1429年7月 – 24歳「シャルル7世の戴冠と元帥の叙任」
シャルル7世の戴冠式にて、元帥に叙任される
7月16日、シャルル7世が戴冠式の舞台となるランス市に入城。その舞台で元帥杖を授与されたジルは、24歳という若さでフランス軍の最高権力の一つである元帥の位に叙任されることとなりました。
この異例の人事は、ジルの後ろ盾であるラ・トレモイユ侍従長の意向が入った人事ではありましたが、その部分を差し引いてもジルが挙げた戦果は国王からも評価されており、結果的に異例ではありましたが真っ当な人事であると認識されていたようです。
1429年9月 – 24歳「ジャンヌ・ダルクと駆けた百年戦争~パリ包囲戦~」
パリ包囲戦
戴冠式以降、ジャンヌ・ダルクら主戦派とラ・トレモイユ侍従長ら和平派の対立が深まる中、ジルは主戦派が起こしたパリ包囲戦にも参加。一説ではこれはジャンヌからの呼びかけに応じてのものだったとも言われています。
この戦いにおいてはジルの活躍はさほど記録されておらず、またジャンヌとジルが共に戦ったのもこの戦いが最後となっています。
しばしの順風満帆な生活
パリ包囲戦の後、ジルはジャンヌと別れて自領に引っ込むことになります。この年には妻であるカトリーヌとの間に娘であるマリーが生まれ、彼の人生の中でも数少ない穏やかな時が流れていました。
また、戦争における多くの働きが認められたことで、フランス王家の紋章である”白百合”を使用することが許されるなど、この時期の彼の針路は、まさに光に満ちているものでした。
1431年 – 26歳「ジャンヌ・ダルクの死」
ジャンヌ・ダルクの処刑
しばらく表立った活動をしていなかったジルでしたが、この年にジャンヌ・ダルクが処刑されたことで、彼の運命は再び動き出すことになります。
ジャンヌの捕縛を知ったジルは、彼女の救出のために軍を動かすなどの行動を起こしましたが失敗。以降の彼は黒魔術や悪魔崇拝に耽溺し、湯水のように財産を消費するなどの問題行動を起こすほどに成り果ててしまいました。
そしてこの頃に接触してきたフランソワ・プレラーティによって「悪魔の召喚儀式」を教えられたことで、彼は狂気の殺人鬼へと落ちていくことになるのです。
1433年~1435年 – 28歳~30歳「殺人と浪費の放蕩生活」
宮廷内の政争により後ろ盾を失う
ジルが狂気に落ち、少年に対する凌辱と殺人を繰り返すようになったころ、宮廷ではラ・トレモイユとリッシュモン大元帥の主導権争いが激化し、結果としてラ・トレモイユは失脚してしまいます。
これによって後ろ盾を失ったジルでしたが、もはや彼は宮廷の事情などは何一つとして興味を示さず、ただ狂気の赴くままに少年を惨殺し、財産を片っ端から消費する生活を送り続けました。
ただ昔を懐かしむばかりの暮らし
1434年9月から1435年8月まで、ジルはジャンヌと駆けた戦場だった街・オルレアンに滞在。そこで彼は聖歌隊や劇団を招き入れ、オルレアン包囲戦を題材にした劇を演じさせたという記録が残っています。
とはいえ、ジルの経済状況はもはや傾く寸前であり、さすがにこの事態を重く見た者たちの手によって1435年7月、ジルは禁治産者としての指定を受け、領地の売買を禁じられることになってしまいました。
1438年 – 33歳「もはや完全な”殺人鬼”に」
政争とは無縁に殺人を重ねていく
アンジュー公とブルターニュ公の政争に巻き込まれ、居城であるシャントセを占領されたジルでしたが、もはや彼は政争などには全く興味を示すことのない、ただの快楽殺人鬼と成り果てていました。
この時シャントセの城を占拠されたことで、ラヴァル家に子供の白骨死体を発見されたという記録が残っていますが、その直後にジルの家臣が城を奪い返したことで全てはうやむやに戻されてしまっています。
とはいえ、この頃のジルはもはや正常な状態ではあり得ず、「救国の英雄」だった彼の姿はどこにも見当たりませんでした。そしてだからこそ彼に訪れる破滅は、刻一刻と近づいていたのです。
1440年 – 35歳「逮捕と処刑」
所領を巡る争いによって逮捕
この年の5月、所領を巡っての争いの中で聖職者を拉致監禁した罪で、ジルは裁判を受けることになります。そしてこの時にジルの身辺調査が行われたことが、彼の運命を決定づけることになりました。
身辺調査の結果として、少年たちへの凌辱と惨殺、悪魔崇拝や背教、黒魔術への傾倒などを明らかにされたジルは9月15日に逮捕。ナント宗教裁判所で裁判を受けることになりました。
宗教裁判にて
こうして裁かれることになったジルは、数度の裁判を経て自らの罪を自白。この裁判における彼の様子は尋常ではなく不安定だったようで、軍人らしい言葉で裁判官を罵ったかと思えば、次の瞬間には許しを求めて泣き崩れるような有様だったそうです。
ともかく、こうして自らの罪を自白したジルは、その場にいた聴衆に許しを懇願。これによって彼は処刑こそ免れなかったものの、一定の尊厳を保ったうえで処刑されることが決定されました。
狂気の殺人鬼の最期
そして10月26日。ジルと彼の寵臣である2人の処刑が行なわれました。ジルは処刑に際しての願いとして、「自身が処刑を免れる疑いをもたれないように、二人よりも先に自分を処刑して欲しい」と嘆願。これが受理された結果、ジルの処刑は一番先に行われたと言われています。
こうしてジルは絞首刑に処され、その遺体は火で焼かれた後に埋葬されることになりました。その死にはジルの魂が救われるよう、民衆たちからの祈りがささげられ、彼は殺人鬼でありながら一定の尊厳を保ちつつこの世を去ることになったのです。
ジル・ド・レの関連作品
おすすめ書籍・本・漫画
ジル・ド・レ論―悪の論理─
ジル・ド・レという人物の生涯から、「悪とは何なのか」という哲学的な問いを論じる一冊です。
ジル・ド・レの殺人鬼の側面が中心にクローズアップされるため、彼の伝記として読むには不足になるかと思いますが、伝記的な彼の生涯の先を考えるにはぴったりの一冊であると思います。「自分で考えること」が好きな方にはぜひおすすめしたい一冊です。
青ひげ
ジル・ド・レをモチーフにしたシャルル・ペローの童話です。グリム童話として編纂されたものもありますが、モチーフが色濃く出ているという意味で、筆者はペロー版をおすすめいたします。
「好奇心は猫をも殺す」という言葉に代表される教訓や、ジル・ド・レの生涯を知っていると思わずニヤリとしてしまう皮肉なラストは、モチーフを知らずして味わえない部分だと思います。この記事をお読みになった皆様には、是非読んでいただきたい作品です。
Fate/Zero
数多くの偉人が登場するメディアミックス作品です。この作品のジル・ド・レは殺人鬼のイメージが強い狂人として描かれ、中盤の壁として主人公たちに立ち塞がります。
かなりぶっ飛んだ設定は非常に好みが分かれるところですが、史実の要素を上手にアレンジして、濃いながらも史実に連動したキャラクターを作り出すその手腕は見事の一言。殺人鬼としてのジルだけでなく、「彼が何故狂気に落ちたのか」などのバックボーンに興味がある方におすすめの小説作品となっています。
ジル・ド・レについてのまとめ
ジャンヌ・ダルクの戦友として百年戦争の英雄となりつつも、彼女の死によって人生を踏み外して処刑されていったジル・ド・レという人物。
少年たちを凌辱し惨殺したことは許されることではありませんが、その一方で「信じていたものをすべて否定された時、自分もジルのようにならないと言えるか?」と問われると、明確に「そうはならない!」と言える方はあまりいないのではないかと思います。
英雄然としたエピソードが多くなる”歴史”というコンテンツの中で、人間的な栄光と破滅を辿ったジル・ド・レは、ある意味で貴重な存在。そう言った部分から、筆者である私はジルにある種の共感を覚え、どうにも嫌悪しきれない部分があるのだと記事を書きながら再確認させていただきました。
それではこの記事におつきあいいただき、誠にありがとうございました。この記事が皆さまにとって少しでも学びになっていれば、それ以上の光栄はございません。