性格は愛されるダメ男だった?
山頭火の性格を一言で表すなら、お酒好きのダメ男だが憎めない、愛嬌のある性格でしょう。
無駄に無駄を重ねたような一生だった、それに酒をたえず注いで、そこから生まれた一生だった
と日記に残しているように、山頭火は酒でのトラブルを多く起こし、さらに他人から借りたりもらったりしたお金を残らず酒に注ぎ込んでいます。父が残した借金返済のための店はすべて妻に任せ、自分は俳句や酒に浸ってばかりでした。
紛うことなきダメ男ですが、憎めない愛嬌のある性格だったのか、支援者にはことかきませんでした。山頭火は俳句の師匠である荻原井泉水や友人の木村緑平などの助けをかり、なんとか暮らしていけたのです。
お酒で失敗したり、責任感のない行動を取ったりした山頭火ですが、自身の行いを反省して禁酒をしようとした真面目なところもあります。「本当に仕方のないやつだ」と思いながらついつい助けてしまう、そんな魅力的な人物だったことが彼の人生からうかがえます。
種田山頭火の死因は酒?
山頭火の死因は脳出血です。脳出血とは、その名の通り脳の動脈が破れて出血している状態で、高血圧が原因となって引き起こされることが多い症状です。
1940年10月10日の夜、山頭火は隣室で句会が行われる中、イビキをかいて眠っていました。仲間達は酔っ払って寝ていると思い、句会終了後、山頭火を起こさずに帰ります。しかし、このとき山頭火は脳出血を起こしていました。
山頭火のことがどうしても気になった者が早朝に彼を訪ねると、時はすでに遅し。山頭火は心臓麻痺で亡くなっていました。酒を楽しみ、酒に溺れ、酒に死ぬ。山頭火らしい最期と言えるかもしれません。
種田山頭火の墓は山口県にある
山頭火の墓は、彼の出生地・山口県防府市の護国寺にあります。
山頭火の母フサと共の隣に眠っており、墓石には「俳人種田山頭火之墓」と彫られており、一目でわかる見た目をしています。山頭火の死後、満州にいた息子が急遽帰国し、彼を葬りました。
現在、山頭火の墓には一升瓶が2本備えられていることもあります。酒好きの山頭火らしいお供えものですね。
種田山頭火の家族はどんな人々?自殺者が多かった?
種田山頭火は大地主である父・竹治郎の長男として誕生しました。800坪の広大な敷地を持つ、近所でも有名な屋敷を所有しており、幼い頃は何も不自由することなく生活することが出来たのです。そして、山頭火の後には妹が1人と弟が2人誕生しました。
しかし、幸せな生活は母・フサの自殺によって一変してしまいます。フサは山頭火が9歳の時に自宅の井戸の中へ投身自殺をしてしまったのです。一説には父・竹治郎の激しい女遊びが原因となっているのではないかと言われていましたが、真相は定かではありません。山頭火はこの母の死を晩年まで心の中に抱えたまま過ごすことになります。
また、山頭火が36歳の時には、弟・二郎が岩国の愛宕山で縊死して自殺してしまうのでした。二郎は実家の種田酒造が倒産したのちに、養子として親戚に出されていましたが、そこも追い出されてしまい、途方に暮れた結果の自殺だったのです。
山頭火は2人の家族の死を抱えながら放浪流転の旅をし続け、度々、俳句の中にも2人に対する想いが盛り込まれているのです。
種田山頭火の功績
功績1「正岡子規が礎を作り、高浜虚子が定型を作った俳句を自由に詠んだ」
俳句の起源は正岡子規に始まりますが、この時はまだ季語や字数の制限がなく、子規自身も「十七字にならねば十五字、十六字、十八字、十九字、乃至、二十二三字一向に差支なし」と述べています。そこに発句の意味を重要視し、字数や季語などの決まり事を作ったのが高浜虚子です。現在主流である五七五の十七字に季語を一つ含めるという形は虚子が作ったものと考えられています。
その俳句の決まりを一向に気にせず、自由に俳句を詠んだ代表的人物として出てきたのが山頭火と尾崎放哉だったのです。山頭火は俳句を自由に詠むことを居場所を定めない自らの境遇と、自然と一体化しているというイメージと重ね合わせたのではないかと考えられています。
功績2「ツルゲーネフやモーパッサンを翻訳した」
山頭火は1911年、29歳の時に文学の世界へと足を踏み入れていますが、最初の頃はツルゲーネフやモーパッサンなどの外国文学の翻訳を行っていました。優秀だった学生時代に培った英語力を駆使して、名文学を世間へ広めることに尽力したのです。
また、郷土文芸誌「青年」に翻訳した作品を発表する傍らで、友人たちと共同で刊行していた回覧雑誌には自身の詩や和歌、随筆、俳句を掲載しきました。郷土文芸誌「青年」では「山頭火」のペンネーム、回覧雑誌では「田螺公」のペンネームを使用していましたが、最終的には全ての作品を「山頭火」で発表するようになっていくのです。
種田山頭火の俳句・名言
種田山頭火の代表作品
「まっすぐな道でさみしい」
修行に耐えられず、放浪の旅に出たときに詠まれた句です。よく旅に出た山頭火ですが、手紙魔と言われるほど友達へ手紙を出す寂しがりやでした。脇道もない一本道をひたすら歩く自分に孤独を強く感じてしまったのでしょう。
山頭火の人恋しい気持ちが出ている一句です。
「ほろほろほろびゆくわたくしの秋」
「ほろほろ」というのは衣がほころんでいく様を表現した擬態語です。この句は、ほろほろとほころんでいく衣のように自分の人生も滅びていく、と自嘲しています。秋という季節も相まって、切なさを感じる句です。
「どうしようもない私が歩いている」
こちらの句は僧侶として人々からお金をもらいながら、全国を旅していたころに詠まれたものと言われている句です。他の人からもらったお金で酒を買って飲んでしまう自分の情けなさを詠っています。
「一杯やりたい夕焼けの空」
山頭火らしいお酒がらみの一句です。乾杯したくなるほど美しい夕焼けだった、と情景が想像できる俳句ですね。
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