川島芳子とはどんな人?生涯・年表まとめ【男性関係や生存説も紹介】

1937年 – 30歳「天津で『東興楼』を経営し、女将となる」

現在の「天津」ここで芳子は料理屋を営んでいたといいます
出典:Wikipedia

非常にもてはやされた川島芳子でしたが、講演会などで日本軍を批判する内容をいったりしたため、次第に疎まれるようになっていったといいます。そのため表舞台から姿を消し、天津で「東興楼」の女将として働き始めます。

「東興楼」時代に知り合った李香蘭を実の妹のように可愛がっていたといいます。しかしこの頃には芳子の悪評を聞いた李香蘭の関係者が「東興楼」の出入りを禁じたため、次第によそよそしくなってしまったと後年李香蘭が回想しています。

1948年 – 41歳「日本が敗戦し、逮捕・処刑される」

川島芳子の銃殺刑を伝える当時の新聞

1945年に日本が降伏し、それに伴い川島芳子は各地を転々と逃げ回りました。しかし北平で中国国民党団に逮捕され、漢奸として追訴されました。芳子は裁判で自身は日本人だと主張し、養父の川島浪速に戸籍を送るように依頼しますが、実は芳子は戸籍上日本人ではなかったことが判明します。

これは芳子も驚いたらしく、次は姪の「川島廉子」の「廉」を「芳」に書き換えて送るように川島に依頼しますが、それを待たずに中国共産党に利用されることを恐れた国民民主党の思惑もあり、戸籍が間に合わず1948年に銃殺刑に処されたのです。最後は王女らしく、眉一つ動かさず死んでいったと伝わっています。皮肉にも「マタ・ハリ」と同じ享年41歳でした。

川島芳子の関連作品

おすすめ書籍・本・漫画

男装の麗人・川島芳子伝 (文春文庫)

川島芳子の本といえば、この本が一番有名です。色々な人の芳子への証言ものっており、川島芳子がどういう人が余すことなくすることができます。川島芳子という女性を知りたい方は是非読んでほしい1冊です。

清朝十四王女―川島芳子の生涯 (ウェッジ文庫)

文春文庫の「川島芳子伝」か本書が定番の川島芳子を知るための本です。この本も、昔から川島芳子の伝記としてあり非常に読み応えがあるので、芳子の人生をよく知りたい方におすすめの一冊です。

真実の川島芳子―秘められたる二百首の詩歌

詩を読むことはその人の心の声を聞くことです。川島芳子が残した詩歌から、心情を汲み取って歴史を考察してみるのも新たな切り口です。歴史好きの人に是非手にとって欲しい本です。

おすすめの動画

男装の麗人 川島芳子【日本編】

端的に纏められている動画です。要点をついて進んでいくので、短い時間で川島芳子を知ることができる動画です。この動画は日本での芳子を解説しています。

川島芳子【満州編】

端的に綴られている動画の満州編の動画です。満州で何が起こったのかを分かりやすく解説してくれています。「日本編」と合わせてみるのがおすすめです。

おすすめの映画

ラストエンペラー DVD-BOX

満州国の皇帝溥儀を主人公とした映画です。この中に、川島芳子も登場します。関東軍に翻弄される愛新覚羅王族達の悲哀を感じる一作です。戦争時代の歴史が好きな人には必見です。

おすすめドラマ

李香蘭(上戸彩主演)

李香蘭の生涯を描いたドラマですが、この中で川島芳子も出てきます。芳子と李香蘭との関係を見ることができます。激動の人生を送った李香蘭の人生を見ることもできるので、その方面でも楽しめる一作です。

関連外部リンク

川島芳子についてのまとめ

いかがでしたでしょうか。筆者が川島芳子を知ったのは、「川島芳子伝」を読んだのがきっかけでした。読んでから、この女性の事が長いこと印象に残っており今回執筆できて嬉しく思っております。特に筆者の心に残っていたのは「家あれども…」の辞世の句です。そして、カラ元気で男装している女性というところに、なんだか共感できるものを感じたのを覚えています。

詩を読む限り、川島芳子という女性は強がっているけれども実は繊細で、関東軍を利用しているつもりが利用された人生だったのだろうと思います。最後に処刑をされるときに彼女は何を考えてたのか?今となってはわかりませんが、考えさせられる人物です。しかし死後も生存説が出たのも、気の毒だという気持ちがどこかに残っているから日本でも中国でもいわれるようになったのではないでしょうか。そんな川島芳子という女性を少しでも知ってもらえたら嬉しく思います。最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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