小説ヲタクがおすすめするオールタイムベスト83冊

ジル・ド・レとはどんな人?生涯・年表まとめ【功績や逸話も紹介】

ジル・ド・レとは、百年戦争期のフランスで活躍した軍人であり貴族です。ジャンヌ・ダルクと共に百年戦争を戦い、フランス軍の元帥に任じられるほどの高い評価を受けた彼は、「救国の英雄」と称えられたほどの人物として歴史に名を残しています。

ジル・ド・レの肖像画

しかしその一方、ジャンヌ・ダルクの処刑の後に彼の人生は一変。戦争時の功績から「フランス王よりも富裕」とまで言われた彼は、その有り余る財力で黒魔術や悪魔崇拝に傾倒。その供物として多くの少年を凌辱し惨殺するなど、狂気に満ちたエピソードを数多く残す晩年を送りました。

シャルル・ペローの童話『青ひげ』のモデルにされたことでも知られ、前半生の華やかな功績を後半生の暴虐が覆い隠してしまうようなジルの人生。しかしそんな彼が狂気に落ちた理由は、実のところ同情の余地を感じるようなものでもあるかもしれません。

ということでこの記事では、華やかな光からどす黒いまでの闇に落ちた人物であるジル・ド・レの生涯を纏めていきたいと思います。

ジル・ド・レとはどんな人物か

名前ジル・ド・モンモランシー=ラヴァル
通称ジル・ド・レ(”レ(Rais)領のジル男爵”の意味)
誕生日1405年頃
没日1440年10月26日(享年35歳説が有力)
生地フランス王国、シャントセ
没地フランス王国、ナント、イル・ド・ビュス
配偶者カトリーヌ・ド・トアール
埋葬場所フランス王国、ナント、ノートル・ダム・デュ・カルメル教会(現存していない)

ジル・ド・レの生涯をハイライト

ジル・ド・レが生を受けたと言われるシャントセの城の現在。

ジル・ド・レは1405年頃、フランスの有力貴族の家に生を受けました。父母双方ともに有力な貴族の家系だったため、ジルは後に広大な領地を受け継ぐことが決定づけられた生まれだったと言えます。

しかし1415年、父母が立て続けに死去。ジルは母方の祖父に引き取られますが、問題行動の多い人物だった祖父は彼を政略結婚の道具として使って、強引に領地の拡張を推し進めていったことが記録されています。

ジャンヌ・ダルクとの出会いは、ジルの人生の絶頂期と重なる。

その後、軍人となったジルは1429年のオルレアン包囲戦でジャンヌ・ダルクに協力。

多くの人物と共に百年戦争末期を戦い、パテ―の戦いでフランスの勝利に貢献したことで「救国の英雄」と称される人物にまで上り詰め、20代の若さでフランス軍元帥の地位を得ることになりました。

悪魔崇拝に耽溺したジルは、一説では「ジャンヌ・ダルクを蘇らせよう」としていたのだとか。

しかし百年戦争の終結後、ジャンヌ・ダルクが処刑されたことでジルの生活は一変します。

黒魔術や悪魔崇拝に耽溺したジルは、その供物として多くの少年を凌辱の末に惨殺するという凶行に走ることになったのです。

ジル・ド・レの処刑を描いたとされる絵

そして1440年、所領を巡る争いが引き金となってジルは逮捕。そこで少年に対する虐殺を明らかにされたジルは、絞首刑のうえで火刑に処され、生涯を終えることになりました。

ジャンヌ・ダルクと共に駆けた百年戦争

イギリスとフランスの熾烈な戦いとなった百年戦争。ジャンヌやジルはその末期を戦った。

ジル・ド・レにとって最も幸福だったのは、おそらくジャンヌ・ダルクと共に百年戦争の戦場を駆けた期間だったと思われます。

祖父から非常に高度な軍事教育を受けたジルは、ジャンヌと共に出陣した戦いの中で手堅い指揮能力を発揮。指揮官としてだけでなく武芸の面でも「まことに勇敢な戦士」という評価を受けていたことが伝えられています。

パリ包囲戦において、ジルはジャンヌからの呼びかけに応じて参戦したのだという。

また、ジャンヌと共に戦う最後の戦いとなったパリ包囲戦では、ジャンヌが「自分に相応しい人をこの地に呼び寄せた」と語っており、その「相応しい人」こそがジル・ド・レであるとする説が非常に有力視されています。

ジャンヌ・ダルクの登場からパリ包囲戦までの期間はわずか半年程度しかなく、ジルとジャンヌが共に戦場を駆けた期間は非常に短いと言わざるを得ません。しかしそんなわずかな期間でも、ジャンヌから強い信頼を得ることができるあたりに、ジル・ド・レが確かに優秀な人物だったことが現れているような気がします。

狂気の殺人鬼に成り果てた後半生

ジャンヌ・ダルクの処刑こそが、ジルが狂気に落ちるきっかけだった。

ジャンヌの処刑後、ジルは明らかに精神の均衡を崩してしまったことが記録され、とりわけ黒魔術や悪魔崇拝など、神を貶めることに憑りつかれたと見られる記録が残されています。そして黒魔術の生贄として、多くの少年を凌辱の上で殺害。その被害者は50人とも1500人以上とも言われ、現在も正確な人数は把握されていません。

オルレアン包囲戦を題材にした劇を上演させるなど、昔を懐かしむ行動も多かった晩年。

また、同時にジャンヌと共に駆けた百年戦争時代を懐かしむようにもなり、彼は自身の城や領地等の財産を湯水のように消費して、回顧じみた活動を展開。この浪費はすさまじいものだったらしく、ジルはその後に禁治産者に設定されたとも記録されています。

そして1440年。少年たちへの虐殺の罪でジルは処刑されることになるのですが、その処刑の真の理由も「フランス王家がジルの財産を狙って裁判を起こした」「ジルが自身の領土を他国に売り払うことを警戒した」と言われています。

つまり、その裁判が本当にジルの罪を裁くためのものだったのかは、現在も議論の余地がある事柄となっているのです。

ジル・ド・レが狂気に落ちた理由とは?

ジルが狂気に落ちた理由は、その強すぎた信仰心からとも言われている。

ジル・ド・レが狂気に落ちた理由については、明確な記録がないため状況証拠などから想像することしかできません。とはいえ、状況的な部分から想像するに、彼がジャンヌの処刑によって大きく精神の均衡を崩したことは、非常に有力な説であると言えるでしょう。

また、ジャンヌとジルには「敬虔なキリスト教徒だった」という共通点もあり、ジャンヌの死後のジルは、そこで奉じていた神を貶めることに憑りつかれたようになっています。

信仰心が神への憎悪に変わり、結果として殺人鬼にまで堕ちてしまったジル。

そのため、ジャンヌ・ダルクを救わなかった神に対しての信仰心が捻じ曲げられ、憎悪に変わってしまったことが彼が狂気に落ちた理由であるとも読み取れそうです。

ともあれ、それらはあくまでも記録から読み取れる部分を組み合わせた想像でしかなく、後世の様々な物語が付随したうえでの結論となっています。ですので、あくまでもこれらの理由は「想像である」ということは念頭に置いたうえで、ジル・ド・レという人物を考察していただければ幸いです。

【閲覧注意】彼が行った残酷な殺人について

ジルの手に落ちた少年は、凌辱と拷問の果てに殺される運命となった。

実のところ、ジル・ド・レが行った少年たちに対する殺人については、それほど多くの記録が残っているわけではありません。

裁判記録などの多くはない記録からは「少年を城に呼び寄せ、豪華な衣服と食事を与えて、それから性行為に及び、最後に首を生きたままゆっくりと切って殺害する」というジルの手口が読み取れる程度となっています。

とはいえ、この不自然に少ない記録の理由は「裁判でジルが語った殺人の内容があまりにもおぞましく、記録からの削除を命じられたから」というもの。ジルの城からは最低でも50人以上の、首と両腕両足を失った少年の死体が見つかったということからも、その内容のおぞましさはご理解いただけるかと思います。

記録自体は少ないが、そのどれもが一級品の惨たらしさを持つジルのエピソード。

また、気に入った少年の首を腐敗するまで手元に置いていたという噂も残っており、その首を選ぶために寵臣に少年の首を並べさせたというエピソードも、後半生のジルの狂気を彩るエピソードの最たるものだと言えるでしょう。

ジャンヌ・ダルクへの思慕ゆえか、それとも神に対して敬虔過ぎた反動なのか…。ともかく、百年戦争の終結によって「救国の英雄」が狂気に落ちてしまったことだけは、どうしようもない事実でしかありません。

現代に描かれるジル・ド・レの姿

ジル・ド・レをモチーフにした童話『青ひげ』は、怖い童話の代表作としても知られる。

ジル・ド・レをモチーフにしたとされる作品は、シャルル・ペローの童話『青ひげ』が最も有名です。日本ではさほど有名ではない物語ですが、グリム童話にも(翻案があったうえで)収録されるなどの評価を受けている作品ともなっています。

また、現在「ジル・ド・レ」の名前の検索候補に出てくる言葉は、そのほとんどがアニメやゲームなどの作品です。

『Fate』シリーズにおける、左が殺人鬼のジルで、右が騎士のジル。この二役を演じ分ける鶴岡聡氏の演技は圧巻。

それらの作品の中でも『Fate』シリーズで描かれるジル・ド・レは、「救国の英雄である騎士」としての姿と「狂気に満ちた殺人鬼」の二つの側面がそれぞれ別のキャラクターとして登場。

どちらも味わい深いキャラクターとなっていますので、皆様もぜひ一度ご覧いただければと思います。

『ドリフターズ』のジルもまた、ジャンヌ・ダルクの副官ポジションとして主人公たちの前に立ち塞がる。

また、漫画『ドリフターズ』でもジャンヌ・ダルクの副官として、主人公たちの前に立ち塞がる強敵として描かれることになっています。

このように、多くの作品に登場するジル・ド・レは、ある意味で人々に親しまれるキャラクターになったとも言えるかもしれません。

ジル・ド・レの功績

功績1「ジャンヌ・ダルクと共に「救国の英雄」と称えられる」

ジャンヌ・ダルクと共に「救国の英雄」となったのは、間違いなくジルの最大の功績。

最初こそ祖父のコネによる部分が大きかった軍人としてのジルですが、結果としてジャンヌ・ダルクと共に百年戦争末期を戦い抜き、民衆から「救国の英雄」と称えられるまでに至ったことは大きな功績だと言えるでしょう。

ジャンヌ・ダルクは非常に強いカリスマ性を持っていましたが、軍事的な教養には乏しく、作戦の遂行にはサポートが必要不可欠でした。そのため結果として、幼少期から高度な軍事教育を受け、その上で手堅い戦術を得意とするジルとの相性は非常に良かったのだと思われます。

また、性格的にも「神に対する強い信仰心」という部分が共通していたため、記録にこそさほど残っているわけではありませんが、ジャンヌの副官役としてジルが強い信頼を受けることに繋がっていたようにも思えます。

功績2「フランス軍元帥への叙任を受けた辣腕」

自身の戴冠式で、シャルル7世はジルをフランス軍の元帥に任命した。

”元帥”と言えば、実質的な軍部のトップと言える階級です。そのような栄誉ある職掌に20代という若さで上り詰めたことも、ジル・ド・レの大きな功績の一つであると思われます。

また、彼はランス・ノートルダム大聖堂で行われたシャルル7世の戴冠式に出席するという栄誉も同時期に手にしており、百年戦争末期のジルは、現場からも上層部からも非常に信頼の厚い人物であったことがわかります。

元帥への叙任は、ジルの後ろ盾でもあったラ・トレムイユ侍従長の意向も多分に含まれたものだと言われていますが、その頃のジルの功績が元帥の座に値するものだということには疑う余地がありません。以上の点からすると、むしろ「20代で元帥に叙任される活躍を上げた」ことこそが、彼の真の功績であると言えるかもしれません。

功績3「狂気にすら転じた神への信仰」

その所業からは信じがたいが、最期まで信仰の人であり続けたジル・ド・レ。

彼自身の後半生からすると信じがたいことですが、ジル・ド・レは自分が処刑されるその瞬間まで、神に対する信仰を捨てていなかったことが記録されています。

事実、狂気に落ちてしばらく経った1435年には、領内にサン・ジノサン礼拝堂を立てていたことが記録されており、自身を裁く裁判中も一貫して神の権威に従う姿勢を見せています。少年たちに対する残酷な行いからは信じられませんが、ジルは一貫して信仰の人でありつづけていたのです。

ジャンヌ・ダルクだけでなく、祖父の教えやラ・トレモイユ侍従長など、ジルは後ろ盾を求める傾向が強かった?

とはいえジル・ド・レの人生を追っていくと、彼はどうにも「縋るべきもの」を求める傾向が強いように思えます。また、政治的な駆け引きに向いていない「正直者」としての性質も見られるため、そう言った愚直さが信仰に繋がっていた部分も否定はできません。

一様に彼の功績やいい所として挙げるわけにもいかない「信仰」という部分ですが、最期まで揺らぐことなく神への敬虔さを持ち合わせ、それ故に狂気に転じてしまったことは、ジル・ド・レの人生を語る上で避けては通れない部分だろうと思えます。

ジル・ド・レにまつわる都市伝説・武勇伝

都市伝説・武勇伝1「狂気の友人、フランソワ・プレラーティ」

黒魔術に傾倒した晩年のジルだが、実は彼が魔術に傾倒したのはある人物の影響だったとか…?

ジャンヌの処刑によって精神を病み、狂気じみた黒魔術に傾倒するようになったジル・ド・レ。しかし騎士として戦っていた頃の彼は、魔術などにはあまり興味を示さない人物だったとも言われていました。

そんな彼を黒魔術の道に引きずり込んだのは、魔術師とも詐欺師とも言われる男、フランソワ・プレラーティ。記録にほとんど名を残さないマイナーな人物ですが、彼がジルに近づいたことが、ジル・ド・レが英雄から殺人鬼に落ちるきっかけとなったと言われています。

プレラーティを取り立て、代官にまで出世させたというアンジュー公ルネ

ジルの死後、プレラーティは「彼に黒魔術を行うようけしかけた」として裁判に掛けられ、終身刑を宣告されたのですが、なんと彼は牢獄から脱獄。そして脱獄した先のアンジューの地を治めるルネに取り入り、街の代官にまで出世したとも言われています。

なんとも「勝ち逃げ」感が漂う嫌なエピソードですが、実際にプレラーティがどのような人物であったかが不明な以上、その真相は未だ藪の中だと言わざるを得ません。

都市伝説・武勇伝2「実はジャンヌ・ダルクとはさほど親交が無かった?」

多くの創作で「ジャンヌの副官」というイメージで描かれるジルだが、実はジャンヌとはさほど親交がなかったとも言われる。

これまでのトピックや、ジルとジャンヌのイメージを根底から覆すような説ですが、実は「ジルとジャンヌはさほど親交が無かった」「むしろ不仲だった」という説も、それなりの論拠を持って語られることがあります。

というのも、記録の上ではジャンヌとジルの間に友情や愛情があったと断定できるだけの証拠は存在しておらず、むしろジルはジャンヌの進軍に帯同しつつも、立場としては自身の後ろ盾であるラ・トレムモイユ侍従長の側であることを明確にしています。

また、ジャンヌ・ダルクの直属の部隊や、彼女の副官役などの輪にジルは入っておらず、むしろジャンヌ・ダルクと一定の距離を保っていたように見られる記録も散見されているほどです。

とはいえ、ジャンヌの処刑とジルの狂気には関係があると見た方がよさそう。

とはいえ、ジャンヌの処刑とジルの狂気の時期がほとんど一致していることや、狂気に陥っていた頃のジルが、ジャンヌ・ダルクを名乗った詐欺師を歓待したという記録などから、ジルとジャンヌに親交があったことを示す証拠も多分に残っています。

そのため、基本的には「親交があった」とも「なかった」とも言える状態ではなく、結局はどちらも後世の想像でしかないのが現状であるようです。

1 2

コメントを残す