ジル・ド・レとは、百年戦争期のフランスで活躍した軍人であり貴族です。ジャンヌ・ダルクと共に百年戦争を戦い、フランス軍の元帥に任じられるほどの高い評価を受けた彼は、「救国の英雄」と称えられたほどの人物として歴史に名を残しています。
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しかしその一方、ジャンヌ・ダルクの処刑の後に彼の人生は一変。戦争時の功績から「フランス王よりも富裕」とまで言われた彼は、その有り余る財力で黒魔術や悪魔崇拝に傾倒。その供物として多くの少年を凌辱し惨殺するなど、狂気に満ちたエピソードを数多く残す晩年を送りました。
シャルル・ペローの童話『青ひげ』のモデルにされたことでも知られ、前半生の華やかな功績を後半生の暴虐が覆い隠してしまうようなジルの人生。しかしそんな彼が狂気に落ちた理由は、実のところ同情の余地を感じるようなものでもあるかもしれません。
ということでこの記事では、華やかな光からどす黒いまでの闇に落ちた人物であるジル・ド・レの生涯を纏めていきたいと思います。
この記事を書いた人
ジル・ド・レとはどんな人物か
名前 | ジル・ド・モンモランシー=ラヴァル |
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通称 | ジル・ド・レ(”レ(Rais)領のジル男爵”の意味) |
誕生日 | 1405年頃 |
没日 | 1440年10月26日(享年35歳説が有力) |
生地 | フランス王国、シャントセ |
没地 | フランス王国、ナント、イル・ド・ビュス |
配偶者 | カトリーヌ・ド・トアール |
埋葬場所 | フランス王国、ナント、ノートル・ダム・デュ・カルメル教会(現存していない) |
ジル・ド・レの生涯をハイライト
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ジル・ド・レは1405年頃、フランスの有力貴族の家に生を受けました。父母双方ともに有力な貴族の家系だったため、ジルは後に広大な領地を受け継ぐことが決定づけられた生まれだったと言えます。
しかし1415年、父母が立て続けに死去。ジルは母方の祖父に引き取られますが、問題行動の多い人物だった祖父は彼を政略結婚の道具として使って、強引に領地の拡張を推し進めていったことが記録されています。
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その後、軍人となったジルは1429年のオルレアン包囲戦でジャンヌ・ダルクに協力。
多くの人物と共に百年戦争末期を戦い、パテ―の戦いでフランスの勝利に貢献したことで「救国の英雄」と称される人物にまで上り詰め、20代の若さでフランス軍元帥の地位を得ることになりました。
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しかし百年戦争の終結後、ジャンヌ・ダルクが処刑されたことでジルの生活は一変します。
黒魔術や悪魔崇拝に耽溺したジルは、その供物として多くの少年を凌辱の末に惨殺するという凶行に走ることになったのです。
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出典:Wikipedia
そして1440年、所領を巡る争いが引き金となってジルは逮捕。そこで少年に対する虐殺を明らかにされたジルは、絞首刑のうえで火刑に処され、生涯を終えることになりました。
人を信じやすく子供っぽい性格だった
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ジル・ド・レがなぜ快楽殺人者となってしまったのか?理由は「人を信じやすく子供っぽい性格」も関係していたであろうと憶測されています。
ジルは百年戦争後に「錬金術」にはまり、自らの居城に実験室を作り錬金術師を招いて「卑金属を黄金に変える」実験を繰り返し遂には黒魔術にまで傾倒するようになってしまいました。そして悪魔を呼び寄せるために生贄をささげるにまで至っています。
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出典:Wikipedia
この一連の行動から、ジルが人を信じやすく子供っぽい性格が読み取れます。錬金術は当時流行していたものですが、当時から「かなり胡散臭いもの」でした。都市伝説的なものを追い求める所にジルの「子供っぽさ」が見え隠れし、途中でおかしいと気づかずに黒魔術にまで手を染めてしまうあたりに「信じやすい性格」がわかるのです。
ジャンヌ・ダルクと共に駆けた百年戦争
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ジル・ド・レにとって最も幸福だったのは、おそらくジャンヌ・ダルクと共に百年戦争の戦場を駆けた期間だったと思われます。
祖父から非常に高度な軍事教育を受けたジルは、ジャンヌと共に出陣した戦いの中で手堅い指揮能力を発揮。指揮官としてだけでなく武芸の面でも「まことに勇敢な戦士」という評価を受けていたことが伝えられています。
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また、ジャンヌと共に戦う最後の戦いとなったパリ包囲戦では、ジャンヌが「自分に相応しい人をこの地に呼び寄せた」と語っており、その「相応しい人」こそがジル・ド・レであるとする説が非常に有力視されています。
ジャンヌ・ダルクの登場からパリ包囲戦までの期間はわずか半年程度しかなく、ジルとジャンヌが共に戦場を駆けた期間は非常に短いと言わざるを得ません。しかしそんなわずかな期間でも、ジャンヌから強い信頼を得ることができるあたりに、ジル・ド・レが確かに優秀な人物だったことが現れているような気がします。