本居宣長とはどんな人?生涯・年表まとめ【古事記伝や源氏物語、名言や思想についても紹介】

本居宣長は江戸時代後期に活躍した国学者であり、古事記の注釈書である古事記伝を著した人物です。国学とは日本に古来から存在する独自の文化・思想、精神世界を明らかにする学問のことをいいます。

宣長は儒学や仏教等の中国から伝来した思想や学問ではなく、日本人の心の中にある自然情緒や精神の重要性を説きました。国学の発展により、江戸時代には半ば忘れ去られていた古事記や日本人特有の精神、更には天皇という存在が改めて注目されます。

本居宣長自画像(1773年頃)

教科書でも必ず習う宣長ですが、その生涯については知らない人も多いのではないでしょうか?宣長は優れた医者であると共に、和歌も嗜んだ文化人でした。また古事記伝を完成させたのは68歳の時で、研究から実に34年が経過していました。宣長は優れた教養と年齢を感じさせない力強さを併せ持っており、私達も見習うべき人物と言えるでしょう。

今回は古事記伝に感嘆した事で、宣長の偉大さと人物像に心惹かれてしまった筆者が、宣長の生涯と主要な作品について解説していきます。

この記事を書いた人

Webライター

吉本 大輝

Webライター、吉本大輝(よしもとだいき)。幕末の日本を描いた名作「風雲児たち」に夢中になり、日本史全般へ興味を持つ。日本史の研究歴は16年で、これまで80本以上の歴史にまつわる記事を執筆。現在は本業や育児の傍ら、週2冊のペースで歴史の本を読みつつ、歴史メディアのライターや歴史系YouTubeの構成者として活動中。

本居宣長とはどんな人物か

名前本居宣長
誕生日享和元年9月29日(1801年11月5日)
没日1215年2月6日(建保3年1月6日)
生地伊勢国松坂
没地伊勢国松坂
配偶者勝(かつ)
埋葬場所妙楽寺(三重県・松坂氏)

本居宣長の生涯をハイライト

本居宣長の歌碑

本居宣長の生涯をダイジェストすると以下のようになります。

  • 1730年 0歳 本居宣長誕生(幼少期の名は富之助)
  • 1752年 22歳 家業を継ぐが間もなく店を畳む
  • 1758年 28歳 医者の傍らで源氏物語等の研究を開始
  • 1763年 33歳 松坂の一夜で賀茂真淵から教えを説く
  • 1769年 39歳 師である賀茂真淵死去
  • 1793年 64歳 玉勝間の執筆を開始
  • 1798年 69歳 古事記伝脱稿
  • 1801年 72歳 松坂の地で死去

本居宣長が大成させた国学とは?国学の四大人に名を連ねる

日本神話に登場するイザナギとイザナミ

国学とは「儒学や仏教が伝来する前の日本」を研究する学問です。扱う範囲は広く、文学や語学はもちろんの事、歴史や地理、更には朝廷の儀式等、非常に多岐に渡ります。蘭学と共に江戸時代を代表する学問です。

国学は儒学や仏典に対する批判として勃興した経緯があります。儒学は中国から伝来したものであり、いわば外来思想です。国学者達は「儒教道徳・仏教道徳が人間本来の感情を押し殺す」と批判しました。

国学の四大人

国学に特に大きな影響を与えた4人を「国学の四大人」と呼びます。人物と功績は以下の通りです。

  • 荷田春満(1669〜1736年):万葉集や古事記の研究の基礎を築き、日本民族固有の精神に立ち返る「復古神道」を提唱
  • 賀茂真淵(1697〜1769年):古代日本人の精神を研究し、和歌の革新に貢献
  • 本居宣長(1730〜1801):古事記伝を執筆し、源氏物語の中にある「もののあはれ」という思想を確立させる
  • 平田篤胤(1776〜1843年):宣長没後の弟子を自称し、復古神道を大成させる

上記の4人は日本人古来の精神を解明させた功績が大きいのですが、他にも古典の文献考証を行う実証主義派の国学者もいました。実証主義による国学は、明治期には民俗学の基礎として発展していくのです。

古事記の注釈書「古事記伝」を執筆

古事記伝の再稿本

宣長は1798年に「古事記の注釈書である古事記伝」を完成させました。古事記は日本最古の歴史書とされ、天地開闢から推古天皇までの時代を著したものです。編纂されたのは712年であり、同時期に日本書紀も編纂されました。

時代が下ると共に「日本書紀が正史」とされ、古事記は歴史の中に埋もれていきます。鎌倉時代に至っては朝廷でも拝見出来る人のいない秘本とされました。江戸時代に少し出回るものの、読める人はほとんどいなかったのです。

宣長は僅かに出回っていた古事記の写本を相互に確認し、異なる部分を丁寧に精査。古語の訓読みや膨大な注釈を加える事で、古事記を書誌学の観点から研究したのです。古事記伝は全44巻の大作で完成に30年以上を要しました。

古事記伝は大きな反響を呼び、近世以降の古事記の研究に不可欠なものになりました。古代人の生き方や精神性が現在に生きる私達にも脈々と受け継がれている事が、古事記の研究で明らかになったのです。

本居宣長の思想「もののはあれ」とは?

源氏物語画帖 宣長は源氏物語を敬愛していた

宣長は五感から得られる「しみじみとした情趣・無常観的な哀愁」こそが日本人の精神の根底にあるものだと説きました。それを「もののあはれ」と呼び「源氏物語」はもののあはれを表現した最高の文学だと評したのです。

江戸時代には幕府が推奨した「儒学」が世の中に浸透していました。儒学の思想の一つが「善を勧め、悪を懲らしめる」という勧善懲悪思想です。

儒教の始祖、孔子

当時は日本古来の文学も、儒学的概念を前提に評価されていました。例えば「平家物語」は「儒学思想」から見れば、「驕り高ぶった平家が源氏に滅ぼされる」という物語になります。

ただ「もののあはれの思想」からみれば、栄華を誇った平家が呆気なく滅びるという無常観こそが、作品の本質という事が分かります。これらの「もののあはれ」が集約された作品が源氏物語だと宣長は説いたのですね。

宣長は古事記伝やもののあはれの思想から、日本古来の美意識や精神を発見しました。皆さんも季節の変化等にしみじみとした感情を抱く事はありませんか?もののあはれは、私達の精神にも脈々と受け継がれているのです。

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