麻原彰晃とはどんな人物?生涯年表まとめ【事件の理由や生い立ち、妻や娘についても紹介】

麻原彰晃の家族とその後

麻原彰晃の家族について紹介します。麻原彰晃には6人の子どもがいますが、妻の松本知子とともに教団と深いつながりがあるのが三女の松本麗華です。四女の松本聡香は実家や教団とは縁を絶ち、自らの進む道を探っています。

この3人を紹介することで、麻原彰晃という人物をもっと理解することができると思います。

妻・松本知子

麻原は長い髪の女性が好みだったとか

麻原彰晃の妻として献身的なサポートをした松本知子。しかし麻原彰晃は教団内で宗教的な儀式と称して浮気を繰り返しました。このため精神に変調を来すなど、妻としては被害者であったとも言えますが、教団内では決して軽い存在ではなく、重要な幹部の1人でした。

1994年の薬剤師リンチ殺害事件について、殺害を決定する会議に参加していたことから、懲役6年の判決を受けています。

出所後は教団には戻っていませんでしたが、2006年には三女とともにオウム真理教の後継団体から資金援助を受けていたこともハッキリしています。

三女・松本麗華

著作活動やテレビ出演を通して活動している松本麗華

1983年に生まれた松本麗華は、麻原彰晃の三女として、オウム真理教の後継者として教育を受けて育ちました。オウム真理教が解体してからは、学校に通うことができず通信教育を受けたそうです。大学では心理学を勉強、卒業後もアルバイトをしながら心理カウンセラーを目指しました。

2015年には半生を振り返った手記を発表していますが、麻原彰晃のことは大好きな父だと表現しています。長年の拘禁生活によって麻原彰晃の精神は完全に崩壊してしまったとも主張していました。

四女・松本聡香に比べると、三女は麻原彰晃のすべてを否定しているわけではないようです。

四女・松本聡香

右が松本聡香・左は三女の麗華

1989年生まれの松本聡香は、2004年まで教団が起こした一連の事件についての詳細を知りませんでした。自分でインターネットや書籍などで調べた結果、自分たちに世間の冷たい視線が注がれる理由がわかったそうです。

その結果、実家やオウムとの縁を絶ち、ホームレスの一歩手前のような生活をしていました。そうした生活の中で、自殺未遂を繰り返したこともありましたが、現在は贖罪の道を探っていると言います。

松本聡香はペンネームで、著書も発行しています。「私はなぜ麻原彰晃の娘に生まれてしまったのか」この題名には彼女の言いようのない悲しみが含まれているように思えます。

麻原彰晃の名言

この人に言われると、そんなに信じてしまうものか

(動物たちはどうやって救われるのか?)動物はカルマがあって動物になっているわけだから、カルマが解き放たれたとき、つまり死が救済だ。人間に生まれ変わることは救済にはならない。人間界自体が非常に低い世界だから。(金魚や小鳥を修行者に生まれ変わらせたい)やっぱりポアをかけるしかないね。それはね。

1988年の言葉。身勝手な思想でありながら、まるで宗教的に意義があることのように殺人を語っています。教祖様に直接このように語りかけられたら、信じてしまう人は大勢いるような気がします。

(人間の転生については?)現代人は、地獄か餓鬼、動物に生まれ変わると思って間違いない。なぜなら殺生をする、盗みをする、邪淫をする、嘘をつく、酒は飲む。これはもう救済の方法がないと考えたほうがいい。

こちらも1988年の言葉。自らを振り返ればこんなことは言えないと思いますが、全てを棚上げして殺人を正当化していることがわかるのは、時が経ったからなのでしょうか。

麻原彰晃にまつわる逸話

逸話1「学生時代に貯金300万円の理由」

学生時代の麻原彰晃と思われる

麻原彰晃は1961年秋に熊本県盲学校に転入します。当時、片目は見えなかったものの、もう片方の目には視力があったため、麻原彰晃は盲学校への転入をとても嫌がり、結果としては親に捨てられたと感じたようです。

こんな経緯があったためか、麻原彰晃は盲学校の中で暴力を振るうようになり、それが他の生徒への恐喝へと発展します。麻原彰晃は巻き上げたお金を貯め込み、それは20歳で卒業する時までに300万円に達したのです。

逸話2「本当は見えていた?麻原彰晃の視力」

しっかりした視線を感じるような…

麻原彰晃には、まったく目が見えていないイメージがありますが、そうではないという説があります。

結婚してからも子どもとキャッチボールをしたり、パトカーを察知したり、ガードレールを飛び越えたりしたそうです。これは片方の目が少し見えている証拠になるはずです(三女・松本麗華は、1989年頃から一緒に歩く時には、手をつなぐようになったため、見えていなかったと主張しています)。

オウムには、救世主は全盲の人という予言があったために、麻原彰晃は全盲である必要があったのかもしれませんが、今となっては本当のことはわかりません。

逸話3「本当?嘘?空中浮揚の真実」

これで本当に信者が増えたのか?

麻原彰晃はオウム真理教の教祖として、不思議な能力を持っていると主張していました。その中でも有名だったのが、空中浮揚です。

1985年頃、オカルト雑誌に麻原彰晃が空中に浮き上がって見える写真が掲載され、空中浮揚をテーマとした本やアニメを制作するほど力を入れていました。

空中浮揚遊をインチキだと批判したのが、「オウム真理教被害者の会」を結成した坂本堤弁護士です。
彼は後に殺害され(1989年の坂本堤弁護士一家殺害事件)、後を継いだ滝本太郎弁護士も命を狙われます。

実際に、滝本太郎弁護士は空中浮揚のからくりを見破り、自分でも写真を撮ってみせました。後に側近の1人もやらせだったと証言していますし、教祖様の証拠としては、いささかお粗末だったようです。

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