ジョンレノンとはどんな人?生涯・年表まとめ【メンバーやオノヨーコとの関係、名言や死因、エピソードなども紹介】

ジョンレノンの功績

功績1「CD・レコードの売り上げが6億枚超」

ビートルズのCD「アビーロード」

ビートルズのCD・レコードなどの音楽商品の売上数は全世界で6億枚を超えています。ギネス世界記録にも「もっとも成功したグループアーティスト」として認定されました。

また、「レノン=マッカートニー」名義の作品は全213曲中の144曲を占め、その多くの楽曲がチャートで1位を記録したため、「もっとも成功したシンガーソングライター」としてもギネス記録に認定されています。

功績2「フラワーパワー運動で披露した歌を全世界4億人が視聴」

テレビで「All You Need Is Love」を披露したビートルズ

フラワーパワー運動は1970年代にアメリカで起きた平和運動ですが、最初に始まったのは1967年のことでした。この年、ビートルズは「Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band」を発表し、平和運動の先頭に立って活動を盛り上げていったのです。

そして、1967年の夏に世界中のテレビを通じて「All You Need Is Love」を歌いました。この際、4億人もの人が同時に視聴したそうです。

功績3「暗殺事件後、追悼の手紙が世界中から25万通送られた 」

セントラルパーク

ジョンレノンの暗殺事件は世界中に悲しみを与え、追悼の手紙が25万通も届きました。

また、1980年12月14日に催された黙祷の際、事件現場近くのニューヨーク・セントラルパークには22万人以上もの人が集合し、全世界では数百万人の人々が10分間の黙祷を捧げたとされています。

ジョンレノンの名言

ジョンレノン

「好きに生きたらいいんだよ。だって、君の人生なんだから。」

「愛とは、育てなくてはいけない花のようなもの。」

「楽しんで無駄にした時間は、無駄じゃない。」

「『どんな人だって成功できる』自分にそう何度も言い聞かせ続けていれば、絶対に成功できるのです。」

ジョンレノンにまつわる都市伝説・武勇伝

都市伝説・武勇伝1「ビートルズが登場すると、4人に1人の女性が気絶した?」

ビートルズのライブ

アーティストのライブで失神する女性が出るという話をよく聞くと思いますが、その先駆けとなったのがビートルズなのです。

ビートルズがアメリカに進出し、初めてのライブを行った時、会場にいた女性の4人に1人が気絶したのではないかと噂されました。

都市伝説・武勇伝2「ビートルズ出演のアメリカのテレビ番組を7300万人が視聴」

アメリカの有名番組「エド・サリヴァン・ショー」に出演

アメリカへ進出した際は人気の絶頂だったビートルズですが、そんなビートルズがアメリカのテレビ番組へ初出演した時、その映像を7300万人もの人が視聴したと言われています。

当時のアメリカの人口は1.8億人でしたので、およそ半分の人々がテレビでビートルズに釘付けになったということです。

都市伝説・武勇伝3「多忙な生活を再現するだけで一つの映画になった?」

A Hard Days Night

1964年に制作された映画「A Hard Days Night」はビートルズの4人が気が狂いそうなほどに多忙な生活をしている様子をそのままモノクロフィルムにした作品です。

制作のきっかけはスウェーデンでインタビューを受けた際のジョンの言葉「ああ、スウェーデンね。ホテルと車、車とホテル、それから飛行機と車さ。」でした。この言葉がビートルズの当時の多忙ぶりをよくあらわしています。

都市伝説・武勇伝4「出版した絵本の評価がルイス・キャロルらに匹敵」

In His Own Write

1964年にジョンは絵本「In His Own Write」を出版しました。この絵本はジョンがこれまでに書いた詩や奇妙な絵を寄せ集めたもので、出版すると同時に初刷りの10万部を完売するほどの驚異的な売り上げを記録し、最終的にベストセラーにまで至りました。

そして、「この作品には知性が宿り、エドワード・リアやルイス・キャロルに匹敵する」と文芸評論家たちに言わしめたのです。

都市伝説・武勇伝5「オノ・ヨーコとの1週間のベッド上生活を取材させた」

「ベッドイン」の様子

ジョンは1969年にオノ・ヨーコと結婚すると、ハネムーンをアムステルダムで過ごしました。

その際、ヨーコとともに1週間ベッド上生活を送り、その様子を自由に記者やカメラマンに撮影させたのです。この取り組みは「ベッドイン」と呼ばれ、反戦のデモンストレーションとして行われたのでした。

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