東インド会社とは?イギリスやオランダなど会社設立の歴史や特徴を詳しく解説

1793〜1833年 – イギリス 経営不振により商事会社としての機能を失う

経営が立ち行かなくなり、貿易会社としての機能を失った

18世紀末、イギリス東インド会社は経営不振に陥ります。資金不足により、ヨーロッパ向けの商品を仕入れることができまくなりました。そこで送金手段を確保するために、ヨーロッパ諸国やアメリカの商人に信用を与え、後日にヨーロッパで払い戻しをする方法が導入されました。

なんとか送金手段を得た東インド会社でしたが、この方法はイギリスがアジア貿易独占に使うはずの資金を他国の貿易に利用していると見なされ、問題になってしまいます。また、イギリスの綿工業発達により、インド産の綿製品の利益が減ったことも、それに替わる商品がなかったことも衰退に繋がりました。

さらに1770年代の経営危機を乗り越えるために東インド会社はイギリス政府に助けを求めていました。そのため、会社の命運はイギリス政府が握っていました。

そして、東インド会社が2度目の経営危機を向かえていた頃、イギリスでは産業革命が興り、東インド会社によるインド・中国貿易の独占状態を非難する声が高まっていました。その先頭に立っていたのが、自由貿易論を唱えるアダム・スミスでした。

スミスの自由貿易論は知識人や政治家など発言力のある人々の支持を集めます。

国から特許状の更新がなければ、東インド会社の独占貿易は保護されません。自由貿易を求める声が高まった結果、1793年に特許状の更新が行われずインド貿易の一部が自由化されました。

それに続く形で1813年にはインドの独占貿易が終わりを向かえ、1833年には中国との独占貿易も終了。東インド会社の商事会社としての機能は完全に消滅しました。

1799年 – オランダ 国の衰退と会社の解散

戦争により会社が衰退。さらに本国をフランスに占領され解散した

他国との貿易競争に勝利し、黄金時代を迎えていたオランダですが、徐々に陰りが見え始めます。

17世紀半ばに起こった3回に渡る英蘭戦争や、フランス王国との戦争で国力を消耗。1689年にヴィレム3世がイギリス王に迎えられてからは、イギリス東インド会社に植民地帝国の座を譲りました。

イギリスはこれ以後、大英帝国としてオランダに代わり海上の覇権を確立します。さらに1795年にはオランダがフランス革命軍により占領されます。この混乱の中、1799年12月31日、オランダ東インド会社は解散しました。

加えてオランダの海外植民地がイギリスに接収されてしまいます。しかしナポレオン戦争後にイギリスからオランダへインドネシアが返還されたため、オランダはインドネシアの経営に専念しました。

1813年 – スウェーデン ナポレオン戦争により交易地を失い、会社は閉鎖

会社閉鎖の理由となったナポレオン戦争

スウェーデン東インド会社はアメリカ独立戦争でも巨額の利益を得ました。しかし、戦争が終わると商品を売る場所がへり、スウェーデン東インド会社の業績はみるみる悪くなっていきます。

さらに追い討ちをかけるように、独立国家となったアメリカが清との貿易を開始したのです。主な貿易相手であった清との取引が減り、スウェーデン東インド会社は衰退していきます。それを後押ししたのがナポレオン戦争でした。

交易地であったネーデルラントがフランスによって占領され、スウェーデン東インド会社は貿易基盤を失います。結果、スウェーデン東インド会社は1813年に閉鎖されました。

1857〜1874年 – イギリス インド大反乱と解散

インド人傭兵たちの不満が、銃に使われていた牛脂・豚脂をきっかけに爆発し反乱が始まった

戦争によって領土拡大し、1849年にイギリスはインドの植民地化を完成させました。しかし1857年に、インドのシパーヒー(傭兵)が反乱を起こします。シパーヒーは皇帝バハードゥル・シャー2世を反乱軍の最高指導者として擁立し、ムガル帝国の再興を宣言しました。

ところがこの反乱は突発的に起こったため、計画性がない行き当たりばったりなものになり、その上統率もまったく取れていませんでした。そのため、反乱は東インド会社の軍隊によって翌年までに鎮圧されます。

無事に反乱を鎮圧しましたが、この出来事はイギリス政府に対し、東インド会社のインド統治には限界があると証明してしまいます。そこでイギリス議会は1858年8月2日、インド統治改善法を可決し、東インド会社が持つすべての権限をイギリス国王へと移譲させました。

こうしてイギリス東インド会社の歴史は終焉を向かえます。しかし、東インド会社はこれ以後も組織を継続しました。なぜなら、イギリス政府が株主に配当金の支払いを約束していたからです。

イギリス東インド会社は残務処理を終え、1874年1月1日に解散し、会社の歴史に幕を下ろしました。

東インド会社の現在

現代にも「東インド会社」という名前の会社が存在する

創設当初から現代まで残る東インド会社は、ここまで解説した通り存在しません。しかし、東インド会社という名前の会社は現代に存在します。

現代の東インド会社は、1978年に紅茶販売のため、紋章院(日本で言うところの家紋や会社のロゴを管理する王直属の機関)の許可を得て設立された会社です。

2010年にインド出身のイギリスの実業家サンジブがイギリス大蔵省に「東インド会社」の名称と商標の許可を願い出て、これが許可されたため135年ぶりに企業名として復活しました。新たにできた「東インド会社」はロンドンに店舗を構え、輸入食品や宝飾品の販売を行っています。

東インド会社に関するまとめ

東インド会社について紹介しましたが、いかがでしたか?最後に簡単にまとめます。

東インド会社は17世紀に、各国で設立された貿易会社。国から貿易独占権を与えられ、さらに軍事力や現地と交渉する権利も与えられていた
東インド会社は各国の経済や社会に大きな影響を与えた。17世紀から現代まで生き残った東インド会社はないが、同じ名前の会社は存在する

東インド会社は現在の株式会社の原型となった会社で、実はこの頃にできた株式の仕組みは今とそう変わっていません。300年以上前の仕組みがあまり変わらずに現在も使われていると思うと、なんだか感慨深いものがありますね。

当サイトでは、他にもさまざまな国の歴史について解説しています。事件や出来事について焦点を当てた記事もありますので、ぜひご覧ください!

長くなりましたが、ここまでお付き合いいただきありがとうございました。

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