8カ国あります。イギリス、ドイツ、アメリカ、ロシア、フランス、イタリア、ベルギー、日本です。

第一次世界大戦の時の塹壕の様子

これらの国々を列強8カ国と呼び、当時の世界人口の三分の一の人々が住む土地を植民地として支配していました。しかし、徐々に列強間での争いが激しくなり、1914年に第一次世界大戦が勃発します。産業革命は遂に戦争を引き起こすまでの影響力を持ったのです。

不況時代の発生

不況時代が発生したことも、第二次産業革命の影響になります。原因は、市場経済においての自由な競争を原則とした資本主義経済と帝国主義です。

資本主義経済は第一次産業革命の頃に成立しましたが、自由な競争を原則としているために好景気と不景気が常に繰り返されることになります。

好景気によって生産過多になり、製品の価格が下がって生産が抑えられ不景気になり、需要と供給のバランスが取れるとまた好景気に戻るといった循環です。つまり、必ず不景気である不況の時代が発生します。

世界恐慌の始まりであるアメリカのウォール街の様子

第二次産業革命では帝国主義により経済規模が拡大していたため、失業や倒産が多発し、社会に大きな損失をもたらす「世界恐慌」まで起きました。

この世界恐慌を立て直すための経済政策や植民地競争などにより、第二次世界大戦が勃発しました。またしても、産業革命の影響で戦争が起こってしまったのです。

第二次産業革命の問題点

第二次産業革命の問題点は産業が発達し過ぎて、その影響力が拡大したことでしょう。第一次産業革命に比べて、産業技術が著しく向上したために世界全体で資本主義が起こり、帝国主義思想が広まりました。

その結果、アジアやアフリカ、オセアニアなど各地が植民地となります。そして、その争いは世界大戦にまで繋がることとなりました。社会を便利にするための発明が人々を争わせるものに変化したのです。

不況時代に大勢の子どもを抱えて途方に暮れる女性

また、不況時代が発生したことによって失業率が増加したことも問題点の一つです。都市で働く人々のほとんどが工場労働者となり、工場の生産が抑えられるとすぐに失業の危機になりました。その結果、身売りや低賃金労働が蔓延して不満が高まっていったのです。

産業技術が進歩し過ぎたために、第二次産業革命では第一次産業革命の時の問題点を更に増やすこととなってしまいました。

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