種田山頭火とは?生涯・人生まとめ【代表作品・俳句や名言、句集も紹介】

種田山頭火の名言

酒好きで、寺で修行をした山頭火らしい名言

「無理をするな、素直であれ。全てがこの語句に尽きる。この心構えさえ失わなければ、人は人として十分に生きてゆける」

この言葉は、仏教の「日々是好日(ひびこれこうじつ)」に通ずるものがあります。俳人でありながら、寺で一時期修行していた僧侶としての一面もある山頭火らしい言葉と言えるでしょう。

数々の不幸に遭いながらも、不器用ながら最後まで俳人として生きた山頭火の生き様が見える名言です。

「ああ酒、酒、酒、酒ゆえに生きても来たが、こんなものになった。酒は悪魔か仏か、毒か薬か」

酒に溺れ、それでも酒を愛した山頭火らしい名言です。家族の不幸や借金による経済的な重圧を酒で癒しながらも、飲みすぎてトラブルを起こした山頭火にとって酒はある意味扱いに困るものだったのかもしれません。

自分を苦痛から救ってくれる仏や薬でありながら、迷惑の種となる酒。やめようともやめられない酒は、ともすれば甘言を囁く悪魔のようにも思えたのでしょう。ままならない、とはこういうことを言うのかもしれませんね。

「『あきらめ』というほど言い易くして行い難いことはない。それは自棄ではない、盲従ではない、事物の情理を尽して後に初めて許される『魂のおちつき』である」

こちらは「層雲」大正5年1月号に掲載された山頭火のエッセイの冒頭です。ここで言う「あきらめ」とは、自分に対する矛盾へのあきらめです。何度か触れましたが、山頭火は酒がやめられない自分に対して嘆いていました。

そのことについて山頭火はエッセイで触れています。恐らくですが、山頭火は酒をやめられない自分にあきらめをつけられることで初めて苦しみのない穏やかな心持ちを手にできると考えたのではないでしょうか。

「おこるな しゃべるな むさぼるな ゆっくりあるけ しっかりあるけ」

こちらは旅の途中、山頭火が「行乞記」に記した座右の銘です。「おこる」「しゃべる」「むさぼる」いずれも、視野を狭くしてしまう行いです。世界を狭めてしまう事柄を遠ざけて、今目の前にあるものをしっかりと感じとろうと山頭火は言っています。

山頭火の俳句はありのままを切り取ったものが多いですが、その感性の源となったのはこの考え方なのかもしれません。

種田山頭火にまつわる逸話

逸話1「赤い顔に近眼鏡だったため『オコゼ』と呼ばれていた」

山頭火のあだ名は「オコゼ」だった

山頭火の山口尋常中学校時代のあだ名は「オコゼ」でした。

同級生の青木健作は山頭火について「度の強い近眼鏡をかけた、元気そうな赤い顔は今にまざまざと眼前にほうふつし得るのだ。見るからに多血質な人物だった。」と述べています。この印象から「オコゼ」という愛称がついたのでしょう。

逸話2「中学生の頃から俳句を嗜んでいた」

俳句の真似事をやっていた

山頭火は周陽学舎に通っていた頃に俳句に興味を持つようになり、近所の句会所に顔を出していたというエピソードが残っています。

また、妹のシズは「周陽学舎へ行きよりました頃は、子供がみんなで集まって判子みたいなものを作って、俳句の真似事をやっておりました。」と証言しています。

逸話3「社会主義者と間違えられ、刑務所へ入れられる」

関東大震災の被災状況

1923年9月1日に関東大震災が起こっていますが、この時東京へ出ていた山頭火はその渦中に巻き込まれることになります。山頭火は避難する際に、社会主義者と間違えられ、巣鴨刑務所へと留置されてしまいました。

この出来事をのちに振り返って「諸行無常」としていますが、連行された当初は精神的に立ち直れないほどショックを受けたそうです。

逸話4「路面電車を止める騒ぎを引き起こし留置される」

熊本の現代の路面電車

山頭火が酒好きだったことは先に述べた通りですが、酒が原因で騒ぎを起こしたことは一度や二度ではありません。特に大きな問題となったのが、熊本市内を走る路面電車を非常停止させてしまったことです。

その際は、電車を急停止させた所に偶然居合わせた知人の記者に引き取られるのでした。そして、関東大震災や弟の自殺で精神的にも落ち込んでいた山頭火はそのまま報恩寺へと連れて行かれ、出家するように説かれるのです。

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