松下幸之助の名言を厳選!人生に行き詰まったときに役に立つ言葉の数々とは

松下幸之助といえば現在のパナソニックの前身、松下電気器具製作所(これが後にナショナルとなり、パナソニックへと発展していきます)を創設した人物として有名です。多くの人が知っているのは、すでに社長になった松下幸之助です。その人生の明るい部分しか私たちは知らないわけです。

現在のパナソニック本社

しかし、彼の歩んだ道は平坦ではなく、さまざまな障害を乗り越えた結果がパナソニックの発展だったのです。そんな彼は多くの名言を残していますが、どれも真実に裏付けられた重みがあります。

私たちが人生につまずいたとき、松下幸之助の言葉はどちらに歩んでいけばよいかを教えてくれるかもしれません。

今回は数多くある松下幸之助の名言から、30個を厳選してお伝えしたいと思います。

  • これから人生を出発させる人に
  • 今社会で活躍している人に
  • 今挫折してしまったと感じている人に
  • 今の社会を変えたいと思っている人に
  • 人生の円熟期を迎えた人に

このように人生のさまざまな場面ごとに名言を紹介していますし、背景や意図についてもできる限りお知らせしていますから、自分の求めていた名言が見つかるはずです。

今回紹介する名言の中の1つでも、胸の中に深く根を下ろし、花を咲かせる日が来ることを願っています。

この記事を書いた人

一橋大卒 歴史学専攻

京藤 一葉

Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。

松下幸之助の名言・これから人生を出発させる人に

1960年代初期の松下幸之助
すでに社長になっている

これから新しい世界に飛び込む人には大きな不安があるかもしれません。そんなときに力を与えてくれる名言を紹介します。実際に力強く人生を送った松下幸之助の言葉の力は間違いありません。

諦めなければきっと幸せに続く道がある

道がないのではない・探し出せないだけ

無限に発展する道はいくらでもある。要はその道を探し出す努力である。

松下幸之助は1894年、現在の和歌山県和歌山市に生まれました。5歳のころに父が破産、幸之助は小学校を4年で中退せざるを得なくなり、働きに出ることになりました。

少年の道は閉ざされたように感じますが、彼は諦めませんでした。働きながら自分で商売をするために知識を蓄え、必要とあれば仕事の終わった後の夜に学校に通い、ついには社長になりました。松下幸之助の人生を思うと、一層重みを感じる言葉です。

奇跡が起きたわけじゃない。努力の積み重ねが幸せを作った

仕事先の自転車屋で幸之助の商才が花開いた

私は小さい頃貧しかったので、最初は腹一杯食べたい夢でした。丁稚奉公にいってからは、貯金して早く店を持ちたいと思いました。商売をはじめても、大きな会社など望みませんでした。一段上の夢を着実にこなしていっただけです。

松下幸之助は小学校を中退して、住み込みで働くことになりました。自分が腹いっぱい食べたいというシンプルな願いが、段階を追うごとに大きく発展して、最終的には人を幸せにしないと自分も幸せになれないと気が付きました。

目の前のことをこなしていくと、次はこうしたら良いということが見えてきます。それもこなしていると、そのうち自分が一段上の段階に来ることができるわけです。こうして幸之助は一段階ずつ上っているうちに、思いの外高い場所に来ることができたのでしょう。

幸之助の成功を奇跡と呼ぶのは、もしかすると失礼なことなのかもしれません。

悔やんでいる時間があるなら、前進しよう

現在のPHP研究所

どんなに悔いても過去は変わらない。どれほど心配したところで未来もどうなるものでもない。いま、現在に最善を尽くすことである。

社長となった松下幸之助は第二次世界大戦中に、軍需産業に手を貸していました。戦後にそれをアメリカから咎められ、幸之助の築いた松下電気器具製作所(当時は松下電器産業株式会社)の役員のほとんどは公職追放されました。

幸之助も社長職から追われてしまいますが、このとき彼は新しい事業を展開しました。現在でも自己啓発のための書籍を多く出版しているPHP研究所を創設したのです。

書籍の出版などを通して人々の心を支えたため、世間の評判が上がり、幸之助は社長に復帰することができました。この事実を知っていると、心から幸之助の言葉にうなずくことができるでしょう。

見方を変えれば別の道が開ける

違う方向から登る、これをなかなか思いつけない

山は西からも東からでも登れる。自分が方向を変えれば、新しい道はいくらでも開ける。

どんな仕事でも目的はその人が幸せに暮らすことのはずです。それは皆変わらないはずです。1つの目的に向かっているのですから、その手段にこだわって意地を張り、争うのは時間の無駄だと幸之助は言いたかったのではないでしょうか。

たくさんの人をまとめなくてはならなかった幸之助にとっては、大切なのは山を登ることで、どの方向から行くかは関係ないことだったのでしょう。行く先を見失わないリーダーには安心してついていけます。

社長じゃないから、関係ないとは言えません。家族が困難な場面に直面しているとき、別の方法はないのかを考えられるのは大切なことです。

自分のことしか考えない人は成功できない

常に世の為、人の為を考えるのは難しいが…

世の為、人の為になり、ひいては自分の為になるということをやったら、必ず成就します。

少年時代の幸之助は、自転車屋で働いていましたが、来店した客にタバコを買いに行かされることがありました。何度もタバコを買いに行かされたために、幸之助は前もってタバコをまとめて買っておくことを思いつきました。

こうすることで、いちいち買いに行く手間が省けるし、まとめて買うために値段が安くなり、浮いたお金が手元に残ったのです。良い考えだと思われましたが、これが仲間たちに反感を買ってしまいます。

いくら良い考えでも、周りに反感を持たれるようでは成功はできない、まず周りの人たちのことを考えなくてはいけないと幸之助は学んだのです。

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