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東インド会社とは?イギリスやオランダなど会社設立の歴史や特徴を詳しく解説

「東インド会社ってなんのこと?」
「各国の東インド会社について詳しく知りたいなぁ」
「いろいろな国で東インド会社ができたけど、どんな順番で設立されたんだろう?」

この記事を見ているあなたは、このように思っているのではないでしょうか。

東インド会社とは、17世紀に各国で設立された貿易会社のことです。国がそれぞれ特色があるように、東インド会社も国によって特徴がありました。政府の影響を強く受けたり、植民地の統治機関になったりとバラエティ豊かです。

東インドとはアジア地域も含んだ呼び名

本記事では、そんな東インド会社について詳しく解説します。東インド会社とはそもそもどういったものなのかから設立の背景や、東インド会社の歴史を紹介します。

また、各国の東インド会社の特徴や影響、現代の状態についても解説しますので、ぜひ参考にしてください。

この記事を書いた人

一橋大卒 歴史学専攻

京藤 一葉

Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。

東インド会社

東インド会社とは17世紀初頭に設立された貿易会社

貿易を目的としていたが、次第に統治機関としての機能を持つようになった会社もあった

東インド会社とは、インドやアジア地域との貿易独占権を国から与えられた民営会社です。重商主義(貿易により国を豊かにすることを目的とした思想)国家の経済活動において重要な役割を果たし、各国で同様の名前の会社が設立されました。

東インド会社の特徴

社名の東インドは現代のインドではない

画面中央から右の部分が東インドと呼ばれていた。ただし明確な範囲の決まりはなかった

社名にインドと入っているのを見ると、インドと貿易をしていたように思えます。しかし、実は社名の東インドは、インドだけを指しません。

当時、東インドというのはインドから東の地域を表す言葉でした。そのため、想像よりもずっと広い範囲(アジアも含まれる)で貿易をしていたのです。

現代の一般的な会社とは違う

航海の途中で他国の船から攻撃されることは珍しくなかった。そのため武装は必須だった

東インド会社は、現代のように出資者からお金を募り、得た利益を分配するといった一般的な企業ではありません。それらの機能を備えつつもさまざまな権限を国から与えられた、準国家組織とも言えます。それぞれの国ごとに詳細は異なりますが、東インド会社は次のような権限を持っていました。

  • 東インドとの貿易を独占する権利
  • 東インドで要塞を建設する権利
  • 兵士を雇用する権利
  • 総督を任命する権利
  • 貿易先の支配者と条約を結ぶ権利

兵士を雇う権利も、外国で要塞を建設する権利も、現代の一民営企業では考えられないですよね。そのような権利を東インド会社は許されていました。

東インド会社はいくつもある?設立の目的とは

莫大な利益が得られたため、各国が貿易を開始した

東インド会社は、東方と交易するのを目的に設立された会社です。

東インド会社が設立された17世紀は、コロンブスやヴァスコ・ダ・ガマによって世界地理についての知識が大きく広がった時代です。これにより今まで不明確だった

  • 西ヨーロッパから東方への具体的な航路
  • 交易によって生み出される富についての情報

が手に入るようになりました。

当時、東インドへの航路「喜望峰」はポルトガル王国によって規制されていましたが、それをかいくぐって各国は交易をするようになります。しかし、東インドへの航海には個人ではまかないきれないほど莫大な資金が必要だったため、誰もが交易をできたわけではありません。しかも、利益が入るのは半年後です。

しかし、諦めるには誰にとっても魅力的すぎる事業でした。そこで生まれたのが東インド会社です。金融業者とお金に余裕のある商人が創設し、資金の問題を解決することに成功したのです。

こういった流れが国力のある各国で起こり、同時代に東インド会社という名前の組織があちこちに生まれました。ただし、国によって特色がある会社で、中には国が設立・運営した会社もあります。

東インド会社と日本の関係

日本の交易は出島で行われた

東インド会社と日本の関係は取引先です。複数ある東インド会社の中で、特に日本と関わりがあったのがオランダとイギリスでした。

先に日本を訪れたのはオランダ東インド会社です。1609年、日本に初めてやってきたオランダ東インド会社は、徳川家康の許可を得て長崎県の平戸に商館を開設しました。少し遅れて1613年にはイギリスがやってきて、平戸に同じく商館を立てます。

しかし、1623年の「アンボイナ事件」でイギリスはアジアから撤退し日本との交易も取りやめました。さらに1637年の島原の乱が起こると江戸幕府はキリスト教を布教しにきたポルトガル人たちを追放してしまいます。

結果、西ヨーロッパの列強はオランダだけが残り、200年に渡って日本と交易します。

オランダ東インド会社は多様な貿易品(薬・砂糖・香辛料・ガラス・織物・書物・地球儀など)を日本にもたらしました。また、オランダ東インド会社から伝えられる海外情勢は、鎖国をしていた江戸幕府にとって貴重な情報源でもありました。

これらのものを提供したオランダ東インド会社に対し、日本は金や銀、銅、陶磁器、漆器などを輸出しました。特に銀は質が良く、貨幣の材料として広く使用されます。また、伊万里焼きなどの芸術性が高く評価され、ヨーロッパの芸術に少なくない影響を与えました。

植民地の行政を担った「イギリス東インド会社」

イギリス東インド会社の紋章

イギリス東インド会社は、アジア各地との貿易を目的に設立された民営会社です。エリザベス1世からアジア貿易の独占権を与えられ、世界で最も早く東インド会社として貿易を開始しました。ここでよく勘違いされるのですが、イギリス東インド会社は国営ではなく、民営会社です。

会社を設立したのはロンドンの商人たちで、エリザベス1世はそれを許可し貿易独占権を与えただけです。あくまでも、貿易をしたかったのは商人たちで国王や政府には、自ら貿易会社を作ろうという意志はありません。

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