ジル・ド・レの功績
功績1「ジャンヌ・ダルクと共に「救国の英雄」と称えられる」
最初こそ祖父のコネによる部分が大きかった軍人としてのジルですが、結果としてジャンヌ・ダルクと共に百年戦争末期を戦い抜き、民衆から「救国の英雄」と称えられるまでに至ったことは大きな功績だと言えるでしょう。
ジャンヌ・ダルクは非常に強いカリスマ性を持っていましたが、軍事的な教養には乏しく、作戦の遂行にはサポートが必要不可欠でした。そのため結果として、幼少期から高度な軍事教育を受け、その上で手堅い戦術を得意とするジルとの相性は非常に良かったのだと思われます。
また、性格的にも「神に対する強い信仰心」という部分が共通していたため、記録にこそさほど残っているわけではありませんが、ジャンヌの副官役としてジルが強い信頼を受けることに繋がっていたようにも思えます。
功績2「フランス軍元帥への叙任を受けた辣腕」
”元帥”と言えば、実質的な軍部のトップと言える階級です。そのような栄誉ある職掌に20代という若さで上り詰めたことも、ジル・ド・レの大きな功績の一つであると思われます。
また、彼はランス・ノートルダム大聖堂で行われたシャルル7世の戴冠式に出席するという栄誉も同時期に手にしており、百年戦争末期のジルは、現場からも上層部からも非常に信頼の厚い人物であったことがわかります。
元帥への叙任は、ジルの後ろ盾でもあったラ・トレムイユ侍従長の意向も多分に含まれたものだと言われていますが、その頃のジルの功績が元帥の座に値するものだということには疑う余地がありません。以上の点からすると、むしろ「20代で元帥に叙任される活躍を上げた」ことこそが、彼の真の功績であると言えるかもしれません。
功績3「狂気にすら転じた神への信仰」
彼自身の後半生からすると信じがたいことですが、ジル・ド・レは自分が処刑されるその瞬間まで、神に対する信仰を捨てていなかったことが記録されています。
事実、狂気に落ちてしばらく経った1435年には、領内にサン・ジノサン礼拝堂を立てていたことが記録されており、自身を裁く裁判中も一貫して神の権威に従う姿勢を見せています。少年たちに対する残酷な行いからは信じられませんが、ジルは一貫して信仰の人でありつづけていたのです。
とはいえジル・ド・レの人生を追っていくと、彼はどうにも「縋るべきもの」を求める傾向が強いように思えます。また、政治的な駆け引きに向いていない「正直者」としての性質も見られるため、そう言った愚直さが信仰に繋がっていた部分も否定はできません。
一様に彼の功績やいい所として挙げるわけにもいかない「信仰」という部分ですが、最期まで揺らぐことなく神への敬虔さを持ち合わせ、それ故に狂気に転じてしまったことは、ジル・ド・レの人生を語る上で避けては通れない部分だろうと思えます。
ジル・ド・レにまつわる逸話
逸話1「狂気の友人、フランソワ・プレラーティ」
ジャンヌの処刑によって精神を病み、狂気じみた黒魔術に傾倒するようになったジル・ド・レ。しかし騎士として戦っていた頃の彼は、魔術などにはあまり興味を示さない人物だったとも言われていました。
そんな彼を黒魔術の道に引きずり込んだのは、魔術師とも詐欺師とも言われる男、フランソワ・プレラーティ。記録にほとんど名を残さないマイナーな人物ですが、彼がジルに近づいたことが、ジル・ド・レが英雄から殺人鬼に落ちるきっかけとなったと言われています。
ジルの死後、プレラーティは「彼に黒魔術を行うようけしかけた」として裁判に掛けられ、終身刑を宣告されたのですが、なんと彼は牢獄から脱獄。そして脱獄した先のアンジューの地を治めるルネに取り入り、街の代官にまで出世したとも言われています。
なんとも「勝ち逃げ」感が漂う嫌なエピソードですが、実際にプレラーティがどのような人物であったかが不明な以上、その真相は未だ藪の中だと言わざるを得ません。
逸話2「実はジャンヌ・ダルクとはさほど親交が無かった?」
これまでのトピックや、ジルとジャンヌのイメージを根底から覆すような説ですが、実は「ジルとジャンヌはさほど親交が無かった」「むしろ不仲だった」という説も、それなりの論拠を持って語られることがあります。
というのも、記録の上ではジャンヌとジルの間に友情や愛情があったと断定できるだけの証拠は存在しておらず、むしろジルはジャンヌの進軍に帯同しつつも、立場としては自身の後ろ盾であるラ・トレムモイユ侍従長の側であることを明確にしています。
また、ジャンヌ・ダルクの直属の部隊や、彼女の副官役などの輪にジルは入っておらず、むしろジャンヌ・ダルクと一定の距離を保っていたように見られる記録も散見されているほどです。
とはいえ、ジャンヌの処刑とジルの狂気の時期がほとんど一致していることや、狂気に陥っていた頃のジルが、ジャンヌ・ダルクを名乗った詐欺師を歓待したという記録などから、ジルとジャンヌに親交があったことを示す証拠も多分に残っています。
そのため、基本的には「親交があった」とも「なかった」とも言える状態ではなく、結局はどちらも後世の想像でしかないのが現状であるようです。
逸話3「執事と性的関係を持っていた!?」
ジル・ド・レはエティエンヌ・コリオーという執事とも性的関係をもっていました。彼は10歳の時に小姓としてジルに仕え始め、非常に美少年だったといいます。
裁判の証言によるとコリオーはある日、主君の部屋で2人の幼児の遺体を見つけてしまいます。ジルはコリオーが秘密を知ったために殺そうとしますが、美しい少年だったために肉体関係を持ち秘密を共有する仲間にしたそうです。そして20歳でジルの執事となり最後まで仕えていました。
逸話4「残虐な性格は本の影響だった?」
ジル・ド・レが後の犯罪に手を染めることになった背景には、祖父から相続した本が影響しているのではないかといわれています。ジルの祖父が持っていた本にスエトニウスの「皇帝列伝」がありました。この「皇帝列伝」に出てくるローマ皇帝たちの残虐行為に大きく影響を受け、人格形成の上で残虐を好む性格になったいう説があります。
ただしジルが祖父の本を読んだという確証もなく、あくまで可能性の一つとして指摘されている内容です。しかし後に錬金術にのめり込んだきっかけは騎士仲間から借りた本で知ったといいます。テレビなどがない時代、本の影響は今よりも大きかったのは事実なのかもしれません。