松下幸之助の名言・今挫折してしまったと感じている人に
社会に出て、毎日を一生懸命に送っていても、うまくいかないときはあるものです。それはどんな人にでも平等にやって来ます。松下幸之助の名言がきっと助けになることがあるはずです。
立ち上がれれば、どこかに進める
こけたら、立ちなはれ。
シンプルで短く、1度聞いたら忘れられない言葉です。人間は失敗するものです。特に人生を出発したばかりの若者には、失敗する機会も多いし、自分で失敗しなくても、人生でつまづくことは意外に多くあるものです。
中にはもう立ち直れない、と思うこともあるかもしれませんが、幸之助は取り敢えず立ってみることを勧めています。立ち上がらないと、どこにも進めないし、転んだままでは周りが何も見えません。
シンプルだけど理にかなったこの言葉は、彼の実体験からでているように思われます。穏やかな関西弁に、一生懸命に生きる人への労りと優しさが詰まっています。
評価は周りに任せよう
仕事が伸びるか伸びないかは、世の中が決めてくれる。世の中の求めのままに、自然に自分の仕事を伸ばしてゆけばよい。
私たちが生活するとき、常に見返りを気にしています。こんなに自分が頑張ったのだから、報われたいと思うのです。そしてそれが思うようにいかないと、すぐに不平不満でいっぱいになります。これは周りの人にとっても迷惑ですし、自分が疲れてしまいます。
幸之助の言葉は、自分がやり抜いた事実に満足しなさいと言ってくれているようでもあり、同時に評価にとらわれず、仕事に専念しなさいと言われているようにも感じられます。
優しさと厳しさが同居している言葉ですが、少なくとも自分で自分を評価することを止めると、身軽になれます。
誰でも持っているたった1つの良いところを大切にしたい
「天は二物を与えず」と言うが、逆に「なるほど、天は二物を与えないが、しかし一物は与えてくれる」ということが言えると思う。その与えられた一つのものを、大事にして育て上げることである。
松下幸之助は企業のトップに立つ者として、多くの人材を育てました。苦労をして事業を興しただけに、厳しいところもあったでしょうが、残された数々の名言から感じられるのは、これから社会で揉まれるはずの若者たちに対する優しさです。
天は二物を与えずという言葉には否定的な響きがありますが、幸之助はそれを見事に変えてしまいます。神が一物を与えてくれているなら、誰でもそれを信じてやってみよう、という気持ちになれるのではないでしょうか。
かつての幸之助が自分の中の一物を信じて進んできたからこそ、この言葉を言えたのだと思います。
自分の限界を自分で決めない
人間の知恵というものは、しぼればいくらでも出てくるものである。もうこれでおしまい。もうこれでお手上げなどというものはない。
日々の生活の中で新しいことを求められたとき、すぐにこう考えることはありませんか?『これ以上は無理。とてもできない』
しかし、その無理と決めているのは自分自身です。
無理だと決めつけて、考えることを止めてしまえば、それ以上前に進めませんが、考え続け、行動を止めなければ、どこかには到着することができるでしょう。たとえ何も解決しなくても、自分が考え続けた、努力をしたという事実は残ります。
自分が諦めなかったという事実は次に困難に遭遇した時の大きな助けになるに違いありません。
失敗が怖くて実業家ができるか
失敗の多くは、成功するまでにあきらめてしまうところに、原因があるように思われる。最後の最後まで、あきらめてはいけないのである。
これは松下幸之助の名言の中でもよく知られているものです。実際に幸之助は自分は失敗をしたことがないと度々語っていたそうです。
幸之助の事業の浮き沈みから察すると、失敗はしていたのだと思います。しかし、彼はそれを失敗として終わらせませんでした。必ず災い転じて福となっていましたが、災いは勝手に福にはなりません。
そこには何度もトライアンドエラーが繰り返されたはずです。この言葉は、成功には時間がかかるから、諦めが早すぎるともったいない、と教えてくれているのかもしれません。
世の中のことは大体取り返しがつくから、大丈夫
とにかく、考えてみることである。工夫してみることである。そして、やってみることである。失敗すればやり直せばいい。
私たちは皆失敗したくありません。誰でも失敗よりは成功を求めていますが、日々の生活で成功するのではなく、ただ失敗を避けるようになる人も多いでしょう。しかし、それでは進歩は望めません。
新しいことを始めるときに、失敗を恐れるあまり現状維持だけを望むのは、事態の停滞を招いてしまうかもしれません。幸之助は多分、自分よりも若い人たちに思い切って新しい段階に進んで欲しいと、この言葉を発したのでしょう。
失敗を失敗でなくせるほどの強さを持たない人にとっても、この言葉は優しく響くはずです。
勝負する相手はいつも自分自身
人と比較をして劣っているといっても、決して恥ずることではない。けれども、去年の自分と今年の自分とを比較して、もしも今年が劣っているとしたら、それこそ恥ずべきことである。
多くの人たちと仕事をしていると、誰でもふと自分を他人と比べることがあるでしょう。これは百害あって一利なしの行為です。誰も自分以外の人間になることはできませんから、1度比べ始めると、永遠に比べることになるからです。
幸之助は多くの人をまとめるリーダーとして、その行為の無意味さを教えたのだと思います。そして、もっと自分の進歩にも目を向けるように諭してくれたのです。自分自身の進歩に目を向ければ、仕事をする張り合い、生きる張り合いが生まれます。
この言葉を覚えておけば、今よりも少しだけ生きやすくなるのではないでしょうか。
仕事も訓練次第でできるようになる
心くばりの行き届いた仕事は一朝一夕には生み出せない。やはり日ごろの訓練や躾がものをいう。
一見厳しい言葉のようですが、実は優しさの溢れる言葉です。訓練を積み重ねることで、心くばりの行き届いた仕事ができるようになれるから、がんばれと未熟な者を励ましてくれているように感じられます。
また、ある程度年齢を重ねた者にとってもこれは励ましの言葉になるでしょう。日ごろの訓練や躾を経て今があるのだから、自信を持って良いのだと思えるのです。
厳しさの中に新人もベテランも上手に励ましてくれる優しさがあったからこそ、松下幸之助には多くの人がついていったように思われます。