麻原彰晃とはどんな人物?生涯年表まとめ【事件の理由や生い立ち、妻や娘についても紹介】

麻原彰晃・暴走の理由

暴走理由1「鍼灸も漢方も人を救えないという無力感」

鍼灸は上手だったという麻原彰晃

結婚と同時に鍼灸院を開業した麻原彰晃。病気の人を治癒させることはできないという、鍼灸師としての限界に気付き、台湾鍼灸や漢方を勉強します。そして中国の占術などにも触れ、それが宗教へと結びついて行くのです。

この後、漢方薬局を開業しますが、この時彼は無許可の医薬品を販売して4000万円を稼ぎます。しかし告発され、結果的には逮捕されてしまいます。これは麻原彰晃の人を救いたいと思うが故のあがきだったのでしょうか。

最初は確かに人を救いたいと願い、それができないことへの無力感があったのかもしれません。しかしこの時、麻原彰晃は人を救うことは金になると分かってしまったのかもしれません。

暴走理由2「節税&金儲けのための宗教法人」

1994年頃のオウム真理教・青山総本部

最初はヨガ道場などを経営していた麻原彰晃ですが、1986年には宗教法人「オウム神仙の会」を誕生させます。彼は宗教法人が税制上で優遇されることに目をつけたのでしょう。

現在日本の宗教法人では、宗教活動に関することは非課税になっています。お布施やお賽銭だけでなく、お守りの代金や読経料も非課税です。

日本ではお布施の額で信者のランクが決まることも多いです。宗教の方では、税金の心配がないなら、なるべく多くのお布施をしてもらいたいと望むのでしょう。

麻原彰晃は宗教法人を作った時点で、金儲けの方に大きく重きを置いていたのではないでしょうか。

暴走理由3「すべてを都合よく解釈!暴力肯定の理由 」

仏教の教えまで捻じ曲げた麻原彰晃

「オウム神仙の会」の時代に、麻原彰晃はタントラ・ヴァジラヤーナという大乗仏教(自分だけでなく他の多くの人も救われるための仏教)の教えに触れました。

この教えには、一見死や殺人を肯定していると受け取れる文言が含まれているため、誤解をする人が多いのです。しかし麻原彰晃は敢えて自分に都合よく解釈し、教団の男性幹部に暴力を振るう理由にしました。

そして麻原彰晃は殺人をポアと呼び、肯定するようになりました。殺人の対象となる人に対して、そのまま生かしておくと悪行を積んでしまうから、その前に殺害してもっと高い世界に転生させようというのです。

こうして麻原彰晃は自分で気に入らない相手のことは、堂々と殺害するようになっていきました。

麻原彰晃の側近たち

麻原彰晃の側近と呼ばれた人たちから印象深い3人を紹介します。この3人には共通点があります。

村井秀夫は幼い時に自殺を目撃、上祐史浩はやはり幼い時に両親が離婚、石井久子は女性だから大学進学を認められないという経験をしており、それを埋めたいと思っていたフシがあるのです。

オウムは彼らに空いた穴を埋めてくれたのでしょうか。

村井秀夫

1958年生まれだった村井秀夫

教団のナンバー2と言われていた村井秀夫。勉強が得意で体は丈夫という申し分のない子どもだったようですが、友人の兄がトラックに飛び込んで自殺するのを目撃してしまいます。もともと内向的だったという村井秀夫には、大きな影響があったのではないでしょうか。

成人してからは神戸製鋼に入社、結婚もしますが、何の生きがいも感じられず、1987年にオウム神仙の会に妻とともに入信します。

オウムではロボット開発などを担当していましたが、1989年に信者の殺害と坂本堤弁護士一家殺害に関わり、1995年には地下鉄サリン事件の総指揮を取ります。しかしそのわずか1カ月後に刺殺され、日本中に衝撃を与えました。

上祐史浩

女性ファンが多かった上祐史浩

1962年生まれの上祐史浩は、早稲田大学に在学中の1986年にオウム神仙の会に入会します。

1993年からオウム真理教のロシア支部長に就任したため、地下鉄サリン事件には関わっていませんでした。1995年にロシアから帰国した後、オウム真理教の広報担当として、メディアに多く登場し、強い印象を人々に残しました。彼の言論パフォーマンスは「ああ言えば上祐」と揶揄され、世間を賑わせました。

しかし、1995年に熊本県阿蘇市の土地取得をめぐる国土利用計画法違反事件で逮捕され、懲役3年の実刑判決を受けました。

かねてより暴力に訴える麻原彰晃のやり方に反発を感じていた上祐史浩は、2007年にはオウム真理教から独立して「ひかりの輪」という宗教団体を作り、現在に至っています。

石井久子

麻原の妻・知子の旧姓も石井だが、血縁関係はない

麻原彰晃がヨガ道場を開いたときからの信者だった石井久子。1986年には出家しています。教団の広告塔として積極的に働いた彼女は、麻原彰晃の愛人でもあり、子どもも3人いたそうです。

彼女との関係は麻原彰晃の妻も知っていたそうですから、いかに教団が一般社会から隔絶されていたかがわかります。

彼女は坂本堤弁護士一家殺害事件では遺体の処理を担当しており、地下鉄サリン事件以降は信者の逃走を助けました。また、上祐史浩が関わっていた国土利用計画法違反事件、逆さ吊り事件(男性信者を修行させるとして死に至らしめた事件・1993年6月)にも関わっていたため、懲役4年の実刑判決を受けました。

2000年に出所した時点で、石井久子はオウム真理教への信仰はないと明言しています。

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